万葉の山々Ⅱ
【記録◆2023年3月3日】②
「COGY(足こぎ車いす)」で増えた脚力が、さらに先へと導きます。
楽な道ではないけれど、整備されているから展望台まで辿り着けました。
右から、生駒山(手前に矢田丘陵)、信貴山、二上山。
日本書紀では、ここで聖徳太子一族は山背大兄皇子の代に滅ぼされた、となっていますが、
「どこにも墓所がないから、背後の生駒山から遠くへ逃れられたのでは」と考えていたら、そのとおりだったようです。
最も低くなった所に、明石海峡大橋が見えます。
拡大しても、白く輝く線が空に架かっているようにしか見えません。
左のいちばん手前が、車で横を通ってきた箸墓古墳です。
麓に並んでいる大きな古墳は、ステッキチェアから立ち上がっても全体が見えません。
右から、耳成山、畝傍山、天香具山(左の端の手前)。
天香具山だけは、単独峰ではなく竜門山地の端なので見分けにくいです。
遠くには南の山々も見えています。
この山では、死と結び直されるような感じはしませんでした。
むしろ、緩やかに終わりへ向かっていく身が何度も「生」と結び直されたようでした。
盆地の底から見上げる東の山々は常に、天を渡る陽の光を受けています。そのせいかもしれないので、陰鬱な雨の日の写真も以下に載せておきます。
昨秋、なるべく民家が写り込まないようにして山の近くから撮りました。
3月3日には、右のほうから山中を通って、左のほうへ進んだのです。
龍王山の山頂は写っていません。
手前が龍王山の中腹だとおもいます。
「秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めぬ山道(やまぢ)知らずも』
(秋山の黄葉が繁っているので、道に迷っている妻を探そうとしても、その黄泉の国へ続く道がわからない。)
という挽歌とも、暗い雨の日なら響き合うかもしれません。