画太郎の前に道はなし、画太郎の後にも道はなし、でも我あり――漫画太郎「漫☆個展」(pixiv Zingaro・中野ブロードウェイ)
2014年9月
カート・ヴォネガットの長編小説『青ひげ』に、次のようなエピソードがある。
――ラボー・カラベキアンという抽象画家が、2.5メートル四方のカンヴァスを「緑がかったバーント・オレンジ」一色で塗りつぶし、単にそれだけの「作品」を完成させようとしていた。それを眺めていた彼の友人がこう問いかける。「もしもだよ、私がそれと同じ絵具を同じローラーで塗ったとしたら、それでもその絵はカラベキアンの作品なのか?」
「まちがいなくそうだ。ただし、君がカラベキアンと同じ奥の手を持ってる場合に限る。たとえば――」画家はそう言いながら床の土ぼこりをすくいとり、両手の親指をつかってわずか30秒でカンヴァスの上にその友人のカリカチュアを描いてみせた。「すごい!そんなに絵がうまいとは知らなかった!」と驚く友人に、画家はもう一言。
「君の前にいる男には、選択の自由があるのさ」
画太郎先生の漫画を読むと、このラボー・カラベキアンという架空の抽象画家の台詞を思い出す。というか、画太郎先生が同じように語りかけてくるような気がする。
「君の前にいる男には、選択の自由があるのさ」
そう、そのとおり。彼は自ら選んだ。
こう描くことを。本当はやろうと思えば、
こう描くことだってできる。
こう描き続けることだってできたのに、
あえてこう描き、
こう描き、
こう描き続けてきたのだ、1988年のデビュー以降ずっと。
画太郎先生はめっぽう画がうまい、奇想天外な発想の泉は汲めども尽きない。彼の漫画のあらゆる要素をバラバラに分解し、取捨選択してしかるべく組み直せば、万人ウケするきれいなパッケージをつくることもできるだろう。
でも、画太郎先生は持てる才能を駆使して、あえて粗いタッチでクソとゲロとすっぱだかの「ばばあ」を描く。あえてコピペによる反復やあからさまなパロディで空白を埋める。登場人物たちはみな当初の目的を忘れて無意味な堂々めぐりに身を投じ、作家が自ら(?)呼び寄せた「打ち切り」という名の“機械仕掛けの神”の業火に嬉々として焼かれる。
「画太郎の前に道はなし、画太郎の後にも道はなし」
自らそう言い放ったとおり、彼は道なき道を選んで歩き続けてきたのだ。
表現する時、主張する時、人はいつでも無数の選択肢を突きつけられ、そのなかのいずれかを選ぶ。なぜこれを書きあれを書かずにおくのか。なぜ彼女にはそのことを言い、彼には言わないのか。なぜ花嫁の余命はきりよく半年間なのか。なぜもう一歩横でシャッターを切らなかったのか。なぜそこにその色を、その音を使うのか。なぜあと数秒間よけいにカメラを回し続けなかったのか。B組の生徒がたいへんなことになっているその時、C組の生徒は何をしていたのか。物語が終わった2秒後には何が起こるのか。
そんなこんなが気になって、どうも何かにのめり込むのが苦手だった思春期の私にとって、画太郎先生の漫画が物語をぶちこわしていく様は実に爽快だった。
天竺にも鬼が島にも辿り着けない一行の停滞が、顔を入れ替えただけのコピーギャグが、すんなり始まって終わっていく物語を笑い飛ばしていた。あらゆる物語のなかから平然とひとつだけを選ぶことの不実にゲロをかけていた。
素直に「くだらねーウヒャヒャ」と笑って済ませればよかったところ、奇妙な心酔の仕方をしてしまったおかげでひねくれた30代になってしまった気もするけれど、優柔不断でまわりくどい性格までそのせいにしたくもなるけれど、「漫☆個展」に行ってみるとびっくりするほどの盛況ぶりで、この人だかりのなかにはあるいは自分と同じ思いを抱いて生きてきた御仁もありやなしやと、感慨深く画太郎先生の原画の数々を見て回り、「画太郎なくして我なし」と無理やり自分を納得させたのだった。
▲ 開場前から行列ができ、入場制限までするほどの盛況ぶり
何かを選び、選ばなかった他のすべてを捨てなければ表現も主張もできない、というのはでもまあ当たり前のことだ。その上で、口を開きつつ筆を執りつつカメラを構えつつ、「選んだこと」=「捨てたこと」を忘れないでいるのってやっぱ大事なんじゃないか、とそんなことをあらためて思った。
自分が好きな映画とか本とか音楽とかについて思い返してみても、それらをつくった人々は、そういうことを忘れないでいる苦しみみたいなものとすごくがんばって闘っているような気がする。無限の選択肢の荒野で呆然と佇むような感覚を味わいたい。あるいは、このたった一つの選択肢こそが世界のすべてなのだと一瞬でも思い込みたい。そんな欲望とともに本を開き、映画館に足を運ぶ。最近そういう機会がめっきり減ってしまって悲しい。あと、以上のようなしち面倒くさい事々をいっさい考えることなく、全力で楽しんで感動できる酒とか寿司とかカレーとかって、ほんとすごいと思う。
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