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見玉不動尊紀行と鈴木牧之「秋山紀行」

 急にドライアイが酷くなって目に傷をつけてしまい、医者からコンタクトレンズの使用を止められました。それでは、と少しお高めの眼鏡を2本も新調しましたが、以前から使っていたお安い眼鏡のほうが良く見える始末・・・・。 
 気を取り直して眼病に効くパワースポット、見玉不動尊に行ってきました!



見玉不動尊とは

 秋山郷の入口、津南町にある不動尊です。

 平家滅亡後の文治2年(1186年)、清盛の家臣がお告げにより開山したと言われています。こちらの不動明王は眼病に霊験があると言われており、全国から眼を良くしてもらいたい方々がお参りして来られるそうです。

 私は平日に行きましたが、参拝者で混雑していました。

立派な仁王門です。
本堂は70段の石段の上です。

 石段の横には、延命水という綺麗な水が湧き出していて、境内が清々しい気に満ちています。
 本堂に「目が良くなりますように」とお願いをし、お守りを頂いてきました。

「秋山紀行」鈴木牧之 著 (現代語訳 磯部定治  恒文社)

  たまたまだったのですが、以前、土浦の古書店で購入した鈴木牧之の「秋山紀行」が自宅にあったので帰宅後に読んでみました。

江戸文政年間、越後塩沢の文人・鈴木牧之が、秋山郷において今日の民俗学的調査法で聞き取りを行い、衣食住、方言、信仰などの風俗習慣や村落構成、自然景観について書き残した、日本で最初のフィールドワークを現代語に訳す。

Amazon 本の紹介文より

 鈴木牧之といえば秋山郷の人々の民俗を書いた「北越雪譜」で有名ですが、こちらの紀行文は牧之が一週間に渡り秋山郷を旅した記録と感想です。塩沢から秋山郷までは今日であれば日帰りの距離ですが、当時は本当にキツイ旅だったみたいで、牧之自身「もう自分は年だから、来れないだろう」と書いています。
 そんな想いをして旅し、3年かけて執筆整理し、いざ出版しようとしたらタッチの差で出版を約束していた十返舎一九が亡くなってしまい、ついぞ出版が叶わなくなってしまったという原稿です。

 この本は現代語訳がとても自然で、秋山郷の自然や人々の暮らし、牧之の驚きと戸惑いの情景が浮かぶように書かれています。まさか牧之も200年も後に日の目を見るとは思っていなかったことでしょう。 

このページが非常に有用でした。

 牧之は旅の初日に見玉不動尊に宿泊しています。
 寺の奥さんが美しく、同行の桶屋が見とれていた、という記述が印象的でした。

 ところでこの本の中で、たびたび見目麗しい女性が登場します。秋山には美人が多い、それは元々平家のやんごとない一族が、秋山に逃げ落ちてきたから、という説は私も聞いたことがあります。更に彼らは里の人とは結婚せず美人の血を保ち続けていた・・・という話も。

 牧之自身は、彼らは高田の辺りに城を構えていた越後平氏の城氏の一族の子孫ではないか、と推測していました。そして後世の人に「ぜひこれらの事実を解明して欲しい」と期待していました。

 私達は今回、見玉不動尊から奥へは行きませんでしたが、十年以上前、結東にある「萌黄の里」までは行って日帰り温泉に入ったことがあります。舗装してあるとは言え、とにかくキツイ坂道で運転が怖く、そこから先は勇気が無くて行けませんでした。また行く機会があったら勇気を出してみようかな。
 

Tunnel of Light(清津峡渓谷トンネル)

 越後妻有アートトリエンナーレの期間だったので、有名な清津峡トンネルも見学しました。

マ・ヤンソン/MADアーキテクツ「Tunnel of Light」
ここが有名なフォトスポット。みな交代で撮影してました。無人の一瞬の隙をついて撮影。

 清津峡の観光トンネルは2度目でしたが、このようなアート空間になってから訪れたのは初めて。光と闇をうまく取り入れ、最後に魅せる外界の大自然、空と水鏡の演出が非常にうまいなあ、と感じました。お客さんはみんなワクワクしながら長いトンネルを歩いていたので、それを見ているのも楽しかったですね。

 それにしても新潟の自然と歴史、風土は素晴らしい。また絶対に訪れるぞ、と固く誓いました。

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