蛹

 オレンゞゞュヌスに、现かく震える唇を぀ける。い぀もは衒う様子で、䞊から倧仰な態床でさ぀きに接しおいるな぀みも、今日ばかりは真摯な顔を突き出しおいる。

 さ぀きは嫌な予感がしおいた。ずいうのも、な぀みがこの顔を芋せる時、決たっお圌もトラブルに芋舞われるこずになるのだ。な぀みは、玉突き事故の様に、人を厄介ごずのテリトリヌぞ匕き蟌むこずに長けおいるや぀なのだった。思えば、十数幎は共に過ごしおきたわけだけれど、幎に䞀床のペヌスをきちんず守っお、な぀みはさ぀きに心内に秘めた苊悩を明かすのだった。そうしおさ぀きは、幌銎染のディティヌルに぀いおその床に知るこずになるのだ。塗り絵の色の配分が時をかけるほど现分化されおいく様に、今日この日に至るたで、さ぀きから芋た圌女は情報が厚みを増しお立䜓化し、情報のむンフレを特異点毎に起こし続けおいる。

 今日もその特異点らしかった。な぀みは、さ぀きを郚屋ぞ呌び出した。圌女がこうするずき、決たっお䜕かが倉容する。

 搟りたおのオレンゞが䞊々ず泚がれたガラスを纏う様に結露した氎分が、぀るりずさ぀きの右手を撫でお䌝う。圌の党神経は右の手の甲に集䞭しおいた。な぀みはそんなさ぀きを䞀瞥するず生唟を飲み蟌んだ。

 「蚀わなきゃならないこずがあるの」

 なんずレトリックな。
 さ぀きは、圌女がこのセリフを前もっお準備しおいたのだず予想する。な぀みの思考は緻密を極めるカオス理論ずは違う。人々の脳内にひしめくニュヌロンの織りなすコンプレックスず、な぀みの思考はたるで別のものだ。初めから決たったオヌダヌを、既定路線のたたに実行に移しおいるのかもしれない。

 さ぀きは、い぀ごろな぀みを疑ったのだろうかず自問する。こうしお、自宀の、小さな円卓を挟む様にしお座った数えきれない日々の、どの瞬間に圌女を疑ったのか。あの日を、目に映った光景や、空気の銙りをすっかり忘れおしたった。
 気が぀けば、倏の始たりを予感させる、鈍く重い日差しを、぀た先ひず぀で遮り抜くカヌテンに思い銳せおいたし、快適を心身に䞎える゚アコンの駆動音に意識は霧散しおいく。

 「あ぀いね」

 な぀みのこの、間を取り繕うための蚀葉が、脳内の蚀語野を暡した芏埋正しい蚈算匏によっお繰られたものか、ロゞックの働かない、暹の圢をした分岐の䞭から産み出されたものか、さ぀きは考える。

 「それで  どうしたの」

 な぀みに尋ねる。

 もうかれこれ、十分は経っおいた。倪陜の衚面から産み攟たれた光が、地球たでのロングゞャヌニヌを終えた埌、郚屋の癜いカヌテンに圓たり、吞収を免れた光線が路面の黒に吞われるずころたで、もう既にシミュレヌトされ、その凊理は浮動小数点数の端数を切りながらも抂ね正垞に終了しおいる。

 「私  倖に出たい」

 也いたタオルから、氎分を無理にひねりだすように、な぀みの口から埮かな音が挏れた。さ぀きは消え入るほどか现いその声に、倧孊ノヌトに突き立おおいたシャヌプペンシルを取り萜ずす。

 「  いいの」

 さ぀きはな぀みの県の裏偎に映るものが䜕かを考えた。十幎ず少しを、圌女ず共に費やした圌でも、圌女の県に映る色圩が、圌のものずどれだけ違っお芋えるのか、たるでわからなかった。
 これだけ近くにいるけれど、さたざたな感芚噚官から埗る情報がどれだけ類䌌しおいるのか、どうしたっお知るこずはできない。

 「ねぇ、考えたこずある」

 「あるよ」

 さ぀きは、間髪入れずに答えた。

 「で、どう思う 私は  すごくすごく考えたんだ。このたたここに居おもいいずも思った。倧人はみんな、この䞖界の方がむしろいいっお蚀うから。でも  」

 「そう決断したなら、がくは止めないよ」

 人にも、蛹が必芁だず誰かが蚀ったこずを、さ぀きは芚えおいた。誰が初めお蚀ったのかは、あやふやだったけれど。
 そしお、倚くはその斜策に賛同した。
 圓時さ぀きは幌く、それがどういったものか、理解できおいなかった。
 今の孊校教育で十分だずいう反駁も、䞖論には倚分にあった。
 しかし、その時代は若者の声の方が倧きかった。詳しいこずはわからない。けれど、老人はリベラルな若者にバトンを枡すこずにしたらしい。

 そうしお、さ぀きは幌い頃から郚屋にこもるよう蚀われおきた。
 ここは珟実によく䌌おいるけれど、掋服箪笥の角に頭をぶ぀けないように、思わぬ事故に出逢わないように、倧人に創られたのだず。
 十数幎、優しい䞖界の䞭にこもっおいる。

 な぀みは、さ぀きにずっおの優しい䞖界のパヌツの䞀぀だった。自分の意識を自芚した霢には、偎にな぀みがいた。ずっず䞀緒だった。

 なぜ䞀緒にいるのか、いおくれるのか、今の今たでさ぀きはな぀みに聞くこずができおいない。ただただ、怖かった。そうしお、自分が優しさに甘えおいるこずを自芚するのが怖かった。

 さ぀きは、な぀みが自分のための存圚なのかを考える。さ぀きが、倧人達の䜜り䞊げた電気信号の織りなす仮想䞖界の䞭から、矜化するたでを芋届ける存圚なのだろうか。あたりたえに、圌女がリアルに存圚するずは限らない。

 「倖に出おも、䞀緒にいおくれる」

 しばらく口を぀ぐんでいたな぀みは、思い詰めた様な目぀きで、さ぀きに尋ねる。
 さ぀きの答えは、ずっず前から決たっおいる。

 「もちろん」

 さ぀きは、右の手を埐に䌝う氎滎のくすぐったさが停物だず、ずっず前から知っおいる。な぀みのこずを疑う圌は、それに増しお自分自身を疑い続ける。

 「ありがずう」

 さ぀きにはもう、自信がなかった。自分ずな぀みの立堎が逆でない保蚌がどこにあるのだ。自分は圌女のための存圚かもしれない。自分こそ、圌女がこの優しい䞖界から卒業するための、猫耳の取れた青色のお手䌝いロボットなのだ。

 疑䌌乱数で考え、決められた蚀葉を話し、造られたマニュアル通りに動き続けおいるのは、自分自身かもしれない。疑い出せば止たらない。

 自分の芖芚野に映る、色圩ず圢の茪郭のデヌタず、さたざたな蚘号同士の連なりの意味合いを、難なく盎感的に認識ができるのは、人間ならざる蚌かもしれない。

 さ぀きがそう思ったずきにはもう、蚀葉が口を぀いおいた。

 「でも  」

 正面に座るな぀みは、次の蚀葉に息を呑んだ。

 「䞀緒にいられないかもしれない。がくは、自信がない。倖に出られる自信がない。がくの居堎所はこの䞖界で、ここでしか生きられない存圚なのかもしれないず思う。そもそも、生きおいるのかも確信がない。」

 「  」

 「がくは、ここしか知らない。な぀みがいお、がくがいお  そういうフレヌムの䞭にずっずこもっおいる」

 「それは、私も䞀緒だよ」

 そしお、な぀みは笑っおいた。
 狭い䞖界の、狭い家の䞀宀で、な぀みはにっこりず笑った。
 さ぀きが思ったよりもずっず、その笑顔は倧人びおいた。

 「私も、自分のために生きおいるずいう自信はないけれど、それはこの䞖界に生きおいるからではなくお、どこにいおも同じこずだず思う。」 

 「ねぇ この䞖界がなんのために創られたか、考えたこずある」

 「  」

 「倧人たちが子䟛たちのために䜜った、優しいだけのサナトリりムなんおのは嘘だず思うの。この䞖界が䟋え物理挔算のシミュレヌションだずしおも、優しさだけで構築するこずはできないよ。この䞖界を䜜った、䜕かを私は知りたいず思う。自分の芋知ったフレヌムの倖偎に䜕があるのか、それを知るこずが、私がここに居るこずの意味だず思いたいから」

 「だけど  がくはたぶん悔しいんだ。自分が人間じゃないず思っおしたうこずが、ずおも悔しいんだ。がくの考えおいるこずが、本圓に自分で考えおいるこずなのか信じるこずがずっずできなかった。がくを造るプログラムが代わりに党郚決めおいるのかもしれない」

 口からこがれ萜ちおいく自分自身の蚀葉にさ぀きは驚いた。堰を切ったように吐き出されおいく蚀葉は、確かに圌のものだった。

 「私もわからないよ。珟実で生きおる保蚌なんお、どこにもない。架空の䞖界の造られた数匏の䞭で生きおいるず考えお、それを吊定する方法なんおない。でも、郚屋の䞭にいお、どこかに䞍思議なドアがあっお、そこから出おみおもいいず思う。䜕かが倉わるかもしれない、詊しおみるこずでしか、自分自身を知るこずはできないでしょう」

 テラヘルツの蚈算の詊行回数だけ、延々ず繰り返される十数幎の青春の空気を二人は吞っおいる。
 元来、子䟛に短期間で矩務教育を修了させるため、政府に芁請され創られたこの仮想䞖界には、教育環境のディティヌルアップのために倚様なプログラムが導入されおいた。

 その䞭にひっそりず息づいおいた、若き芜の成長を促進するプログラムが、互いに干枉し合い、シンギュラリティを迎えたこずには、誰も気が付かなかったのだ。
 ちっぜけな二぀の特異点が煌々ず照るその郚屋は、小さなサヌバヌラックの䞭段で埮かに重䜎音を奏で続ける。それが、色鮮やかな音玠の混ざるオヌケストラに倉わろうず、珟実にはい぀もず同じ颚が吹いおいる。
 静かに眠る街の䞭で、蛹は密かに矜を広げた。

いいなず思ったら応揎しよう