我々はオーディエンスだ
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本来『オーディエンス』という言葉は“情報を受け取る人”を意味し、視聴者や観客もしくは読者を指す言葉です。しかし仮面ライダーギーツを見ている方々にとっては別の意味合いを持ちます。
つまり命懸けの死闘を安全な場所からショーという娯楽として楽しんでいるデザイアグランプリを視聴している未来人のことです。
仮面ライダーギーツという作品は第24話の緊急特番ネタなどで我々視聴者をも“オーディエンス”として扱っているように感じられる描写が多々ありますが、それはあくまでも(仮面ライダーギーツという)番組としての演出だと思っていました。
ですが第23話の「君達がギリシャ神話や戦国時代をエンターテイメントとして楽しむように俺達も楽しんでいるんだよ」というジーンの台詞も、捉えようによってはソシャゲで歴史上の人物や事柄をキャラクター化して課金ガチャを回してることへの風刺とも受け取れます。
それと第29話で祢音の真相を知ったオーディエンス達が誕生祝いに見せ掛けて彼女を呼び出した上で寄って集って罵詈雑言を浴びせる光景など、オーディエンス達の言動にはSNSでの炎上騒動やネットでのトラブルを連想させられます。
制作者側の意図とは異なるのかもしれませんが、これ等の事柄から前述で引用しているWeb事典等のオーディエンス一覧に『「仮面ライダーギーツ」を見ている視聴者』と記されても違和感が無い(むしろ視聴者自身も番組の一部という没入感が生まれる)と個人的には捉えています。
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何故こんな話をするのか?と言いますと、私が遊んでいるソーシャルゲームでプレイヤーの分身(アバター)である“主人公”に関わりがあります。
ソーシャルゲームを遊んだことがある人なら伝わり易いと思いますが、ガチャ等の手段で獲得したキャラクターで部隊を編成し、(ゲームによって呼ばれ方は異なりますが)その部隊を主人公が指揮するという内容のゲームも少なくない筈です。
そういうタイプのソーシャルゲームはMMOやアクションゲームと違い、プレイヤー自身がアバターである主人公を操作する訳ではなく戦闘場面にも居ない事も少なくありません。
ゲームの設定で主人公が戦闘場面に居らず後方から通信機器を駆使してキャラクターへ指示しているゲームならともかく、キャラクター達に同行してその場に居るという設定にも拘わらず戦闘場面には登場しない。
……つまり部隊の指揮者という舞台装置でしかなく戦闘時には存在しないものとして扱われる主人公だと、感情移入し難かったりストーリーへの没入感が弱く感じてしまいます。
ソーシャルゲームではシステムの都合上ストーリーは一本道なので、主人公もお人好しだったり頼まれると断れない性格でないと舞台装置として機能せず、プレイヤー自身との乖離を感じさせる要因になっていると思います。
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そんな私が仮面ライダーギーツの“オーディエンス”という概念に興味を抱いたのは、ソーシャルゲームの主人公やストーリーに乖離を感じてゲーム自体を楽しみ難くなっていた私に、自身は“主人公”のサポーターに過ぎずオーディエンスとしてゲームの世界を見ているという認識の方が感情移入し易いという考えに至ったからです。
仮面ライダーギーツはバトルロイヤルゲームをモチーフとしていますから“運営”また運営によって管理されている世界というメタな視点も否定できないし、ギーツの劇中でもオーディエンスは(未来人視点から見れば登場人物達はゲームのキャラクターでしかないので)気に食わなければ容赦なく罵詈雑言やブーイングを浴びせています(というか手が出せない分だけ口を出してくるイメージ)。
私自身もそういう者だと考えれば、主人公の言動に感情移入できなくて違和感を覚えたりストーリーに不満を感じて没入感を味わえなくても、「俺はソイツ(ゲームの“主人公”)じゃないしw」と下手にストレスを感じること無くゲームを楽しめそうな気がしてきました。
【追伸:2023年8月28日】
2023年7月28日に公開された『仮面ライダーギーツ 4人のエースと黒狐』だと、映画視聴者はジーンと共にギーツ達の活躍を見守っているストーリーになっているので、我々もオーディエンスであるということも強ち間違ってもいないと言える……かもしれない。
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