風吹く丘から
【記録◆2024年3月4日】
「大和盆地中央では、風に舞う雪さえも、今年は見ていない」
と書いたら、3月に入ってから雪が舞いました。
前の週、「高鴨神社まで上ってくる間に見た風景を、もういちど見たい」と想い、「願いがかなうとしたら来冬」と書きつつ、「いつか」という時は何十年も前から当てにしていない、と感じてもいたため、わずか数日の後、「たたなづく青垣の涯てが白く縁取られた光景」を求めて盆地の果てへ。
橿原市のあたりから西へ向かうと、坂道の天辺から二上山の雄岳と雌岳の山頂が生えるように現れ、車が走る速さで生長します。わたしはうれしくて山に手を振るのですが、応えてくれると感じるから想いを示すのです。
それから南へ向かい、『鴨都波(かもつば)神社』の鎮守の杜が見えるとここでも手を振り、「きょうは通り過ぎます」と伝えながら、鴨都波遺跡で数日前には『とめどなく流れた涙」を、なんとか目の縁で乾かすのでした。
先週の記事を以下に載せておきます。
◇長柄(ながら)神社◇
西南にある長柄神社にも、「事代主(コトシロヌシ)」が祀られていて、
「長柄首は事代主の末裔」という記録があるので、『鴨都波神社』を建てた「奇日方(クシヒカタ)」を慕うような気持ちで訪ねます。
「かみさま、撮らせてください」と、お願いをしました。
本殿の庇(ひさし)には、「八方睨みの龍」が描かれています。
こんな樹があるとは知らなかったため、幹周りの大きさに驚きました。
『葛城山』が近いため、丘を駈けあがってくる強い風に体温を奪われます。
◇金剛山東麓◇
「たたなづく青垣の涯てが白く縁取られた光景」は霞に隠されていました。
凛と澄み渡った寒気のもとでしか見えない風景があるのです。
そういえば大和盆地を通ってくる時も、ふだんは背後の山に溶けてしまう「低い山の稜線」が浮かび上がっていました。わずかな遠近でも霞の濃淡が変わるため。
そんな日には、『三輪山(大神神社の御神体)』の隣の低い『穴師山』が霞のなかに秀麗な姿を現すのです。まるで神奈備のように。
そして、遠くの山は霞に溶けてしまうのでした。
金剛山からも、幾重にも連なる青垣の手前がかろうじて見えるだけ。
下が数日前の光景。目で見えた山は、写真では雲と混じり合っています。
「天の雲と地の雪が混じり合わない日に大和の高天原へ」と願ったけれど、晴れていれば遠くまで見える、というわけではなかったのでした。
そこで、先週のように高い所へ上っていくのではなく、ふとおもいついて坂の下へ向かいました。なぜか、丘が見つかるようにおもえたので。
(近くに「風の森峠」という地名があるのを地図で見ていたためか。)
そのとおり、行ったことのない場所で丘を見つけました。
近づきすぎると見えなくなる高い山々が、そこから一望できます。
葛城山は、大和盆地からだと金剛山と同じように長く見えるので、反対側(北の方ではなく南の方)から眺めると違う山のよう。
そして、盆地中央からだと薄青一色にしか見えない金剛山にも濃淡が。
山頂の手前が、先週に行った白雲岳(神体山)でしょうか。
少し距離を置いただけで、全体が見えます。
帰りは山のほうへ進み、先週と同じ道から大和盆地を見ると決めました。
きょうは、あちこちの丘で強風に逆らいつつ、電線が写り込まない写真を撮り続けます。
上の写真の左端が畝傍山。左側の山裾から見えているのが耳成山。
霞が無かったら、中央あたりに三輪山が見えるはず。
先週も山の中腹を走る間、畝傍山は何度も見えたから、「神代の伝承に、畝傍山がなぜ存在しないのか」と、不思議におもいます。古代人がなにより崇拝した三輪山が見えないときも、手前の畝傍山は見えるのに。
(大和三山の畝傍と耳成は造られたピラミッドだという説があります。)
しばしば古史古伝で語られる「大和三山の天香久山」は、見えたとしても見分けられないかもしれません。他の二山ほど形がはっきりしないため。
(天香久山にさえ、人工の山だという伝承があるけれど。)
そこで、ふと、「天香久山の麓で梅が咲いているのでは」とおもいつき、大和盆地を横切って東へ向かいました。
◇万葉の森(天香久山)◇
『万葉の森』の梅林へ歩み入るのは初めて。
白梅は散りはじめ、紅梅はその後ろで開花の準備中。
進む先の視界が開けると、遠くからは見えなかった三輪山が正面でした。
「天香久山」の麓からは(この場所の少し北)、耳成山も正面に見えます。
どちらも、「神体山」とされやすい美しい円錐形です。
車椅子では行けない所ばかりを二本杖で巡り続けてきて、先月ひさびさに「COGY(足こぎ車いす)」で走ったら(昨年は外出に使っていません)、空を翔ける龍のような気分になれました。
大和には神の依り代(神奈備)が多いため、神体山に目を向けるときも、肢体不自由の身から抜け出て翔けていく、という感じがします。