妊娠期振り返り⑧里帰り出産の実家片付け問題
これに悩まされている人は私だけではないだろう。
というわけで、今回はあえてストレートなタイトルにした。
「実家の片付け問題」
これは結婚前、いや学生時代からわたしの頭を大変悩ませた。
というのも、実家はわたしが子どもの頃からいつもなんだかモノが多く散らかっていたからである。
家庭訪問などやむを得ず人が来るときには、ゴチャッとしたところにタオルをかけて隠したり、ふすまの奥の部屋に物を集結させたりしてごまかしていた。
幸い母は"明らかなゴミ"は捨てる人だったので、いわゆる「ゴミ屋敷」ではなかったのだが、服や文房具などは捨てられずに積み重なり、ホコリが溜まり、下の方にあるものは押しつぶされている状態で、まあ「汚屋敷」ではあった。
わたしもかつてその状態をつくってしまっていた一因ではあったのだけど、年齢を重ねるにつれてその過ごしづらさに疑問を持つようになり、なんとか物を減らしたいと思って試行錯誤していた。
だけど両親は、特に母は、よく言えば"物持ちのよい人"で、使えなくならない限り、服は穴があかない限り、捨てるという選択肢はなかなかないのであった。
わたしが意を決してあれやこれやと片付けてゴミ袋に入れたものを、こっそり元に戻されているということもあった。
夫が結婚の挨拶に来る時は片付けることができず料亭で済ませ、それから約3年して今回の妊娠が発覚したわけだけど、それまで夫が実家に足を踏み入れたことは一度もなかった。
これはなんというか、夫に対してとても申し訳なかったし、恥ずかしくもあった。
そんなこんなで今回の出産、そしてその後の育児。
やはり夫婦2人で家事育児を回すのは困難だろうし、里帰りして親の手を借りたい。
そんなお世話になる身ではありながら、同時に図々しくも「この時しか実家が変わるチャンスはない」と思っていた。
だって、わたしが結婚する時ですら変わらなかった家なのだ。
初孫が産まれても変わらなければ、この先もずっとこのままだろう。
そして里帰りしようものなら我が子はホコリでアレルギー発症するかもしれないし、そもそも夫が上がれていない家なのに赤子は上がれるってのは筋が違うんじゃないかとも思った。
だけど、問題はどうすればよいか、である。
両親には何度か「里帰りしたい、片付けてほしい」と伝えていたものの、たまに帰る実家は毎度片付く様子はなかった。
救いを求めていたわたしは、同じように実家の片付け問題に悩む人のブログやら、知恵袋やら、Webのエッセイ漫画やらを読み漁った。
そして絶望したのが、みんな最終的に諦めている、ということ。
「片付けはマインド」なのだ。そこに住む人の意識が変わらなければ、その家が片付くことは一切ない。
とあるエッセイ漫画で衝撃的だったのは、"結局、物を捨てるより親への(実家への)執着を捨てるという結論に至った"というもの。
これにはリアルに涙が出た。
もう、親との関係はここまでなんだろうか?
片付け以外のことでは良好な関係なのに。
わたしは、我が子のために、金輪際実家に帰らないとう決断をしないといけないのだろうか?
だけどやっぱり、実家に帰れず両親と疎遠になるのも嫌だったし、汚屋敷に帰って我が子の健康を損ねるのも嫌だった。
あきらめきれなかったわたしは、妊娠中期の頃にこんなことを母に言った。言ってしまった。
「片付けられないなら業者を入れてもいいし、そのお金は私が出す。でも片付かないなら里帰りをやめて産院を探し直す。子どもにも会わせない。」
お世話になる身のくせに、産まれる前の赤子を人質のようにして産みの親を脅すという、なんともあるまじき発言である。
両親に対しても、なまはむちゃんに対しても、とても申し訳ないなという思いもあった。
だけど、約30年間変わらなかった実家を変えるには、そして今後も家族として健全に関わっていくには、もう最終手段だった。
そして、これで本当に片付かなかい限り、宣言したとおり両親には我が子を合わせないつもりでいた。
本当は実家近くにある祖母の家(キレイ)にお世話になるという選択肢もあったけど、私は母に「もうあとがない」と思わせなければならなかったし、わたしが少しでも甘さを見せてしまったら巡り巡って我が子に不利益が生じるかもしれないのだ。
そもそも、我が子以前に夫が入れない問題をクリアしたいという思いもあった(夫は特別実家に入りたがってたわけではないけれど、わたしが筋を通したいと思っていた)。
そうして伝えたところ、母はけっこう落ち込んだようだったけれど、なんとかかんとか片付けを始めてくれた。
そしていよいよ、予定日の2ヶ月前になって早めに里帰り。
わたしもできる範囲で片付けに参加した。
両親はすでにいろいろなものを処分してくれていたけれど、まだまだ物は多くて、勝手に捨てられない姉のものや私のものもあって、人をあげられる状態ではなかった。
父と母の間では「これは捨てたくない」「そんなもの持ってても仕方ないじゃん」みたいな押し問答が日々あった。
だけど、一番大事なのは両親とわたしの気持ちをアゲアゲに保つこと。
「こんなにきれいになったね!」「ありがとうね、助かる」「本当に思い入れのあるものは捨てなくていいよ」なんてことも言い、とにかく2人をねぎらい、感謝した。
実際、60過ぎの2人で30年間の不要物を分別しているわけだから本当に疲れるだろうし(わたしは身重でほとんど戦力になれなかったし)、わたしとなまはむちゃんのために重い腰を上げてくれていることは本当にありがたかった。
そういうわけで、なんとかかんとか、夫が家に上がれるくらいに片付いた。
これはなんというか、奇跡だった。
あれだけ悩まされた場所が。
ずっと後ろめたさを感じていた場所が。
もう散らかったところにタオルをかけてごまかすこともなければ、いろいろな物が押し込まれた「開かずの間」もない、まあ「超きれい」とまではいかずとも「それなりに普通の30年住んだ家」になった。
両親にはもちろん、どデカいモチベーションになってくれたなまはむちゃんにも感謝だった。
そうしてある程度片付いた我が家だったけれど、水場はさすがに素人では難しく、ハウスクリーニングを依頼した。
社長始め4,5人くらいの方が来てくれて、台所、トイレ、お風呂…自力では落ちなかった汚れが一日でキレイになった。
すべて終わって、社長さんに「うちの汚れ具合って10段階で言ったらどんなもんでしたか?」と聞いてみたところ、ちょっと考えた後、おそるおそる「8か9…くらいですかね…」と言われた。
これは、10だ。と思った。
まあ頼み甲斐があるってもんだし、なまはむちゃんが来る前にレベル10をなんとかできて本当に良かった…。