結婚式なのに、空を撮る人
どこの結婚式場も同じだと思うが、プランナーの一日は芸能人かのような分刻み。マネージャーをつけてもらって良いのではないかと思うほど次から次へとアポイントが舞い込んでくる。特にラ・クラリエールの場合はお客様との打ち合わせはもちろん、イベント企画やブランディングに関わる商品開発・パートナー企業との打ち合わせ、スタッフの制服デザイン協議・採寸、時にはガーデンの芝に水やり、そして企画したイベントで披露する歌の練習まで行う。なぜここのプランナーがここまで運営の細部にまで関われるのかという議題は別記事で書くとして、多岐に渡る仕事をこなすプランナーと一緒に結婚式を創る一員から感じたことを今回は書こうと思う。
無事に式が結ぶとプランナーはお客様を見送り会場の片づけを始め、早速次にやるべき仕事が頭をよぎりながらもこんなことを考える。ふたりはどんなことを話しながら帰っているのだろう、お父様が酔っ払いすぎていたけど平気だろうか、やっぱりご友人もふたりに雰囲気似ている方が多かったなぁ。
明日からふたりはどんな日常に戻っていくのかなぁ、今日のことをずっと忘れないでいてくれるだろうか…たまには思い出してほしいなぁ…と。
みなさんは空を見上げることがあるだろうか。見上げることがあるとすれば、それはどんなときだろう。どんな気持ちのときだろう。
生きている全員が毎日を必死にこなしていくなかで、今の空の状態をゆっくり見る時間は意外とないのではないだろうか。休みをもらっても予定を立て誰かと出かけたり、家でゆっくり話をしたり。ひとりで過ごす場合もそれなりに忙しい人もいれば寝て一日が終わる人もいるだろう。
何が言いたいかというと「人が空をゆっくり見上げるとき」というのは、そうしたくなる何かが起こったときなのではないかということ。あとで振り返ると人生の節目になっていたようなシーンではないだろうか。
ハッシュタグ #イマソラ #カコソラ が流行ったように、毎日の空を記録することが習慣化している人もいる。その人たちもなにかのきっかけがあって空を見始めたはずだ。筆者はこの「空を見上げたくなるとき」の勝手な仮説に気づいてからは、ゆっくり見上げたときの空をどんな忙しくても必ず写真に残こすようにしている (腕に自信がないので手持ちスマホの内蔵カメラで1ショットだけ)。それを続けているうちに、似たような空を見ると「○○で嬉しさ絶頂だったときの空に似てるなぁ」とか「あのどん底期間から早くも半年経ったか」と、日記やブログなどをわざわざ見返さなくても過去の節目を振り返ることができるようになった。気持ちに変化があったときは自然と空を見上げる癖までついた。
結婚式当日の話に戻る。
ふたりを式場前で「本日はおめでとうございます!」と出迎えてから「会えなくなるのは寂しいけど...」と見送るまでの一日はやはり分刻み。プランナーもそうだがふたりの体感はもっと一瞬のはず。幸せな時間ほど過ぎるのは早いという言葉を人生で一番確認できる日だろう。もちろんそのなかで空をゆっくり見上げている時間はない。表現を変えると、目の前の景色が予想以上の楽しさや嬉しさで心をいっぱいにしてくれるから、他の感情を入れる隙間を与えてくれないのだ。でも、この日はふたりにとって間違いなく人生の節目となる日。この先、あれこれ悩んだり過去を振り返ったときに必ず頭をよぎるであろう日。
結婚式翌日からふたりは輝く衣装を着るわけでもなく、友人からの鳴りやまぬ拍手喝采を浴びることもない穏やかな...いや、普通の日常に戻っていく。優しい時間を積み重ねるだけであれば良いが、そんな言葉で語れるほど日常というものは綺麗ではない。三橋の森に帰ってきてくれるお客様たちも、お会いするときはこちらが本当に幸せを分けてもらえるくらいの温かい笑顔で再会するが、裏ではその家族の数だけ大人たちの奮闘劇があるのだろう。時には、自分がこれまで選んできた選択肢を疑いたくなるような日もあるかもしれない。どんなに頑張っても見えてこない光に待ちくたびれてしまうこともある。そのとき、もし自分の頭の中に忘れられない空を持ち合わせていれば、ふと顔を上げるだけで過去の自分と話すことができると思うのだ。
結婚をした人にとって、今歩んでいる人生で何かつまづいて過去を振り返るとき、結婚にまつわるシーンを思い浮かべないことはないだろう。直接そのシーンが関係なくとも、今の生活基盤へと大きく変化があった出来事なわけだ。もう何が言いたいかほぼ伝わっているかもしれないが、
この日の空を覚えている人は得だと思うのだ。
本当は損得で物事を考えたくはないし、「この日の空を覚えている人は〇〇だと思う」と思いうかぶ他の言葉があったがあえて抑えめの表現にしておく。出生・結婚・死、人生で唯一自分で選ぶことのできるこの節目を、空を見上げるだけで思い出すことができるなんて、どれだけお手軽なタイムスリップだろうか。
ひとが空を見上げたくなった理由は他人にはわからないし、どんな空を思い出しているのかもわからない。でも空を見たり撮ったりする人が沢山いるなかで全員にはっきりと言える共有点としては
誰ひとりとして、あのときとまったく同じ空を見つけられる人はいないということ。
前述と似て非なる発言ではある。しかし今見上げた空と過去の自分が見上げた空がよく似ていても、まったく同じ空ではないはず。少し色味が違ったり、雲の量が違ったり、同じ晴天でも季節によって広さや高さが違ったり。日の入り時間が毎日少しずつずれているわけだから明暗の移り変わり具合も違う。まったく同じ空には出会えない。それは、あのときとまったく同じままの自分には二度と出逢えないことに通じるのでなはいか。
自分ではあのころと少しも変わってないと思っていても、100%変わってないということはない。まず体内の細胞が勝手に入れ替わっていく。自分が前に進めていないと思っていてもそれは違う、進んでいるのだ。ほんのすこーしかもしれなけど確実に進んでいる。というか進められている。くり返す毎日の奮闘劇を必死に演じきっていくだけでも、自分の中の何かが体内細胞と同じように勝手に成長させてくれているはず。自分は周りと比べてなんにも成し遂げてないし、ただ同じ毎日の繰り返しだな…なんて思った日も顔を上げれば大丈夫。今見上げた空と同じような空に出会ったら、今日のことを思い出せるし、そのときの自分と空は必ず何かが違っているはずだから。
ラ・クラリエールで結婚式を挙げるうえで、カメラマンを指名することもできる。そのなかに ふたりの人生を物語るうえで欠かせないシーンを逃さず撮ることはもちろん、空の写真を必ず撮る人がいる。この記事で目に入ってくる写真たちはとあるイベントを開催したときのもの。一枚の写真をじっと見ているだけで何通りもの会話や被写体の想いを想像させるものばかりなのだが、『空』のように人間が映っていない写真も多いのだ。しかも撮るだけではなく、買い手に届けるデータにきちんと入れて納品までするのである。もちろんこのイベントや、筆者の担当結婚式で一緒に仕事をしたこともあるが、そのときの空を残しておいてほしいとオーダーをしたことは一度もない。もちろん前述の空にまつわる仮説について熱く語ったこともない。
なにも伝えていないのに(お客様からの要望についてはしつこいくらい伝達を繰り返すが)、この写真たちを残してくれることに対してどれだけ心強いと思ったことか。なぜなら、これだけ深く「空」というたったひとつの言葉について綴ってきたようなことを 同じように感じながら生きているのではないかと勝手に共鳴することができたからだ。もちろん心で感じる想いや頭に浮かぶフレーズはまったく違うのだろうけど、こちらがオーダーしていなくとも人生の節目を迎えたふたりにその日の空を残してあげようとする心意気とセンスに「それ、それなんです」としびれていた。
撮影者がお客様にそのシーンを撮ったきっかけや想いを伝える機会はなかなかない。だから、きっとその人が納品した写真をどんな想いでお客様が見てくれているかは想像するしかないのだろう。彼らの作品センスにはプランナーも拾いきれていない理由があると思う。ただ、創り上げるうえで最も大切なのはなんといってもスタッフひとりひとりの「結婚式」という舞台に対する想いと人間性。これに尽きる。
↑前回の記事にも書いたが、結婚式はふたりの人生物語のハイライトに間違いなくノミネートされるシーンだ。あとから思い返さないわけがない。そんな日を一緒に創るのだからお客様がスタッフを重視して結婚式場を探すのも無理はない。全国に様々なスタイルの結婚式場があるし、運営方針も違う。冒頭に記述したようにラ・クラリエールはプランナー陣が運営の細部まで担うが、結婚式創りはパートナー企業の外注スタッフにも協力して貰いながら行っていく。なかにはこれを×とし、すべての部門においての(プランニング以外の装飾・撮影・美容・衣装など)内製化を強みとしている結婚式場もある。どちらも結果としては良い結婚式を目指しているから一概に言えないとはいえ、良い結婚式創りを追求するうえで果たしてどちらが良いのだろうと考えなかったことはない。
ただ、ふたりが見れなかった二度と巡り合えない大切な日の空を残してあげようとする人がそばにいることでこう思える。属している会社が違うとか、同じとか、もはや関係ない。まったく関係ない。いやいや、いろんな細かいことが違ってくるのだよ...と大人に諭されたとしても言える、関係ない。
人と人とが結ばれ、一緒に生きていこうと決意したことに対しての応援や不安の共有、なによりも世界一の晴れ舞台を創り上げるというプロとしてのプライドを持つ人たちが集まれば他になにか条件がいるだろうか。会社、年齢、性別、出身、経歴、思考...。むしろこれらが一致していたとしても先のものがないと、忘れることのないハイライトシーンなど創ることは出来ないと思う。
これから先このベクトルをぶらさず進んでいくことが、どんな時代の「ふたりの未来」にも幸せをもたらす道しるべとなってくれるはずだ。
三橋の森でレンズを空に向けている人を発見したら、是非こっそり一緒に見上げてみてほしい。
いつか似た空にあなたがまた巡り合えたとき、きっと優しい気持ちににさせてくれるはずだから。
おわり*.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本日もお立ち寄りありがとうございました*.
また次回もお楽しみに♪
▼公式Youtube
▼公式Instagram
▼公式HP (無料見学&試食はこちらから)
▼アクセス:大宮駅 西口からバス7分(片道¥180)