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龍王の神域

【記録◆2024年5月21日】

 春には3万本の桜に覆われる『吉野山』の傍で、『高瀧(たかたき)』に近づいていくと、「不動明王」が彫られているのかとおもった古い石碑に、「八代龍王」と文字が彫られていました。

「八大龍王」ではなく「八代龍王」だったため、帰宅後に違いを調べると、
「大和盆地」を斜めに横切った北西の方に、「八代龍王大神」を祭神とする『八代龍王 神感寺』があると判りました。

「代」なのは、ここだけ。
 神示で授けられた文字を使っているそうです。

 車と徒歩で2時間以上もかかるのに、こんなにも離れた「吉野」の山中になぜ、「八代龍王」が?
 と書いていますが、山間では、国道でも時速10キロ台でしか走れない所がありますから、着くまでにもっと時間はかかるでしょう。

 飛ばすのが好きなひとには耐えがたい道でも、わたしには都会の道より、ずっと楽。
 先月は、「星が落ちた所」へ行くため、奈良の北西へ向かいましたが、
「都会」ではなく「街」という程度でも、できれば通りたくないのです。

 その反対側、南東へ向かう場合は、「街」ではなく「町」という程度で、低い建物の間には、盆地に浮かぶ「大和三山」が見えます。それらの背後で盆地を取り巻く山々が見えなくなることはありません。

 つまり、南東へ向かえば、街中を走っていても、「すでに山中へ入った」という気分になれるのです。

「星が落ちた所(大阪府交野市)」には、生駒山の東を通って行きました。『生駒山』に『神感寺』があると知ったのは、その翌週。
 連続して「街」を走りたくないので、向かうのは翌月にしたのでした。

峠から(奈良県の街)

 これまでにも、「奈良県内の酷道は?」と問われたら、即答できました。ひとつだけではなく、幾つか挙げられました。
 今後は、「暗峠(くらがりとうげ)から神感寺への道」と答えます。

『暗峠』そのものが、「車で越える所ではない」とのことですが、徒歩では車椅子ユーザーのわたしには越えることができません。

 峠の手前に、「車の幅と長さ」を指定する注意書きがあり、
「ロングボディ不可」である理由は、すぐ先で判りました。向きを変えて、「神感寺」へ向かう道へ入ることはできないでしょう。

[ご注意ください:近辺にも境内にも、お手洗いは見当たりません。]

「斜面の側にガードレールがない」というのは、林道で慣れているけれど、山側には細い溝が続いていて(たぶん、雨水が流れるように)、わずかでも道から外れたらタイヤが嵌まり込んでしまう、と予測できます。

 そのうえ、上り坂も下り坂も角度が急で、車内では何かが落下します。

 そのような道の果てに現れた『神感寺』は、立派な山門の向こうに広大な(と感じるほどの)境内を持つ「両部神道系」のお寺でした。

 山門をくぐり、頭から飛び込んでいくような怖さを抑えて急坂を下ると、左側に広い駐車場。そこから参道を二本杖で歩きます。
「拝殿御社」までは、登口から長い階段。

[この日は、すべての写真を撮る前に、「かみさま、撮らせてください」とお願いをして、その後には、ご無礼をお詫びしています。]

振り返って

「両部神道系」のお寺だから、鳥居も注連縄もあります。

拝殿御社

「神紋」が目を引きます。
 白雲に座しているのは、とぐろを巻いた龍でしょうか?

周囲の森

『生駒山』は、尾根の東側が奈良県で、西側が大阪府。
『神感寺』は尾根の近くで、住所は大阪府です。

 わたしがここまで来たのは、「人力(じんりき)」を視たかったから。

 この場所は最初、龍神の神示に従って、人力で切り開かれたのです。
 昭和10年に11人で、寝る所もないと判っていた原野へ向かったのでした。

(徒歩で辿り着くと崩れた炭置き小屋が見つかり、六畳ほどの狭さの一部を「八代龍王大神を納めた厨子」に占められ、横にもなれず眠っています。)

諸天龍神供養宝塔

 また、『身中の病毒を溶流(ようりゅう)させよ』という神示の言葉に、信者でも行者でもないけれど、強く惹かれていました。

 わたしは2年に渡って「溶流」が進んでいるらしく、こぶし大の腫瘍が、内部の壊死を終えて昨年に自然排出されています。悪性でも良性でも重要な臓器を圧迫すると命を終わらせるから、排出した分だけ余裕ができたわけ。

 様々な宣告に従っていれば、最少の検査でも今で百回を超えていたはず。
 けれども、体力が追いつかないと早くに判断し、通院も入院もしないで、検査も治療も手術も受けないで、「告げられた予後」を覆してきました。

 誰にも似ていない生き方を択んだけれど、他人にそれは勧められません。

 医療過誤で瀕死にさせられた後、献血者の腕から注射で抜き取った血液をそのまま腕に注入されたときには、激烈な免疫反応がありました。
 腫瘍が自然排出される直前も、奥歯が砕けるかとおもうほどの悪寒戦慄のさなかに、「あのときと同じだ」と考えていたのです。経験がなかったら、症状が治まるまでの数十分間に耐え切れず、救急車を呼んでいたでしょう。

 どこからか「抱え込んでいた病毒が溶流して、繊維状になった抜け殻」が剥がれると、それを「非自己」と見なす免疫反応が起きるのでしょうか?
(痛覚のない部分だったのか痛みはなく、悪寒戦慄が治まると、すぐ食事をしています。その後の排出も、「引力に従っただけ」という感じでした。)

 医療過誤で薬物を大量に(身体がボロボロになる程、と説明されました)投与されたためか、微量の薬でも身体が皮膚から排出を試みると、広範囲の表皮が壊死融解して、それには激しい痛みを伴います。
 前回は、酷い痕が残ると言われていたのに、5ヶ月後には完治しました。けれども、次に同じ事があれば、表皮だけでなく命も流れ去るはず。

 それで、どのような症状も、治ることは身体に任せているのです。
 治らなくても、工夫をすれば暮らしていけます。命の終わりまで。

 考えを『note』に記すのは、わたしの選択を肯定してくださった方たちが他人から、「なぜ加療を勧めなかったのか!」と責められるのを防ぐため。
 以下の記事にも、考えを書いています。

 昨夜に読んだ本で、外科医だった主人公が、『人間は自然の中に暮らし、豊かな緑やきれいな水や色鮮やかな動植物たちを見ているだけで、すべての機能が回復したりするそうです』と語っていました。
[君と歩いた青春 駐在日記(小路幸也・著)]

 原野を切り開いて『神感寺』を造った方も、25歳のとき、働き過ぎのため重篤な病を得、「死出の旅」として四国遍路に出る前、生駒山上の龍神社に参って、そこから奇跡的に回復なさったのでした。

龍神窟(手前から)

 参道から見えていた『龍神窟』には、4柱の龍神さま。

龍神窟(奥から)
龍神窟の石碑

 地図には、「八代龍王総社 光明山 神感寺」と表示されているのですが、『神感寺』の「光明山」という山号(称号)は、山の名ではないそうです。

龍神窟の龍Ⅰ
龍神窟の龍Ⅱ
龍神窟の龍Ⅲ
龍神窟の龍Ⅳ
龍神窟の龍Ⅴ
龍神窟の龍Ⅵ
龍神窟の龍Ⅶ
龍神窟の龍Ⅷ

 広い境内には多くの社があったので、すべてに手を合わせて、
「国土をお護りくださって、ありがとうございます。日本人が美しい国土にふさわしい魂を取り戻し、その美しさと響き合う心となっていきますよう、お導きくださって、ありがとうございます」と申し上げました。

 そして、「龍神」と読める所だけ写真を撮らせていただきました。

八重姫龍神
黒髪龍神
神額の字が磨滅して
御滝場への道
御滝場

「速やかに滝場をつくり、行法に入れ」という神示に従い、山を丸く削り、石を次々と積んでいった、とのこと。

 行場は立入禁止だったため、積まれた石だけを撮らせていただきました。

「不動尊像」を安置して滝場は完成するのですが、石材店の店先に置かれた不動石仏を見て、「このお不動さんだ」と直感してから、代金が集まるまで2年かかったそうです。

 滝場が作られる前に刻まれていた像なのに他へ行かなかったのは、ここが行き先であると、ひとの考えが及ばない場で決まっていたのでしょう。

 八尺ほどの石仏を(1尺は30.3cm)大阪の街から運び上げるのも、多くの人力が要ることでした。

「ここのお不動さんは拝見したかった」と想いながら、『八重姫龍神社』へ戻ると、その下方の滝場へ陽が差し込み、どこかに光が当たっています。
 
「お姿を現してくださって、ありがとうございます」と、お伝えしました。

大きな不動尊

『ただ神に祈るだけではよくない。まず自らできることを精いっぱい、体を使って果たして、そののちに神に祈れ』という神示にも強く惹かれます。

 以下は、荒れ地を開いて神殿を築いた「龍神の行者」の生涯を記した本に書かれていました。[逆境を転じる龍神の霊力(寺林峻・著)]

 天清浄、地清浄の状態は、ほかでもない、人間の働きによって生じる…。

 万物はすべて無常で、一刻として同じ状態を保つことはない。だからこそ常に流動する水も、大気も清浄になれる。
 少しの瞬間でもとどまればよどみ、濁る。
 人間だって同じだ。刻々と働いていることによって万物の真理と一致して清浄に過ごせる。

 龍神は一番人間らしい誇りをともなった働きを強調するのである。

 水は流れて清浄になる
 人も心と身を動かして身体の浄化をなすのである。

 
 以上を引用したのは、本が絶版になっているためです(昭和61年発行)。
 わたしが手に入れられた1冊には、書き込みがたくさんあって、そのため「新しい単行本ほどの良心的な金額」に価格が抑えられていました。

 引用した箇所は、赤鉛筆で強調されていた部分とほぼ重なります。
 これほど読み込んでも全体を美しく保ったのですから、かつての持ち主が手離したのは、この世を去るときだったのかもしれません。

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