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オファーと天職(映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」)

自分の天職とはなんだろうか、と、折に触れて考えたことがある。
いろいろな経験をしてきて、この問への回答の糸口のようなものが見つかってきて、2年前にキャリアコンサルタント国家資格を取得した。
このキャリアとは仕事のことばかりではなく、人生における行動・学び・経験などすべてを言う。
自分が自分の人生において、この世界で行うこと。
それを、「これは私の天職だ」と思いながらできたら、どんな心地がするだろうか。

資格取得の学びの中で、ある書籍の引用で出会った言葉がある。
アメリカの神学者が天職(Vocation) について語った言葉。

『The place God calls you to is the place where your deep gladness and the world's deep hunger meet. 』
あなたの天職は、あなたの深い喜びと世界の窮乏が出会う場所。

(引用:「Wishful Thinking」 Frederick Buechner)
(訳引用:「新版キャリアの心理学 第二版」)

天職において、まず自分の喜びが前提としてあるというのが心に響く。
ただ一方で、その喜びにすぐ気がつけるものだろうか?とも思った。

ここで、大好きな作曲家エンニオ・モリコーネのことを思い出した。
彼の伝記的映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を見たときに驚いたのが、彼は奥さんに何度も何度も
「次で、映画音楽はやめる」「もう次が最後」
辞める辞めると言いながら、あの美しい映画音楽を作っていたということ。

彼は純粋なクラシック音楽を作りたく、クラシック音楽家として生きて行くことを望んでいたと彼自身が映画で語っていた。
それが、あるきっかけから映画の世界に呼ばれ、認められ、図らずも映画音楽の作曲家としての人生を歩むことになった。
当時映画音楽は音楽界で低く見られていたこともあり、彼自身はあまり乗り気ではなかったらしい。
しかしその彼が生涯で成したこと、生み出した音楽の数々、業績は、世界中が知るところとなった。

映画を見ながら、どうにも違和感を拭えないような仕事を続ける流れの中に生きるうちに、それが実は天職だったということは、往々にしてあることなのかもしれないと思った。
それが天職かどうかは、自分がそう思えるような境地に至れるかどうか・・かもしれないし、一方で、天職かどうかは周りが判断するだけで、本人がどう思うかはまた別の話というような気もした。

モリコーネが晩年にどのような心境になっていたかは彼のみぞ知る・・だけれど、彼がどう思っていたとしても、彼にとって音楽を生み出すこと、そして映画音楽の素晴らしさをも生み出すことが天職であったということは、彼の音楽に心を動かされた人ならば誰もが感じるだろうと思う。

「オファーが来る」ということは、やはり「呼ばれている」のだろうと思う。天職がCallingとも言われる所以。
それが当初は自分の望みからはずれていたものだとしても、他人が自分を見て何かを感じたからオファーをしてきたというのは事実であり、それをまず引き受けてみることで、自分が見えていなかった自分のなにかが育ち、花開くこともあるのだろうと思う。

もう一つ、モリコーネの映画を見て心に響いたことがある。
それは、彼はいくら熱心なオファーでも、どうしても嫌なことや嫌な条件は断固として断っていたということ。
オファーを受けるときには、自尊心も必要なのだなと考えさせられた。

好きなことを仕事にすることについて悩む人は多いけれど、実は天職のような行動は自然に無意識にやっていることが多く、だからこそ本人が気づけなかったりする。
才能は、他人からはよく見えるという側面がある。
モリコーネに映画音楽をオファーした人のように、天の声って、人の口を通して語られることがあるのかもしれない。

ちなみに私の場合は、
「ちょっと聞いて…実は…」
と身近な人に言われ、転職や職場の悩み、恋バナ、離婚などの相談をされることが多いと、ある時気づいた。しかも、話を聞くのが苦にならない。
「ちょっと聞いて」が私への今のオファーと捉えて、件の資格を取るに至った。

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