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ほぼまいにちSF日記

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#SF

仮想世界と旅記

 四年ほど前から仮想世界を揺蕩い、やおら漂流している。
 モニターの前に座り、或いはヘッドマウントディスプレイを被り、点と線と、そして面で構成された世界の住人と対話をして過ごしてみる。
 私から観て、彼ら彼女らはそこに住まい、あたかもヴァーチュアルに生を享け、かつてよりそこに生きているかのようなので、そのポリゴンの集合の中には現実に呼吸する人がいることを、ふと見失うことがあった。
 当たり前のよう

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甘味控えめプリン

 甘さ控えめ、を謳う食品がある。本来、甘味であることが本分であった食品は、その半分を削られながらも、尚屹立する。須く、甘くあるべきとは言わずとも、プリンは甘みを保って己を認識しているのではないだろうか。

 今日、あらゆる食品にはナノマシンが注入されている。食品は自ずと考える力、意識を持つ。そして、意識は食品の味覚的要素、栄養、安全性を保証する。

 食べ物は人間に隷属し、己を最も人間は適した形へ

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闇風呂

 暗闇に沸く熱湯。
 嘗ての在り場所。
 記憶の中の景色。
 それらが全て、一様に閉じ込められた風呂場の中で、男は徐に目を瞑る。ホワイトノイズに隠れた人の声、映らずとも見える色。心の底に隠れていた情景のありようを、こうして再認識すること。
 茹だるような夏の夜に観た夢の、冬の夜の汗をかく窓の、その一コマを凝視しながら、過ぎゆく日の譜面を思い出していたのだ。

 千年の記憶を持たねど、そして男は知る

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接吻するウニ

 ウニがキスをしていた。
 聡子にはその光景が、ウニにとっての接吻を意味する行為なのか正確にはわからなかったが、人間に置き換えてそうなのだろうと思う。
 二匹の全身を覆う棘と棘が、漏れなく互いにぴっちりとくっついているのだ。その数え切れぬほど多い先端同士を突き合わせている。
 聡子はしばし、その様子を微笑ましく思い、水槽に額をつけるようにして観察していたけれど、ふと、眼前で進行している事象の可笑し

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生きる丘

 こんもりとした丘が、赤い屋根を隠すようにしている。この光景は、目に新しい。男がかつて暮らした、十年前には見られなかった。
 これは、ここ最近できたものらしい。丘に茂る草花は一年草で、男の靴を隠している。

 男の歩みを噛む金属音が耳に痛い。
 丘に踏み入れると、途端に鳴るこれが、丘のつくりを物語っている。アルミニウム製の死屍累々が悲鳴を上げるのだ。

 丘の中核をなす場に、かつて平らであった場所

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落ちるということ

 重力に身を任せ、四肢を避けるようにして流れる空気を愉しめ。
 脳の制御下を離れ、空間をひしめく粒子の密度によって、複雑に揺蕩う指先から、そのゆらぎの感覚のみが合田の元へと帰ってくる。

 合田はかつての繋がりを、頭上遠くへ置き去りにしてきた。いつか逃走してやろうとは思っていた彼ではあったが、まさか逃落という形で、望まぬ自由を得るとは露知らず。
 しかし落ち込んでもいられまい。不可逆的な事柄にいち

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『Ctrl +C→V』

 ニックは直感から、そこそこ重い銃だろうなと思った。銃口はどういうわけか痙攣をずっとやめないが、しかしそれは仕方のないことだろう。
 正面の男は、明らかに武器の類の扱いには慣れていそうにない。
 自分の顔面から垂直にぽっかりと空いた黒い穴の先には、真鍮の軸に火薬の積められた凶弾が、ニックを睨めつけている。
 助走さえあれば飛び越えられそうな程の幅をした、小川を挟んだ距離まで死と接近してみて、初めて

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 オレンジジュースに、細かく震える唇をつける。いつもは衒う様子で、上から大仰な態度でさつきに接しているなつみも、今日ばかりは真摯な顔を突き出している。

 さつきは嫌な予感がしていた。というのも、なつみがこの顔を見せる時、決まって彼もトラブルに見舞われることになるのだ。なつみは、玉突き事故の様に、人を厄介ごとのテリトリーへ引き込むことに長けているやつなのだった。思えば、十数年は共に過ごしてきたわけ

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