これから、文を綴るにあたって

 文章の構成を維持するという行為そのものが、自分の首を絞めているようなものなのだと気付いたのは、暇さえあれば文を書き始めたころ(酷い小説を書いていた)のことでした。
 小説然り、書き始めると、視点は愚か――登場人物でさえ何処かへ去ってしまうようなことまであるのです。詰まる所――私は、自分は”文才”というやつが、著しく欠如している人間なのだと気づいてしまったわけです。
 自己表現には様々な手段があります。文、音楽、絵、それぞれ、芸術、娯楽として開花し、多くの人間の目に触れるものもあれば、誰もが目に止めぬ、深淵の底の方で蠢いているような悲しいやつも多く存在しています。
 私の文はそんなようなものの仲間――誰の目にも触れぬ、ただネットの端の方に溜まっている――何の教養にもならぬ、娯楽にもならぬ、意外性の無い駄文でしかありません。
 それでも許されるのなら、いくらでも書かせていただきます。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 テーマとして掲げるものすらないのにもかかわらず、成り行きで語るとなると、どうも無理があると言いますか、キーボードに羅列されたアルファベットを眺めるのみで、筆(タイピング)が進みません。
 さて、三分ほど天井を見つめて静かに考えてはみましたが、何も思いつかないので、そもそも、私が今始めようとしているネットにおいて文を綴る行為そのものについて、考えてみることにします。
 
 さて、今でこそインターネット上には色とりどりの画像、動画が溢れていますが、インターネット黎明期――個人ホームページ天国とも言えるような時代から、多くのブロガーが台頭していた時代に掛けて、インターネットのメインコンテンツといえば、テキストサイトでした。
 ネットの世界に潜り込んで、見えてくる光景は、文、文、文、の連続。つまり、当時のホームページ運営者は、如何にして大衆の目を引くか、今のネットに比べればはるかに狭い、僅か文章のみという制約の中で考えに考えて文を紡いでいたのです。
 そして、今のネットユーザーに比べて、その文章に求められる期待値も高かったのでしょう。それは、今と比べてネットに潜る行為そのものの敷居が高かったため、ある程度年端のいったオタクと呼ばれるような方々のみで構成された、狭い狭い世界だったからです。彼らは、そんな世界で、新しいものを求めてインターネットの海を彷徨っていました。
 電話回線でモデム接続をしていたような時代ですから、小学生が片手でスマートフォンを操作しているような今と比べればはるかに、初期難易度の高い世界だったと言えます。

 早速、当時流行していたテキストサイト数個について、駆け巡ってみました。

 結果、アングラの連続でした。
 ネットといえば、暗い世界の印象があったのでしょうか――今ディープウェブ、ダークウェブがインターネットそのもの、というような、そんな印象を受けました。
 強調された赤字に、黒い背景――堪らないですね。何となくですがページ全体に映画ブレードランナーの様なディストピアSF感が漂っていました。
 それから、見える見出しといえば、エログロ、その他、信憑性のない噂話の様なものばかり…
 閲覧者は、犯罪の現場を覗くような、野次馬精神のもと、このようなサイトを訪れていたのではないでしょうか。
 今の教育者が言う、インターネットの情報は、過信するな――なんて言葉は当時のこの背景から生まれたのかもしれませんね。今でこそ、求められるネットリテラシーですが、当時こういったテキストサイトを楽しんでいた人間は、全て理解した上で楽しんでいたような、そんな気がします。

 インターネット利用者の低年齢化、そして、より簡単に利用できるようになった昨今、陽の光をさんさんと浴びせられたインターネットちゃんはその黒い影を隠すようにして深く深く沈め込んでしまいました。
 しかし、未だ強く根を張るようにして生きながらえている、所謂、ディープウェブと呼ばれるテキストサイトの進化系達…私個人から言えば、お子様方の目に触れるのは宜しくないでしょうけれど、是非生きながらえて欲しいですね。

 文で追うインターネット史、次に辿り着いたのは、ブログ、mixi、チャットサイト、掲示板等でした。他人との会話を目的としたものや、今でいうTwitterの様に呟くためのものなどが、大きな勢力になりました。
 そして、これらは大きな一点に収束しています。それは、”繋がり”つまり人と人との対話です。エヴァでいう、人類補完計画の思想といいますか――相手の心内を知っていたい、そして、相手に自分の胸中を知られていたい…という感情です。
 そして、これらを表すために使われているのが”文”。
 ここで早くもテキストの限界、行きつくところに行きついてしまった感が拭えません…

 おまけはネット小説。
 携帯小説と同時期でしょうか、インターネットにも多くの小説家志望様方が、遥かなる冒険譚等々を書き連ねていたわけです…
 テキストサイト時代にも、インターネットサイトといった特異性を生かした小説形式のサイトは幾つか見受けられましたが、それがよりカジュアル化したものと云いますか――つまり、路上ライブの様に、小説をインターネットに垂れ流して見て頂く、という文化が大成していったのでしょう。
 これは、今でいう所の『小説家になろう』その他サイトの前身的な姿だと言えます。
 しかしこれは、別の異なる帰着点で、今回言及したい”文”の世界とは他の界隈といえるので、余り着目しません。

 話を元に戻して…”文”は本来、紙と筆のみで表すことのできる、簡易にして至高の自己表現であるでしょう。そこに世紀の変わり目、それまでの情報の重要性を覆す、もはやパラダイムシフトとも言うべき革命、インターネットなるものが誕生しました。ここに文がどう関与していくのか、後追いではありますが、こうやってもう一度、その変遷を辿り直してみると、結局人類は、”文”に頼り続け、それは技術革新に寄り添い続けていました。

それは、娯楽的な要素としての、小説、映画、その中で、新たに誕生しつつある、『人との繋がり』というジャンル(これについて、詳しくは別で語りたい)として、インターネットの普及とともに、いつの間にか浸透していたのです。
 もはや、”繋がり”は”必要性”→”娯楽”の域を超え、依存力を高め、一部人類の新たな進化形態ともいえる『ネット廃人』には”必須”の域に達してしまったわけです。
 その”繋がり”に絡むようにして、”文”は息づき、人の心とより密接な関係を気付こうとしています。
 lineでしか会話しない家族――そんな話も訊きますし、文そのものが心を繋ぎ留める最後の手段、そんな状況にすらなりえているのです。
 人に感情を伝える『言葉』を伝える手段としての”声”を越えつつある、”文”。
 その使用頻度の原因としては、感情吐露の安易さが大きいのでしょう。インターネットは見かけ上の匿名、という体質を持っているのも要因といえます。
 どんなにメンヘラ発言を繰り返したところで、身バレしないのですから、万々歳ですね…
 しかし、こういう方々の台頭により生まれつつある、一日の会話回数よりTwitterの呟きの数の方が多い、そんな世界

 奥ゆかしさ、わびさび精神である筈の日本人も、抱えている物が多かった故なのか、王様の耳はロバの耳――とでもいうように、日ごろからTwitterに縋り、呟きに呟きまくっています…(私も然り)
 それらはまさしく”文”で表され、共感、対話を経て(無反応もある)、インターネットの底へ沈んでいきます。

 『インターネットで文を綴るために、インターネットにおける文の立ち位置を巡る旅』を終え、一つ気付いたことがあります。
 私が今、”文”を綴っている――この行為こそが、昨今のインターネットにおける”文”の使い道であり自己表現として、相手に物事を伝える(繋がる)ためのツールとして使っていただけじゃないか…!?(Twitterポエマー並感)という事です。
 そしてそれは、そもそも、ネットという枠組みを他にしても、”文”本来の使い道であり、たまたまその場がインターネットだったというだけであるという事実です。シェイクスピアが戯曲を執筆した、自己表現的な意味合いでの創作行為と、私がインターネットに、はじめっから最後まで意図の分からぬ長文を記しているこの行為が、意味合い上では同等であると考えたならば、これはもう最高ですね…(は?)
 さて、急な出来心で文について文を綴ってきたわけですが、結論を言わせて頂くならば、”文”を片手に引っ提げた我々ネット文豪(自称)は、昨今のネット利用目的、栄えあるNO1であるところの”繋がり”を求めてこの場に降り立ってしまった…ということですね…

 ここで私の手が疲れてまいりましたのでお開きにしましょう。

 それでは。

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