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何となしに文字を書く夜

 なんとなく文字を書きたい夜がある。そういう夜はいつも前触れなくこちらへ歩み寄ってくる。お呼びでない。しかし、こっちの気など知らない。奴らがぶら下げてくる文字への衝動に耐えきれないまま、こうしてキーボードの上を自分の知らない生き物であるところの、肌色で両方合わせて十本の棒が突き出したソレが蠢き出す。実にいい迷惑だ。こちらとしては、控えていただきたい。しかしそうして冷静でいられるのは、はじめの数行だけと決まっている。その数行を過ぎたあたりから、興が乗ってしまって文字を書いている方も、他の一切合切をかなぐり捨ててとりあえず満足するまでは波に乗っかってしまおうとする。文字がうねるように紡ぎ出されるまま、185ml微糖の缶コーヒー片手にニヤつき始めて、されるがままにキーボードをカタカタいわせる。

 そうして、次第にはじめの勢いが抜けていく。するりと、手持ち花火の始まりの音のような勢いは失われて安定期に入る。安定期では脳を跋扈していた言葉の群れが落ち着き始めて、熱いフライパンの上を自由に跳ね回っていた油の粒が統制をとり集団行動を始める。磁性体が初めて磁石と化すようにいつの間にか方向は揃ってしまって、どうにか文に一律のベクトルを与えようと考える。それがはじめからの使命だったような気さえする。人に、支離滅裂な文を読まれる可能性が空恐ろしくなり、なんとかして言葉繰りに上品さを醸そうと言葉の帯びている空気が変容しだす。

 けったいなことだ。深夜を跨ぎ朝っぱらから何をしているというのだ。誰に読まれようとそれによって何ら得られる訓戒の一つもないであろう文を錬成することに喜びを覚えている。露悪をしてストレスを発散するようなものだと猛烈に恥ずかしくなる。
 土台、これは大変に体に悪い趣味だと思いたつ。文字をいい加減に浪費すれば身の内に控える言葉の貯金を、賭場に立ち並んでいるだろうガッポリと口を開けたATMのように吐き出してしまって、それでは私が建てることができたであろうと信じてやまない新時代のサグラダファミリアを前にしてバラック小屋を手当たり次第に増築し続けているような有様なのだ。大変に無為である。ああ、どんどん気が落ちてきた。折角、深夜を乗り越えお目々パッチリ気持ちの良い朝を迎えようと、遮光カーテンを締め切りっぱなしの窓越しに手を揉み準備していたところだったのに。

 さて、一千字に達しようという頃には、頭を流れるどろどろの血に急かされて無味な文字を列挙する衝動というのも尻すぼみになっていって、一応の結びをつくってしまおうと手が方向を変える。まさか突然曲がることもないだろうと思われた、猪突猛進する巨大なマシンが唐突に小回りを利かせ想像だにしない結末を勝手にこしらえる。やはり、始めっから終わりまでいい迷惑なのだ。かくいう私も、この頃になると踵を返して序文からここまでを推敲するべきか否かという壁に阻まれることになって、たとえ一旦立ち返り文字を読み返すようなことがあれば、ここまで紡がれてきた文字はカーソルのスライドに従って青色の衣を羽織り、次の瞬間白紙へと戻ることになる。本来生まれることのなかった文字に、手や脳や、プリントアウトしてきたシステム全体が、これをする前に処理すべきだった事柄をメモリーからずるずると引きずり出し、無理やり引き伸ばしたビニールのようにでろでろになったそれらにトリアージ。日常を思い出せば、それにかかずらう事項に赤タグをつけてやろうと躍起になるのだ。

 そうして類にもれず、深夜三時の文字遊びに蹴りをつけるべくデリートキーへと手を伸ばす。
 今日は、たまたま違ったみたいだけど。

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