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龍門

【記録◆2024年9月4日】

 大和盆地から南東を眺めたとき、空と接しているのは竜門山地の山々。
 最も高いのは『龍門岳(904.1m)』ですが、見えているのは、その手前の「熊ヶ岳(904m)」でしょうか。

 コルクボード(高さ90cm幅60cm)の枠内におさめるため、大きな地図の余白を後ろに折り込んで、奈良県全域を見渡しています。

 行った所に差していく透明な丸ピンは、光が入ると輝いて、各地に小さな灯が点っているよう。
 本日の行き先は『龍門岳』ですが、ピンの無い所を走る、と決めました。

 南へ行くときは東へ進んでから宇陀市を南下するのが好きだけど、今回は丸ピンの無い南方へ進んでみます。とはいえ、街を通らなくても済むよう、ほんの少し東に寄って「明日香村」を通り、「飛鳥駅」から南へ。

 少しでも東に寄りたいのは、三輪山が近くなるから。
 先週(8月28日)と同様、標高326mの辺りがよく見えます。

 ふとおもいつき、「三輪山山頂が見えない遙拝所(榛原の鳥見山)」から「三輪山の麓に位置する神坐日向神社」まで線を引いてみると、「三輪山の標高326mあたり」を通ると判りました。

 また、「最初の鳥見山(桜井市)」の「鳥見山霊畤 遥拝所」から三輪山の山頂まで線を引いてみると、それも「標高326mあたり」を通ります。

 わたしが『神坐日向神社』から「三輪山の山頂(467.1m)」を撮ったとき少し右側に写っていた低い山が、そこなのでしょうか?

『神坐日向神社』は県内では、「大和に最初の王国を造ったクシヒカタ」の存在が微かに残る唯一の場所(わたしが知るかぎり)。
 そこにさえ「クシミカタ」と記されて、完全には残っていません。

 クシヒカタが最初に住んだ『鴨都波遺跡(御所市)』には、まったく名が残っていません。ただ、その近くが「蛇穴(さらぎ)」という地名なのは、記紀で蛇神にされてしまった「大物主」を想起させます。

「事代主(大物主)」の子が住んだのは蛇の穴というわけなのでしょうか?

 後世の印象操作なのかと考えもしたけれど、奈良県の蛇穴には縄で作った蛇を神社の蛇塚に巻くという行事があります。島根県の出雲にも藁で作った龍蛇を神木に巻くという行事があります。

「クシヒカタは出雲王国の太陽の女神を三輪山に祀ったので、天日方奇日方(アマヒカタクシヒカタ)[天の奇しき力を持つ日を祀る人]と呼ばれた」という話が、わたしにとっては真実。

 どの民族にも歴史や神話が必要なのは、「自分がどう在りたいか。過去の誰のようでありたいか」を定めるためではないでしょうか。
 歴史上の人物には、それを規範としたい人の数だけ顔があります。

 その時代から遠く隔たった場所で、わたしたちは自分のうちに在る誰かを「見失いそうな理想の体現者」にして生きるのです。

 明日香で飛鳥時代を生きた王族にも、出雲王家を理想となさっていた方がいらっしゃいます。

 クシヒカタを頼って大和に移り住んだタギツヒコ(大国主の孫)の名は、『高鴨神社(御所市)』に残っていました。
 わたしがひそかに「出雲神族の小径」と呼ぶ所に。


◇龍門の瀧◇

 信号が少ない県道や町道は、高速道路より快適。
 高速道路のように灰色のパネルで視界が遮られることもありません。

 樹々の緑の濃淡に浸りながら南西へ、そして南へ。

「明日香村」の南端に、「入谷」という地名があります(「入」は丹生)。
 その西側の「高取町」南端には、「丹生谷」という地名があります。

 中央構造線は「龍門岳」の南斜面を通っているので、その西方に位置する『入谷』も『丹生谷』も、「丹生(辰砂の産地)」だったのでしょう。

「こちらから吉野に入るのは初めて」と書こうとして、記憶が蘇りました。
 35年前、伊勢から京都へ帰るとき、三輪山南麓で進路を択ばせた存在は、翌年にはわたしを大和に根づかせてくれたのですが、三輪山西麓に招く前、同じ日に「吉野川」を遡らせています。

 吉野川にかかる大きな橋を渡ったとき、「今後は、奈良に住む」と決め、上流から戻ってくるとき、それを言葉にしたのでした。折り返した場所は、もしかすると、『夢のわだ』あたりだったのかもしれません。

 最近に知ったのですが、吉野川の向こう岸には、丹生都比売を祀る神社がふたつ残っているそうです。ひとつは『犬飼山 転法輪寺』で、そこだけかとおもっていたのだけれど。

 つまり、わたしは「丹生都比売」の傍で進路を決めた後、『大神神社』の二の鳥居まで初めて行き(日が暮れていたため神域には入っていません)、「御諸山の神」にそれを伝えていたのだと分かったのでした。

 命の終わりが視野に入ってから、ようやく神域を巡りはじめて、いまだに続いているのは、縄文の神々が待ち続けてくださっているからでしょうか。

入り口の小瀧

『龍門岳』の登山道に入って清流を遡っていきます。
 たくさんの神さまに挨拶をしながら。

舗装路

 こういう道が健常者には歩きやすいそうです。脚に障害があるわたしは、路面に流したコンクリートの衝撃を辛く感じるけれど。

龍門川の小瀧(Ⅰ)

 足元を流れていく水が、美しく透き通っています。

水辺の道

 分岐を左へ進むと、わたしの脚にやさしい道が続いています。こちらは、健常者には歩きにくいそうです。川に土が流れ落ちた所は、大雨のたび幅が狭くなるでしょう。そうなったら、進む先へ丸木橋が渡されるのでは。

不屈の樹

 転がり落ちてきた岩を背負い、幹の下に地面が無くなっても(根の間から見えているのは川面)、根冠を真横の土に突き入れて踏み止まっています。
 自然界には、師と仰ぎたい樹がたくさん。

龍門川の小瀧(Ⅱ)
龍門川の小瀧(Ⅲ)
龍門川の小瀧(Ⅳ)
龍門の瀧

「二本杖で歩く車椅子ユーザー」ですから、小瀧の連なりだけで満足して、「折り返してもいいかな……」と想った途端、『龍門の瀧』が現れました。

 落差28mの三段の滝です。

上段と中段
空中に飛び出て

 中段の落ち口で、いったん空中に飛び出てから下方へ落ちていきます。

下段(落ち口)
下段(中ほど)
下段(滝壺)

 下段の向こう側に「見えない滝壺」があるのではないかと、想いは岩塊を越えていきます。

この岩の向こうに

「折り返そう」と考えていたことを忘れて進んでいきました。

広がる水
滝壺の左から流れ出て

「中段の滝壺」の正面に流れ落ちていないので、岩の間を見ると、蛇行する水の飛沫が路を示していました。

下段(上から)

 さらに進みます。上へ。

中段の滝壺

 まだ滝へ近づけるよう、鎖が渡してあります。
 目に入るのが、この滝だけだったら、どこまでも進んだでしょう。

 ここまで多彩な姿を見せていただいたから、ここでは無茶をしません。

中段(落ち口)

 いったん空中に躍り出ているのが、さっきと反対側から見えます。

上段(上から)

 さらに進んで、上段を見下ろしました。

上段(落ち口)

 もっと歩けたら、上流にもうひとつ滝があるそうです。
 行けない場所は、不自由な身を離れたとき、魂となって巡ります。

仙境から帰る

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