生きる丘
こんもりとした丘が、赤い屋根を隠すようにしている。この光景は、目に新しい。男がかつて暮らした、十年前には見られなかった。
これは、ここ最近できたものらしい。丘に茂る草花は一年草で、男の靴を隠している。
男の歩みを噛む金属音が耳に痛い。
丘に踏み入れると、途端に鳴るこれが、丘のつくりを物語っている。アルミニウム製の死屍累々が悲鳴を上げるのだ。
丘の中核をなす場に、かつて平らであった場所に何があったのか、男は思い出す。赤い屋根から直ぐ先には、道の狭い国道が、そして自動販売機とバス停。脳裏に映る景色には、セピア色の太陽が影を作る。
男は、丘が微かにうごめいているように感じる。足元から伝わる震えに、何か生きるものの気配を感じる。
ヒトは、安易に生きるための発展を続けた。労働を段階的に自動化することで、自由を得ようとした。それこそが文明の大義であると疑わない。今や、自動販売機は、自動販売機と呼称されなくなった。この時代、販売機はそろって皆、自動なのだ。
商品は自動で生成され供給される。無から有のあらゆるプロセスを、数メートル四方の直方体が易々とこなすのだ。
男の幼少に見たものよりも、格段に先進的だった。
お金を入れれば飲み物を吐き出したあの箱は、自ずから清涼飲料の赤い缶を無尽蔵に作り出す。
暴走のきっかけこそなんであれ、男には見当がつかない。足を覆う草花を掻き分け、そこにひしめく金属の円柱を取り上げる。ずっしりと重く、表面に傷をつけると、中から黒色の液体が泡立ちながら溢れ出す。
丘をなす地盤の核では、尚もうごめくものの気配がある。赤い屋根が覆われるのも時間の問題だろう。
されど、人々は気にすることもない。丘のように積み上がった人類は、自動販売機の仕組みを知らない。