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本と虫

 年を重ねるごとに、虫に対する考えや感性が大きく変わったという人はけっこう多いのではないか。「生まれながらの虫嫌い」は別として、「ある時期からなんか苦手になって自分でもびっくり」みたいな話はよく聞く。私もそのひとりで、かつて少年時代には夏休みになれば毎日のようにセミを獲り、旅先でつかまえたクワガタに夢中になっていたのに、いまや玄関先の「セミ爆弾 」※ に怯え、子どもがキャンプからカブトムシを連れ帰ってくるとワクワクしつつも心のどこかでほんの少し「面倒だな」と思ってしまう。

 そんななか、ゴキブリに対する反応と思いだけは、あいつが床を這いまわる姿を初めて目にした日から変わらない。先夜、久しぶりにあいつに遭遇した際、あらためてそのことについて考えた。

 明かりをつけると同時に黒いのが物陰にサーッと逃げ込むあの瞬間には、何度体験しても総毛立ってしまう。しかしいつまでも驚き立ち止まっているわけにはいかないし、逃げ出すなんてもってのほか。この恐怖を消すにはもはや戦うしかないのだということを受け入れた後、私は無理やり闘争本能らしきものをでっちあげて興奮状態に入る。敵がすでにどこか遠くへ逃げのびていたらどうしようもないが、ひとつところに留まりジッとこちらの出方をうかがっている場合も多い。人間が諦めるのを待ち、闇にまぎれて安全地帯に戻る作戦なのだろうがそうはいかない。件の場所に意識を向けたままダンボールの切れ端や反故紙などで武器をつくり、それをいつでも振り下ろせるよう片手で構える。そしてもう片方の手でゆっくり障害物を取り除けながら、これがたんにひとり対一匹の対決ではないということに思いを馳せる。3億年以上前からほとんど形を変えず堂々と静かに生き抜いてきた種と、新参者のくせに頭でっかちでいばってる種との、あまりにも分の悪すぎる戦い。もうここには何者も潜んでないんじゃないかと疑いはじめた頃、全身全霊を込めてものすごい勢いで飛び出してくる憎いあいつ、「ウワッ!ハワワーップ!」などぶざまな声をもらしながらも一発、二発とダンボールの切れ端を振り下ろす私。勝負は十中八九、人間が害虫を「駆除」して終わる。が、事後処理を行いながら敗北感に打ちのめされてしまうのは、やはり人間は種としてはゴキブリに完全に負けているということなのだろう。個体は倒せても、私たちは黒い影のイメージを打ち消すことができない。そしていくら個体が死んでも、あいつらは暗がりに潜み続けて私たちを怯えさせることができる。


 子どもの頃、このゴキブリを筆頭に蚊とかハエとか蛾とか、たのしくもなんともない、むしろ気持ち悪かったり迷惑だったりする虫はなぜこの世に存在するのだろうか、とか自分勝手なことを考えていた。「だってあいつらがいてもなんにも意味ないじゃん」と。どんな小さな虫だってなんらかの役に立っているのだよ、みんな何かとつながっているのだよ、とブッダに教えを乞うまでもなく、意味とかそういうんじゃないといまなら当然知っている。たとえばゴキブリは、森ではほかの生き物の食料になったり、動植物の死がいを食べて土に還したりと生態系を支える大切な役割をはたしている。そのせいか、森のなかで出くわすゴキブリはすごく自然だ。さいきん仕事で離島に行く機会が多く、土の道や森のなかでゴキブリをよく見る。西表島にいったときは、車のなかに一匹カサカサッとあいつが入り込むハプニングがあったが、私はまったく臆せず、鳥肌をたてることもなく手のひらでパシッとはたいて車外に追い出すことができた。姿形はまったく変わらないあいつなのに。

 でも私は森じゃなくて家に住んでいるので、家にいるときにあいつが現れれば怖いしすごく困る。あの古風なフォルム、狂ったように蠢く触角や肢、翅のテラテラワシャワシャした質感、すべてが怖い。まるで虫全般に共通する怖いところを凝縮したようなあいつ。こうやって考え出すと、あいつだけじゃなくて今玄関にいる子どものクワガタも外に転がってる死にかけのセミも、芝生を刈ると逃げ出すアリやハサミ虫やバッタも怖くなってくる。昆虫は、この世界中の生き物ぜんぶの約七割を占めるという。あいつらはやろうと思えば人間を滅ぼせるのではないか。なんで余裕で踏みつぶされているのか。なに考えてんだあいつら。なにも考えてないんだ。怖や。

 そんな虫への嫌悪感や恐怖感を和らげてくれるのは、やはり生態系がどうとかどんな役に立っているかとかではなく、虫に情緒を見出す人間ならではの視点だ。いや視点だけではもちろん足りない、情緒をなめらかに描き切る上質な文学が、虫を怖れる私を救う。というわけでようやく本稿のタイトル「本と虫」の話となる。

蜂が一ぴき飛んで行く 琥珀細工の春の器械 蒼い眼をしたすがるです

 たとえば宮澤賢治のこういうのとか、谷崎の「細雪」で家の中に飛び込んできた蜂から「裸も同然の身なりをしている」三姉妹が「あっちへ逃げこっちへ逃げして歩き廻」る一幕とか素敵すぎるやつだけでなく、カフカの「変身」のザムザとか織田作の「六白金星」の「蠅を獲るのが巧」い楢雄とか、「百年の孤独」の蟻とか、虫のおかげで哀しさを表せたりとてつもなく壮大にできたりといったことが文学の世界にはたくさんあって、そういうのを読むと本当、ああ虫がいなかったらこれらの物語これらの場面これらの人々はなかったのだなあ、ありがとう虫。と涙が出そうになる。こうして、ようやく私は虫といっしょに生きていける気がするのだ、なんとなく。よかった。

※ セミ爆弾――
仰向けになって微動だにしないので死骸かと思いきや、近づくと気力を振り絞り翅を振るわせて暴れまくって人をすごくびっくりさせるセミのこと

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