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なぜか夜中に読み返したくなる不穏で律儀な名篇――「変種第二号」(フィリップ・K・ディック)

*マガジン「読み返したくなる短篇小説」バックナンバー

「変種第二号」、原題は "Second Variety" 。目次に並んでいた、シンプルで無骨かつミステリアスなこのタイトルに惹かれて『ディック傑作集』を買い求めたのをよく覚えている。内容もまた実にシンプルで、テーマや世界観、ムード、物語の展開も含め、SFにあまり詳しくない私でも知ったかぶって「これぞ王道」とか頷きたくなるような、短いながらも土台のしっかりした濃厚な作品だった。

 調べてみると、初出は1953年。52年から作家活動をはじめたフィリップ・K・ディック最初期の短篇とのこと。米ソ戦末期の荒れ果てた戦場という舞台設定がいかにも50年代らしい、とかまた知ったかぶって呟きたくなる。当初、奇襲を受けて首都を失ったアメリカは劣勢で、一時はソ連の勝利が決定的となりかけていたが、アメリカの技術者が開発したロボット兵器「クロー」が戦況をひっくり返した。「体温があって動くものを感知し迅速に殺す」というミッションだけを忠実に半永久的に遂行し続ける、小さな球状の殺人機械。自律的に行動することができる上いったん動きだしたら制御不能なので、両陣営の兵士たちはこれを無力化する放射線タブを装着しないと外も歩けず、掩蔽壕に潜って命を繋いでいる。やがてクローたちは自らを修理する術まで学習し、人間のいない地下自動工場で次々と改良型を開発しながら自己増殖をはじめる。初めてクローが野に放たれてから6年の歳月が流れ、ついに人型クローが出現、傷痍兵や弱々しい少年の姿形をして人語を操る彼らの侵入をやすやすと許し、主力部隊を壊滅させられたソ連側は、和平交渉へ向けた会談を提案するため、アメリカ軍の前線基地にひとりの使者を送った。物語は、この使者のソ連兵が荒地の丘を登ってくるのをアメリカ兵たちがじっと見守る場面からはじまる。彼らはまだ人型クローの存在を知らない。

 「変種第二号」と出会うまでにディックの長篇を3本ほど読み、いまいちピンときていなかった私は、この冒頭の場面にとにかく引き込まれた。荒野を歩く兵士の孤独と絶望、あんのじょう彼を細切れにしてしまう球体、アメリカ兵たちの軽口と警戒と怖れ、死体の手に握られた重要なメッセージ。そして物語が動き出す。基地を出た主人公は人型クロー=「変種」の存在を知り、その意味するところを身をもって理解するとともに重大な謎に囚われ、テディベアを抱いた少年に擬したクローが大挙して出現し、そのまったく同じ顔の通称「デイヴィッド」たちが群れる光景への完璧な皮肉(共産主義国家の理想ね、全人民に互換性があるなんて)が女の口からこぼれる。現代の読み手である私には新鮮な驚きはないが、かといって安心感もなければシラけるわけでもない。どんでんがえしとか謎解きとかオチとかを待つ姿勢などハナからないのであって、私はひたすら、終局へ向けてわかりやすく律儀に散りばめられた光り輝く布石を拾い集め、その一つひとつが醸し出す不穏さに酩酊しながら字を読み紙をめくる。そして最後の場面、この絶望的な物語のなかで唯一の救いといえなくもない、不毛で無意味で朗らかで哀しい所感を読み切ったところで本を閉じ、「ああこの作品と出会えてよかった」と心から思う。読み返すたびにそう思う。その瞬間はなぜかいつも真夜中。
 そしてそれから、布団にはいって作中の世界の「その後」に思いを馳せるのがすごく楽しい。あんなことやこんなことがあったろうな、みんながんばったろうなと。かつて校長先生は「家に帰るまでが遠足です」と言い、長嶋茂雄は「勝負は家に帰って風呂につかるまでわかりません」と言った。私はそんな名言と迷言を脳裏に浮かべつつ、本に書かれていないことを想像するところまでがSF小説の読書体験なのだなと妙に納得して眠る。
未読の方はぜひ。『フィリップ・K・ディック傑作集1 パーキー・パットの日々』(ハヤカワ文庫)所収、古本屋でだいたい250円くらいです、たぶん。

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