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“悪党”の反対語は何だ?

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 “悪人”の反対の意味を成す言葉(いわゆる反対語)は“善人”が直ぐに思い浮かびますが、では同じく悪い人を指す言葉である“悪党”の反対語となると、“善党”という言葉は聞き覚えが無いし何が該当するのでしょうか?
 結果から先に言いますと、Webで検索したところによると悪党の反対語も“善人”だそうですが、何か腑に落ちません。
 気になったので“悪党”という言葉の意味を検索したら、デジタル大辞泉では以下の通りに表記されていました。

1:悪事を働く者の仲間。
2:悪人。悪者。
3:中世、特に南北朝時代、荘園領主や幕府に反抗した荘民とその集団。

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 【3】の説明文を読んだ時、私が真っ先に思い浮かべたのが楠木 正成です。楠木 正成の出自に関する悪党・非御家人説の真偽はともかく、彼の言動や生き様は世間一般的に言われる悪党=悪人とは思い難いので、今回は中世日本における“悪党”がどういうものなのか調べてみたいと思います。
 ……とはいえニワカな私が興味本位で調べているので、WikipediaをはじめとしたWeb知識に頼り切りになることはご了承ください。

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 Wikipediaの概要によると悪党とは、荘園制が武士の浸食によって崩壊していく過程で、支配権を侵食していく武士を指し示した呼称として“悪党”が用いられた……とあります。
 まぁ律令制以来の秩序に従わず反抗したという事から、法を逸脱した者という意味で悪と呼ばれたのも(今で言うならクーデターとかテロリズムでしょうし)当時の価値観で見たら順当なのでしょう。

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 では何故に武士達は荘園制に反抗したのか?
 鎌倉幕府の初期には戦乱が慢性的に続いていたことから所領の再配分が起きて御家人への褒美も与えられましたが、鎌倉幕府が政治的に安定したら戦乱が起きなくなり所領の再配分も起きなくなり、御家人への所領の相続も分割相続から単独相続へと切り替わっていきました。
 それにより点在する所領の集約化と在地での所領運営が進み経済的に没落していく御家人が出始めたのと共に、在地領主による荘園の侵略(というか乗っ取り?)を防ぎたい本所と、荘園で自らの経営を確立したい(現地を管理している在地領主の一員である)荘官の間で対立や紛争が先鋭化していったそうです。

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 そもそも本所とは荘園制で荘園の実行支配権を有している者であり、その多くは大寺院です。
 宗教的権威は荘園を円滑に経営する一端を担っていたので、荘園への侵略は神聖性を犯す行為と民衆も認識していた故に、大寺院による荘園の支配体制は正当化されていました。
 しかし悪党が蔓延し始めた頃は貨幣経済や流通経済が急速に社会へ浸透し、私的所有の概念が広まっていたことで本所である大寺院の宗教的権威が失われていく時期でもありました。

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 また、この“悪党”には近衛将監(従六位上相当)の官位を持ち、北条 治時に助命および本領安堵を約束されて降伏したが処刑された平野 重吉(将監入道もしくは平野 将監)も含まれています。
 そういう意味から我々がイメージする悪人や荒くれ者というより、「命令や規則(および宗教的権威)に従わないもの」に対する価値評価を指し示していたと思われます。
 つまり“悪党”の反対の立ち位置に居るのは“善良な者達”ではなく、命令や規則および宗教的権威を有している支配層であると言えるでしょう。また封建制度と法治国家では異なる点が多々ありますので、“善党”や“良党”のような言葉が存在しないのではないでしょうか?
 以上が“悪人”の反対語に“善人”があるのに、“悪党”の反対語には“善党”が無いことへの疑問に対する個人的な見解となります。

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