#1 メルボルンのお水は飲めるからBRITAいらんかったやんか|くららのワーホリ日記(in Melbourne)
こんばんは、くららです。
11月1日の朝7時。メルボルン空港へ到着し、今日で約1週間が経ちました。
メルボルンはオーストラリアのビクトリア州という場所にあり、オーストラリアの中でも2番めに大きい都市。そして『世界一住みやすい都市』としても知られています。
何を持って住みやすいのか不思議だったんですが、比較的に都会の中にも自然園のような自然が豊かな公園があり、海も近いし、山もあります。
もう何度か植物園に出かけているのですが、走ったり、散歩するのが本当に心地いいです。
まだ仕事探しでちょっと余裕がなくて毎日投稿は難しそうなので、1週間に1度は振り返りも兼ねてブログを更新したいと思います。
言葉が通じないのがベリーベリーしんどい
メルボルンに着いてから一週間が経ち、自分の英語力の低さに絶望しています。
簡単ではあるけれど、英語で接客することもあったし、本当に簡単な日常会話くらいできると思っていました。
できませんでした。
オーストラリアの数ヶ月の滞在先として、友人がお家をステイ先として貸してくれているんです。そして2週間ほど友人がこちらでの生活をサポートしてくれています。
本当に親切でありがたいのですが、友人との日常会話が全然できなくて、自分が感じているように、相手にもストレスを与えている感が否めません。
それでも寛大に付き合ってサポートしてくれている友人に感謝の日々。
と、同時に「自分のペースでやらせて欲しい」というしんどさ。
私は勉強も必要だし予習も復習もメモも取りたい。
必要があれば録音や録画をして自分が何を聞かれて何が返せなかったのか、どう返したかったのかも見直したい。
けれど、何かしらメモを取ろうとすると「見てて!」と言われてメモを取らせてくれない。(なんでよーーー!笑)
ただ自分が学んでこなかったこと、ワーホリで11月からオーストラリアへに行くのは3月の時点で分かっていたのに何も向き合わなかったのが悪いのです。
くそう。悔しい。わかってるからこそ、頑張らなかった自分が悔しい。
でも今はちょっと心が疲れている。
なので、言い訳という弱音を書いちゃう。
日本にいた頃は当たり前に残業がある仕事をしていたため、ほとんど疲弊して帰ってきていたのです。
ご飯食べて、お風呂入って、そしてバタンキューな毎日。
「勉強やんなきゃ」と思ってもなかなかスイッチが入りませんでした。
はい。言い訳おしまい。
話せないという現実は変わらないのでコツコツ頑張ってきます。
負けないぞ。
オーストラリアはせっかちなのか、のんびりなのか
人柄はどちらかといえばゆるくてあたたかい気がするんですが、行動はなんだかせっかち?
信号機が赤であっても当たり前のように渡る友人を見て「え!え!?良いの?」と何度も思ってしまいました。
「車が通ってなきゃ関係ない」とのこと。笑
まあ、確かに。田舎で道に車が走っていなかったら時たま信号無視して横断しますけど。びっくりなのは交通量が多いところで平気にスタスタしちゃうところ。
老若男女問わずだったのでなかなか驚きました(1週間も経てば慣れたけど)。
また、今自分がステイしているお家の洗濯機はなんと脱水するまで15分ほどで済んでしまうのです。本当にびっくり。
自然と都会とのバランスがちょうどいい
メルボルンといっても広く、私は少しシティよりの場所に住んでいます。
けれどそれでもすごく街中に木々が溢れていて、少し歩けば植物園や大きな公園があり、ヤラ川という大きな川も流れています。
お昼時になると若者やファミリーが公園でおしゃべりしたり遊んでる姿を見るのが微笑ましいくらい。
早朝はランニングしている人をよく見かけます。
東京のようなごちゃごちゃした感じはほんの一部のエリアにギュッと詰まっていて、街を散策しているとあちらこちらで緑を感じることができるのがすごく嬉しい。
近所(といっても結構歩くけど。笑)にある公園が本当に好きで、私はよくそこを散歩しています。
今週末には海の方へ散歩に出掛けたいなと思っているので、とっても楽しみ。
まだ着いてから1週間しか経っていないので遊びに行けるような友達はいませんが(友人はサポートしてくれるだけで、一緒に遊ぶ人ではないのです)現地で友達作っていろんなところにドライブしに出掛けたいなと思っています。
わくわく。
仕事探しは思ったよりも楽じゃない(?)
友達の感覚なのか、オーストラリアの国民性なのか、私が思っているよりも仕事探しは楽じゃないなと感じました。
理由としてはレジュメの自由性が大きいかもしれません。
日本のように型がなく、本当に好き勝手に作れるんです。
そして多少虚偽してもいいというか、誇大して自分をよく見せるための書き方をする。
友人が何度も添削してくれるのですが、ちゃんとレジュメができてから仕事探しするものだと思っていたら「とりあえず応募したり直接渡しに行くかなきゃだよ」と言われるのに違和感。
まだ合否も分からない資格をどうして「持ってます!」っていっても良いんだろう…という。
私が真面目すぎるんでしょうか。笑
それがズキズキしていてなかなかお店の人に自信を持って声をかけられないんです。
あと、せっかくなら飲食業で働きたいと思っていて、自分の英語力が下なのも理解していますが、カフェやイタリアンなどの自分が経験してきたところで仕事をしたいと思っているんです。
だから回る先としてはカフェが優先(メルボルンでバリスタとして働きたいなというやりたいことリストがあるから)して配りたいのです。
が、ある日、友人がジャパニーズレストランの求人に応募しようとレジュメのデータを渡してほしいと言われた時に、私はあまりのことの進みようの早さに驚いてしまって、「お店がどんな雰囲気か場所はどこなのかもう少し見たい」と言ったところ、「それは仕事を選んでる」というのです。
え
そ、そうなの…?
日本では仕事を始める前にどんな企業なのか、お店なのか、自分が通える範囲なのか、よく下調べしてから求職活動をしていたので、自分のこの考えが「選んでいる」なんて思いませんでした。
オーストラリアではレジュメを渡したからと言ってトライアルが決まるわけでも面接をしてもらえるわけでもないとのこと。
それもなんとなく下調べしていて分かっていたけれど、そんなばら撒くように配るものなのかという違和感。これが文化の壁に初めてぶち当たって困惑している問題でございます。
仕事は選ばなきゃあるのは本当に分かっている。
から、お寿司屋さん、スタバ(20代前半で働いてた経歴があるため)、韓国料理家さんなどジャンル問わずに直接渡しにはいっています。
だけどそれでトライアルの日程がぶつかったり、本当にやりたい仕事が見つかって雇ってもらったところを2週間とかで辞めても良いもんなんか?という。
この日本人っぽい常識を捨てないとここでは生きていけないんだなというのが、こう、どんな仕事に対してもそれなりに懸命に向き合ってきたつもりでいる自分にとって、すごく心苦しくて「うへえ」となるのです。
さあ、頑張ろうぜ〜 負けるなよ
と、エレカシが脳内再生された朝。
郷に入れば郷に従うしかないんだと思うし、そもそも自分の古い価値観をぶっ壊しにきたのではないかと思い直しました。
しんどさはあっても絶対に乗り越えられると思うし、変化には多少の不安や怖さもつきもの。
泣きたい時は泣くし(そこまでしんどいわけじゃないです)、弱音を吐きたい時は吐くけれど、自分の可能性を広げるためにこの壁をぶち壊して強くなります。
しんどさもある、けど楽しさが勝る。そんな日々を過ごしています。
今回も読んでくださってありがとうございました。 Love ya.
▼ オーストラリアの準備記録はこちら
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