![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/63397642/rectangle_large_type_2_a0e4feb6c9662e6f413e02fd3c79210c.jpeg?width=1200)
「聞こえる」ということ
このところ難しい話が続いたので、今日は小休止。映画の話といきましょう。
先日、映画「サウンド・オブ・メタル~聞こえるということ」を観てきました。聴覚を失ったロックバンドのドラマーの失意と再生の物語です。その過程で描かれているのは、「聞こえるということ」の意味、そして「書く」ことの深さでした。
映画では冒頭から字幕をフルに使い、「聞こえるということ」の騒々しさを伝えていました。「ジューサーの音」「コーヒーをドリップする音」などと書かれた字幕が、私たちの日常生活は音であふれていることを改めて実感させてくれます。騒々しいけれど、こうした音から突然隔絶されたら、冷静でいられるわけがありません。音楽で身をたてているドラマーの主人公にとってはなおさらです。
そんな主人公に冷静を取り戻させたのは、「書くこと」でした。恋人の勧めで暮らすことになった聴覚障害者共助コミュニティーのリーダーに促されたことでした。リーダー自身も毎朝、5時に実践していました。聞こえない中で、ただ書く。それが主人公に変化をもたらします。
主人公は後段、再び騒々しい世界に引き戻されます。耳の手術で脳内に受信装置が埋め込まれ、音が聞こえるようになるからです。脳内に金属を埋め込んで感受する音の、なんとやかましいこと。元の世界に戻ったというのに、主人公の苦悩は深まるばかりです。いかにして主人公は平穏を手にするか。
ラストシーンの表情は、「聞こえないということ」の価値を余すことなく伝えてくれます。おすすめの作品です。(マツミナ)