2020年 私の今年の漢字
2020年の漢字は「懐」
今年は時間に余裕があったから、昔の出来事と今の繋がりみたいなことを思う機会が折々のタイミングであった。
コロナで外出自粛となって、急に在宅勤務をする時間が長くなり、家でいかに快適に仕事モードからプライベートの時間へと切り替えるかという事を試行錯誤してる中でここ20年以上も1時間強の通勤時間と家とは違う場所にいる事で切り替えをしていたペースが狂った。沁みついたルーティーンが大きく変わった事の影響もあって、5月6月と体調を崩して床に伏してからは、体力的にヨロヨロしながらしばらく仕事してた。そんな事から特に自分の体調について気を配るようになったし、今まで結構普通にこなしていたことも相当に体力と頭を使っていて、無理を気力で振り切って乗り超えてきてた日々だったのかと体が弱った反動でやっとわかることもあった。
つい先日、12月に入って受けた体の施術で7、8年前の出来事が今の体調の起因にあるかもしれないので思い浮かぶことない?と言われ過去を振り返ってみたら、確かに仕事のポジション的に業務が大変だった時期だった。自分でもあの時は大変だったな。と認識してたけど、もう少し掘り下げてみたら
その時期、我慢して耐えることで辛さとか、ショックを封印してあまり感じないようにやり過ごして生活してきてたのだな。ということに気がづいた。
結局の所、自分が頑張るしかないのだからと、常に頑張らなきゃと思っていたし、弱さ見せてもなんにもならないんだから、一人でなんでもできるようになるしか無いんだと思って、プレッシャーをやり過ごそうとしてきた。
頼りたいけど、人に頼れなかった。
その頃だよね。嵐が気になりはじめたのは。自分が40歳になって(10年前か)部署異動してみたら、10歳位年齢差のある若い子の多い部署で、年下の30代の子が仕事で嫌なことがあっても嵐を見ると全て忘れられて元気になると言っていて、ニコニコしていた姿を今でも覚えている。職場に嵐の切り抜きが貼って合って、初日にそれ見て正直ビビった(笑)。同じ会社の中でもだいぶ違うな。えらい所に配属になってしまったと思ったし、嵐好きはしかも何人もいた。え?あなたも?あなたも?みたいな状態だった。嵐だったら誰が好きですかー?と言われてニノと言ったらある時、コンサートグッズのミニうちわをもらった。嵐が好きな人に嵐をもっと知ってもらいたいからと言ってくれたんだけれど、それでいて、〇〇は見たか?とか何か強要するわけでもなく、そこら中に嵐の顔が見える職場で、その人それぞれの楽しみ方で楽しんでいた。
いただいたミニうちわを見た時に、思いがけなくて、(頼んだわけじゃないのにもらった)酷く驚いたけれど、「最初はミニうちわ位がいいと思って」と嵐が好きな人に好きなものを買ってきたよ。という純粋さに感動した。
そして、誰か一人というだけでなく、それぞれが「でも嵐全員ががいい」とよくいうのはどういう事だろうと(笑)興味が尽きなく、いくらでも楽しく話が聞けた。
そのチームは半年で私は配置換えになってしまったのだが、その後何年も、私にとってテレビに出ている嵐を見るのが癒しだった時間が続いた。
コンサートのDVDを見て、『え?大野さん??』テレビとはまた別世界!!となってもまだファンクラブに入るまでにには至らなかったのに、次第に、一度はコンサートに行ってみたいと思って、ついに2015年にファンクラブに入ったその年、姪の誕生日12月27日の回に当たり、友人二人と姪と4人で見に行った。(当選したことを話したら、私の名義なんて入会して7年も当たってないと人にいわれたので、相当な幸運である)
天井席だった。
東京ドームの天井席ってすごく急な階段を上っていくんだよね。ここらで座りたいと思ってるのに、席はだいぶ上だった。
「上の上の方~」という翔さんの声がこんなに嬉しいんだって思ったし、全体を見渡せる光の海の中にいるのもすごく楽しかった。「嵐」対「観客」ではなく、一体感を感じて、高揚した。今まで見に行ったコンサートはアーティストを「見る」という空間だったのに比べると「一緒」という事を感じ空間だった。喉がからからになって東京ドームの回転ドアを抜けて一息ついたときに、目が悪いので、ああ、次は顔が見える席で見たいと、当たったことに感謝して終わりではなく、「もっと、もっと!!」と嵐熱に拍車がかかった。
嵐を見るには、人の力を借りるしかなかったので、頼る事に戸惑いがない分野がやっと出来た。
そしてコロナ禍の今年2020年。
嵐が活動休止までに2年の時間をくれたこと。
こんなにもファンに感謝を伝えてくれて、自分たちの言葉で伝えられる環境を用意して発信し、そして年末のスポンサー提供やコメントを見ていると、嵐にこんなにも感謝を伝えようとする人がいる。TOPである彼らが多忙な中、5人の力だからこそ出来る可能性を一つ一つ実現していってて、
社会はそういう仕組みだからと割り切っていた自分にとって、これほどに「嵐」に惹かれていた潜在的ポテンシャルは一般的なTOPの立ち方とは少し違った彼らのオリジナリティーがあったのかもしれない。
こちらの寂しいなという思いも感じながらも、笑顔を送り続けてくれてる。「生」にこだわり今、同じタイミング一緒に楽しむ事にこだわり続けてくれてる。コロナの中それはどれほど大変な事だろう。
夢中になったり、体感する楽しさだったりと、仕事してる中では得られない事で嵐が私にくれたものはたくさんあるけれど、嵐のファンになって、友人との繋がりが深くなったのもとても大きな出来事だった。
英語アレルギー気味なので、このタイミングで英語?日本語で頼むよ。となったりも正直してるし、まだまだ知らない事たくさんなのに、大晦日まであと3日。
今は、ひたすら嵐の健康を願ってる。
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