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人を信じ、だけど人がやったことを信じるな!「発掘捏造」を読んで

 ここのところ、大湯の環状列石を見に行ったり、古墳を見たりして、すっかり遺跡好きになっていた私。図書館で考古学に関する本をパラパラと見ていたら、「最近、旧石器時代の新しい発見が相次いでいる云々」という記述があり、「ん?」と引っかかりました。本の発行日を見ると大層古く、20世紀のものでした。
 「そう言えば、昔、どっかの学者による自作自演の発掘って無かったっけ?」と思い、この本を読んでみました。



「発掘捏造」 毎日新聞旧石器遺跡取材班 毎日新聞社

日本人のルーツ探しのロマンに彩られた「最古の旧石器発掘」への挑戦が、実は自作自演だった。
教科書の書き換えにまで波紋を広げた上高森遺跡での発掘捏造はなぜ起きたのか?
一部で暴走する考古学と、それを止められなかった学界の体質。
さらに報道のあり方と使命を、毎日新聞旧石器遺跡取材班が自戒も込めて総括・検証する決定版報告。

「発掘捏造」単行本帯より

 若い人は知らないかもしれない。
 私はぼんやり覚えてるのですが、「神の手」を持つと言われていた学者さん(当時はそう思っていた)が、次から次へと重要な遺跡を発掘していて尊敬されていたけれど、それが全部嘘だった、という報道があって大騒ぎになったことがありました。

 この本は、そのスクープを取った新聞記者さんたちの書いたルポルタージュです。大変考えさせられる内容でした。

新聞記者さんたちの熱意が凄い!

 とある筋から「神の手の発掘は嘘っぱちかも?!」との情報を得た毎日新聞の記者さんたちは調査を開始します。彼らはもちろん考古学の素人なので、勉強に勉強を重ね、論文も読み、学者さんや発掘調査会社の代表にも会いに行き、やがて「これはホンモノ(のネタ)」と確信します。
 
 そしてF氏(捏造の容疑者です)が現場に現れるのを張り込みし、決定的瞬間を映像に収めるということを試みます。その過程が涙ぐましい努力でした。自分やカメラの存在がバレてはいけないので、藪の中に隠れたり、寒い中外で気配を消したり・・・・大変な体力勝負。まるで狙撃犯のよう。
 撮ったはいいけれど、記憶媒体に記録されていなかったり。読んでるこちらもドキドキでした。

 努力の甲斐あって決定的瞬間の撮影に成功してから、F氏に直撃、そしてスクープを出すまでの流れが圧倒的迫力で、頁を繰る手が止まりません。

 そういえば横山秀夫の名著「クライマーズ・ハイ」の中の記者さんたちも、記事に命を賭けていました。彼らはジャーナリストであることにアイデンティティを見出していたんだな、きっと。記者たちの情熱とプライドがぶつかって、アツイアツイ小説でした。
 現実の記者さんたちも、「絶対このスクープをモノにする!」という熱い思いを胸に、辛い張り込みも耐えたんですね。
 (現在は、働き方改革で張り込みとかどうしているんでしょうね。)

F氏の動機は謎?!

 ところで結果的に捏造を白状するF氏でしたが、動機は謎です。
 遠い記憶で私はF氏を学者だと思ってたのですが、在野の発掘家だったのですね。掘り出すのは得意だけれど、報告書も計測図も書けなかったそうです。当然考古学が好きなんだと思ってたのですが、実はそれほど考古学に興味が無かったかもしれない、とも言われています。

 じゃあ、なんでこんなことやったのでしょう?!
 もしかしたら、「ここで皆が欲しがっているものを出してあげたい」というサービス精神?
 それとも、少しでも年代が古いものでないと報道されないので、(自分の存在価値を維持するための)プレッシャーから?

 私は精神科医じゃないから分からないのですが、自己有用性を高めるためにこんなことをしてしまったとか、何らかの障害があったのかもしれませんね。

 この本には書いてませんでしたが、色々調べるとF氏は「利用されていた存在なのではないか?」という疑惑もあります。

 真実は分かりません。

集団幻想なのか?

 スクープが出てF氏の記者会見等で世の中が騒然となって・・・・・で終わらないのが、この本の素晴らしいところです。
 どうしてこのような事件が起きてしまったのか、考古学界やそれをとりまく環境がどうして見抜けなかったのか、ということまでも「報道の影響と課題」というまるまる一章を使って検証しています。
 
 F氏のことは、スクープ報道を待つまでもなく、疑問に思っていた方は他にもいました。しかし疑念の声は「やっかみだろう」とか「水を差すな」といった大勢の声に潰されてしまったようでした(悲)。

 またF氏が所属していた東北旧石器研究所では、発掘された石器等について報告書を作らないまま、どんどん発掘と公式発表を続け、それを報道機関がどんどん「事実」のように報道をしたので、それが既成事実化し誰も疑わないまま、嘘が教科書に記述される事態にまでなっていました。
 論文の査読もなく、石器を他の学者が確認することもなく、どんどん嘘が事実化していく・・・・怖い仕組みだと思いました。科学的では無いですよね。

 「前期旧石器の頃から原人は日本にいて、日本の原人はちょっと一味違う石器を作っていた」という幻想にみんなで酔いたかったのでしょうか。
 そしてそれに「No?」と唱える人を一斉に叩くという構図も、ちょっと大東亜戦争に突っ走った日本人特有のメンタリティを感じて怖いと感じた部分でした。

人を信じ、だけど人がやったことを信じるな!

 人を信じることは大切です。人を信じられないと幸せになれません。でも人は過ちを犯す生きものです。私なんて自分がやったことも信じられません。(昨日も、絶対無い!と言っていた場所から探していた書類が見つかりました・・・)

 犯罪もそうですし、過失もそうです。だから、一人の人の過ちで世の中全てがひっくり返るようなことにならないような仕組みが必要なんでしょうね。

 このF氏の事件も、もっと学界で科学的な検証と議論がなされていたら、もっと早く明るみに出ただろうに、あるいは防げたかもしれないのに、と思いました。

 この「発掘捏造」、事実は小説より奇なりを地でいく話ですよね。余りにも衝撃的だったので、今は「発掘狂騒史」上原善広 著 新潮社 を読んでいます。この本を読んで別な方面からの見方もしてみたいと思っています。

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