見出し画像

音楽の原体験③〜私が合奏が好きな理由

平成の時代、「あの人に会いたい」みたいな名前の、視聴者が懐かしの人に再会するまでを追ったテレビ番組があった。
一般人が一般人に会うなんていうネタは、もう出尽くした感じがするし、今となっては時代にそぐわない感じもする。でも万が一、そんなことが叶うのなら ぜひとも会いたい人がいる。

小学校の音楽の専科教員のY先生。これまでに出会ったどの先生とも違っていた。
始業式で紹介された先生の風貌にびっくり。薄い茶色のレンズの入った眼鏡に、ひげも生やして髪もちょっと長くて、レコードのジャケットで見たフォークシンガーみたい。
はじめは「こわい先生なのかな?」と思ったが、ちょっとコワモテな見た目とは裏腹に、茶目っ気があって話も面白い。休み時間に音楽室に遊びに行くと、自前のフルートを吹いて聴かせてくれたりもした。
アーティストっぽいなと思ったエピソードは他にもいくつか覚えているのだが、まとまりがなくなりそうなので割愛。

特に、Y先生の指導のもとで音楽をやって楽しかったのは器楽合奏だ。
「小学校音楽会」で演奏したことと、「卒業式合奏団」で演奏したことが強く印象に残っている。

市の音楽会ではY先生が指揮をして、クラス担任のM先生が合奏に入って演奏した。担任が児童と一緒に演奏するのは、あまり前例のないことだったそうだ。大人と一緒に演奏するのは、ちょっと大人になった気がして嬉しかった。

「卒業式合奏団」は、文字どおり卒業式で入退場の曲や式典用の一連の曲を演奏する。合奏団のメンバーは、児童の適性を見て先生たちが選んでいた。今考えると角が立ちそうだし、保護者からクレームのひとつでも入りそうだが、Y先生の熱心さが受け入れられたからこそできた活動だったと思う。

合奏の何が楽しいのかということは、当時まったく意識していなかったが、振り返ってみるとなんとなくわかった。
最初はバラバラだった音が少しずつまとまっていく。指揮者も含めて、一緒に演奏している人の間に一体感が生まれる。そのプロセスがおもしろい。

学校教育の一環で合奏をやったのは、小学生のときだけだ。
この歳のころに熱心な先生に出会えたのはすごくラッキーで、恵まれていた。
そして、この時に合奏の楽しさに気づかなったら後に吹奏楽部に入ることもなかったし、今もこうして誰かと一緒に音楽をやってない。狭い居場所で、ちょっと息が詰まりそうになっていたかもしれない。

故郷を離れて久しく、Y先生に直接 感謝を伝える機会はそうそうないだろう。でも、チャンスは突然やってくることもある。そんな時いつでも「今も音楽を続けてるんです」と言えるように、これからもひたむきに続けていく。

近いうち、お茶会のような雰囲気のコンサートを企画したいと思っています。もしサポートいただけたら、その運営費用に充てさせていただきます。