レンズ
少し弱々しくなってきた夕日が、誰も頼んでいないのに、夏の終わりを教えてくる。
私は、いつもの河原で、いつもの曲を聴いていた。
ちょうど一年くらい前、2人だけの夕映えの中、彼が教えてくれた曲。
いつでも私に、小さな幸せを思い出させてくれる曲。
私は、久しぶりに、望遠レンズの付いたカメラを鞄から取り出した。
カメラに入った写真を見返すと、始めの頃は、少し見切れた彼の姿ばかりだった。
ピントも合わず、ぼやけた写真も多い。
一眼レフなんて、使ったことが無かったから、仕方ない。
「野球をしている友達に頼まれて、練習風景を撮りたい」と
半分以上の嘘を交えて、お父さんに言ったら、
趣味で使っていた、高価な望遠レンズと一緒に、私にカメラを譲ってくれた。
それから、私は、おぼつかない手つきで、撮り始めた。
野球部の練習に毎日通い、ひたすらレンズを向け始めたのが一年前。
その当時、彼は、高校二年生なのに、チームの四番を任されていた。
教室では見せない真剣な眼差し。
その表情を写真に収めたい。そんな邪(よこしま)な思いで、撮り始めた。
学校の帰りに、河原のベンチで、自分の写真を見返した。
レンズの使い方も、慣れてきて、少しずつピントが合っていくのが嬉しかった。
もう少し、アップで撮れないかな…。角度を変えれば…。
私が一人で写真を見比べている時、
「すいません…」
といきなり声をかけられた。
彼だ。
「練習の邪魔なんですよね。そのシャッター音。」
「あ、ごめんなさい。一眼レフって、どうしても音が出ちゃうから…」
敬語で話しかけてきた彼は、その時、私が同級生だということも気づいてなかったようだ。
本当に恥ずかしかった。
「野球バカなのよ、ただ単に」
彼の幼なじみのユカに相談したら、笑ってそう言って慰めてくれた。
あいつの目には、白球しか映ってないのよ、昔っから、と。
彼の瞳のレンズには、私なんて、一ミリも映っていない。
当たり前の現実を、ユカは教えてくれた。
それでも、私は撮り続けた。
かざしたレンズのその先に、彼がいれば、
華やいでいく心が、私を離さなかった。
「ねぇ。写真見せてくれる?」
私が河原で写真を見返していると、また急に彼が話しかけてきた。
今度は、敬語じゃない。同級生ということには気づいたようだ。
私は、ようやくピントの合ってきた彼の練習姿を見せた。
「ありがと」
真剣に写真を見返したあと、それだけ言って去って行った。
それから、私が夕方の河原にいると、
彼はときどきやって来て、写真を見比べていた。
自分のバッティングフォームを見返しているようだった。
ほとんど会話はしなかったけど、ある日、いつも撮ってくれてるお礼にと、
彼のオススメの曲を教えてくれた。
聞いたことない海外のバンドの曲。
私のお気に入りには全く入っていないようなテイスト。
でも、独特のリズムが聞いているうちに、心地よくなってきて、
英語の歌詞を覚えてしまうぐらい、何度も聞いた。
初めて、彼と心のピントが合った気がした。
夏が本番を迎えた。
高3最後の大会を間近に控えた学校での練習。
彼は、サングラスを着けていた。
カメラを向けても、表情が写らなくて、
どうやってレンズを使えばいいのか、分からなかった。
私には、「眩しいから」とだけ言っていたけど、
ユカから、彼が眼科に通っていることを聞いてしまった。
練習中のノックで、眼のレンズを傷つけてしまっていたらしい。
八番まで下がった打順で、彼は、
慣れない度入りのサングラスをつけたまま、
最後の打席、バットを三回振って、高校野球を終えた。
試合の後、
揺れる背中を懸命に抑えながら、
私のいるスタンドを振り返り、
サングラスを取って、手を振った。
私は、溢れる感情で彼の表情をうまく見れなかったけど、
その姿を懸命に写真に収めた。
そのあと、私は、カメラを撮るのをやめてしまった。
高校生活最後の夏休みを迎えたというのに、
友達と遊ぶこともなく、1か月間、何をしていたのかあまり覚えていない。
八月の終わりに、河原で、私には不要になった望遠レンズのついたカメラを取り出した。
写真を見返して、初めて気づいた。
最後の試合のあと、彼は泣いてなんかいなかった。
最高の笑顔で、私の方を見てくれていた。
ピントのばっちり合った彼の眼差しに、再び心が暖かくなった。
自分の好きなことに、真剣に取り組む。
心のレンズをただ、ひたすら、そこに向ける。
彼を応援したくなった理由を思い出した。
私も誰かに応援されるぐらい、夢中になれれば。
夏の終わりに、私は、再びレンズを向けた。
川面に反射する優しい夕映え。
精一杯夏を生きたセミ。
夢中になって、目に映る風景を撮り続けた。
「ねぇ。写真見せてくれる?」
そう、声をかけられたときに、彼と、ピントを合わせられるように。
あとがき
最初に記載したように、幾田りらさんの同名楽曲を小説化した物語です。
ぜひ、楽曲を聴きながら、もう一度、物語をお読みください。
歌詞はこちら。