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列島の中央を東へ
【記録◆2024年11月20日】①
学年で最も背が高いときもあったため、小学生でも子ども扱いはされず、10代は父親の介護をしていたためか40代に見られ、介護が終わった20代に、半分ほど白髪になっていた髪を染めました。
おかげで、老化の始まりがいつだったのか判りません。
進行性の身体障害があると判った46歳からは、「老化」とおもえば障害が進行したとおもわずに済み、「進行」とおもえば老化だとおもわずに済み、どちらも気にしないでいられたのでした。
これまでに医師たちの予告がことごとく外れたため、「宣告」を聞くのも確かめるのも12年前に止め、以来、病院には行っていません。
その詳細は、以下の記事の「底のほう」に忍ばせています。
「自分自身の専門家」としての予想では、「医者にかかったら命の終わりは2022年(体内に微量な薬剤を入れると命が奪われる、という難病なので)、無治療なら2023年末」だったのに、今年の年末も目前。
「時間が速く過ぎるから、年をとる間もない」と冗談を言っていたけれど、
身体が弱っていく間も無かったのか、緩やかな変化に順応できているのか、
簡素な暮らしから何かが無くなっても、失くしたと気づきもしません。
戻ってきたときに、失くしていたのだと気づけます。
上の記事では、「生きていることを休みたい」と呟いていたのに、また、
以下の記事では、「生存に適さない身体……」と呟いていたのに、今月は、
「画期的な工夫」を幾つか増やして「障害」を減らせました。
ストレッチは日課ですが、どうしても自分では伸ばせない筋肉があって、そこが激痛の原因となっていたけれど、伸ばす方法を見つけられたのです。
また、「あなたの身体は、座ることでは、休めないのです」と、2007年に教えられましたが、自分で考えた補装具の組み合わせにより、寝るときには少し休めるようになったのでした。
11月3日まで寝ることは苦行だったのに、いまでは眠ることが前よりも
楽しみ(楽しみだった頃が記憶には無い……)。
眠れるようになると、900日以上続いている病状が目に見えて軽くなり、下の記事で考察したように、「病毒の溶流」が進んだのであれば、その分の余裕をこの先で最大に活かせるかも。
「なぜ生きていられるのだろう」と、一昨年には考え、
「なぜ死なないのだろう」と、昨年には下の記事内で呟いています。
40年前に亡くなった父も、「この先は無い」と病院では告げられたのに、危篤状態から持ち直して無理やり退院した後(道からは、わたしが背負って玄関まで階段を上がった)、家では5年以上も生きたのでした。
入院前には歩いていた父が、たった3ヶ月の加療の後には脚を動かせず、次に自力で動かしたのは、末期(まつご)の苦痛のさなか。それを見て、「ひとはここまで激痛に苦しむことができるのか」とおもいました。
最期は、わたしの名を呼び続けて、「包丁で腹を切ってくれ」と懇願し、翌々日には骨さえも残さず灰になったから、それらが苦しみの基準となり、わたしは、限界の手前では何にも縛られないのです。
医学は自らの限界に妨げられて、生命力の限界を知る機会がありません。
「国土との繋がりを断たなければ、生きる力は枯渇しない」ということも。
◇◇波切不動滝(三重県 松坂市)◇◇
中央構造線に沿って、奈良から東へ向かいました。
断層の北側では、様々な鉱物を生んだ地域を南下して、それから三重へ。
断層の南側では、肩越しに『伊勢路より大和路へ』という文字を眺めつつ大和路から伊勢路へ。
昨夏に行った『水屋神社』の近くにも滝があると知ったので。
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川に沿って二本杖で進んでいくと、水の音が変わったので、『東又川』を見下ろせる所にまで寄ってみました。
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上の写真の中央が、滝の落ち口。岩が水で深く削れて、向こう側の斜面がここからも見えています。
写真の右端が滝へ続いているのですが、道ではないため、わたしの脚にはとても歩きやすい(移動に使うのは、おおかたが腕力でも)。
樹々の間は、よく手入れされていて、足が草に絡まることもありません。
ただし、滝前へ下りていく道だけは、先を見ないようにしました。
石を埋めて段が作られているけれど、崖のような角度だったから。
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見上げなくてもいい高さの滝が、わたしは好きです。
何十メートルもある滝に比べたら小さいけれど、建造物の高さ制限がある奈良の県民には、数メートルでも充分に高い。
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朝に東の空を見たときには、雨雲が広がっていて、三重県に入ると小雨が降っていたのに、車から降りる直前、雨が止みました。
陽が射していないと、水が光らないから、滝は撮りやすい。
滝壺は、陽が差していれば、もっと鮮やかな色になるだろうけれど。
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帰ろうとして、ふと下流を見ると、龍のような流れが見えました。
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帰宅後に調べると、この滝は中央構造線に触れるほど近いと判りました。
(これまでに行った所では最も近いかも。)
断層から昇っていく神聖な力があるとしたら、中央構造線の辺りをたえず彷徨っている者に「人知の及ばない力」が行き渡るのも道理。
さて、車に戻って、次は下流へ向かいます。
「地の流れ」と「水の流れ」が交差する所へ。
縄文の神域へ。