在りし日に[補足]:カイロスという時
録画を再生するかのようにわたしは過去の記憶を取り戻せるので、それを仮に「映像記憶力」と呼んでいるのですけれど、思い出すというより、その時空に入り込めるような感じです。
何年も前にどこかで(ベルギー出身の詩人の日記だったかも)、「時間にクロノスとカイロスという概念がある」というような文章を読みました。
「クロノス」は、年、月、日、分、秒と刻まれていく時間で、
「カイロス」は、内面的な時間なのだそうです。
特別な日を過ごした後、わたしは、「流れる時間の奥行きが深かった」と感じます。
その奥行き部分は流れ去らないで留まり、まるで発酵が進むかのように、豊かさを増していきます。
もしかしたら、その部分が「カイロス」なのかもしれません。
誰かを大切に想うのなら相手を縛りつけようとはしないから、たいていのひとは傍にいません。
でも、「時間の奥行き」という時空では、いつでも共に居られます。
相手がどこに居ても……居なくなってからも。
[ひとつの時空を取り出して、以下に再録しておきます。]
【過去の記録◆2015年9月24日】
『希少難病ネットつながる』の仲間たちと、
車椅子のまま天保山大観覧車に乗りました。
青く塗られたゴンドラが連なって動くのを
見ていると、視界に薄紫色が現れました。
「あの色だったらいいなぁ。きっと、あれが
車いす用だ…」とおもいました。その色が、
選べるときにも選ぶほど好きなのです。
動いている観覧車にどうやって乗るのかと
考えていたら、「お乗りになるときは運転を
停止いたします」と説明されました。
薄紫色のゴンドラが近づくと、折りたたみ
スロープが運ばれてきました。
それが地上から架けられます。わたしは、
そこを渡って空へと上がるのです。
杖をついたひとが乗り込むときにも停止を
してくれるのだろうか、と考えました。
乗る前に、「専用キャビンは車いすの方が
乗られるときには5人までです」と、説明を
受けました。最初の目的地の『海遊館』から
3人が帰っていて、残っていたのがちょうど
5人でした。女性はわたしひとりです。
男性方は乗らないかとおもっていましたが、
「おじさんひとりでは乗れませんからっ」と
香取さん。
他の方々は何気なく乗り込んできました。
車椅子の両側には4つずつシートがあり、
それらの席からは海も山も見えます。山側を
向いている車椅子からは海が見えません。
盆地にしか住んだことのないわたしには、
「海をみる」というのは特別な体験。壁との
隙間から抜け出て、少しの時間だけシートに
移り、再び戻るのに苦労するのでした。
様々な事情で来られなかった仲間たちには
観覧車から手を振りました。たぶん高知県も
福井県も千葉県も方向違いでしたが。
◇当時はカメラをかまえる体力がなくて写真が残っていませんので、素材をいただきました。ありがとうございます◇
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