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【人生の目標】 めんどくさい人を辞めたい

以前のような、「寝る時になってイライラして眠れない」「寝ても寝ても眠い」「イライラしっぱなし」「疲労が取れない」とか希死念慮、漫然とした億劫感がほぼ消失した。過覚醒とか過緊張、フラッシュバックと悪夢は依然としてあるような気もする。

この3ヶ月くらい、益田先生のYouTubeを見たり、色んなクリニックのwebページを見たり、学術系の方まで見て、状態の理解とか回復に何が必要かとか自分なりに勉強してきたつもりだった。

が、ここ2、3日ふと、「過覚醒」とか「悪夢」とか「フラッシュバック」という言葉の定義が私には分からない、ということに気がついた。自分がそうだと思って(思い込んで、信じ込んで)訴えていたことが、医学上、あるいは保険診療上、当てはまっていないから、主治医が困っているんだと思う。

しんどかった時のしんどさは(私にとって)本当のことだし、その時に使用した言語表現も誇張ではないと自分では思っている。すっごい苦しかったし、感情のコントロールができなかったし、焦燥感があり、逃避したいって気持ちもあった。冒頭の、悪夢が続いて寝た気がしない、寝ても寝ても眠いがあった。

色々調べすぎて、「自分は○○なんじゃないか」「じゃあこうした療法をやったらいいんじゃないか」と暴走しており、「休養しなきゃいけないのに、全く休養していない」状態が続いて、抗不安薬も睡眠薬も心身の過緊張を和らげるもののはずなのに、折角の薬効を自分でかき消しているようだった。

(※ 起き抜けにイライラしたり、頭ん中がグシャグシャしているときに、抗不安薬を飲むとすごく早く効いたのは驚いた。プラシーボじゃないんだな。)

今は色々な状態が消失しているために、自分が訴えていたことは本当だったのかな?という疑問を抱き、「詐病」「仮病」とインターネッツで調べるに至り、「作為症」ではないことを確かめて安堵感を得るが、「じゃあ、ミュンハウゼンじゃないか」とか、結局は自分を「病理化」したいかのように振る舞っている。本当に懲りないな!

「病気っぽいままでいたい」

これだな〜。これだと思う。

「自分の要求を通したい」とか「自分を正当化したい」とか、「注目を集めたい」とかそういう深層心理から、自分から病気を欲しているような気さえ、今はしている。
なのに、「確定診断」を怖がり、必要な検査や治療を遅らせ、結局治る気がない、変わる気がない。成長欲求ではなく、退行欲求という感じだ。

これに至る一連の思考回路も、結局ぐるぐる思考なのかもしれないけれど、一方、冷静に客観的に捉えられるようになっており、状態が回復・改善しているからではあって、総合的に見て、良いんだか悪いんだか、みたいな。

自罰的でも、自己批判的でもない自分が、自分の中に立ち現れており、「ちょっと待て待て。おま、それ本当か〜?」と投げかけてくるようになった。
これが「理性的な自我」なのだとしたら、こいつを手放しては行けなくて、高待遇で私の中に住まわせる必要あるな〜、と思う。COOかCTO的立場で。

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「じゃあ、これからどうしたいの?」


状態が良くなったら考える必要があるのは、これだと思う。
どうありたいんだろう?どうしたいんだろう?ってこと。

そしてそれは、一時期トライしていた、自分の好きなことを思い出したり、それらをより詳細に具体的に言語化し、中長期的な目標を立てる。

それと、いつまたグンッと引き戻されて、苦しくなるやもしれないので、そういうトラウマの再演にハマり込まないように気をつける必要もある。

と、ここまで書いてて思い出したのは、テニスの「杉山愛さん」に憧れていたこと。

これは昨年の記事だけど、15年前くらいにも同じような内容の記事を読んだ気もする。
超級のプロかつ成功者なので、おこがましいのですが、杉山愛さんの笑顔や前向きさ、裏表の無さ、人柄の良さみたいなのは、画面越しから伝わるものがあり、プリンスのラケットを使おうかなと思ったことがあったほど。

自分が憧れるのは、やっぱり人柄の部分やマインドで、

「杉山愛(概念)になりたい」

という目標を持って良いのかもしれないと思い始めたところで、今日のところは終わりにします。


おわり

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