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余談ですけど... | クリーンランゲージが広がらない理由

余談ですけど....

今日のは、本当に余談中の余談です。

「こんなにいいのに、なぜ、マイナーなままなんだろう、クリーンランゲージ?」

日本にも、過去何度か、紹介された方はいます。
けれど、あんまり広がりませんでした。

スマートだし、さまざまな技法との相性もいいし、使用用途によって自由にアレンジできる幅も広い。
扱う内容(コンテンツ)によって、やり方を変える必要もない。

そして、効果が高い。
(これ大事)

質問ひとつから使い始めることができる。

使用者側の安全にも配慮されている。
(これ大事)

時々、なぜなんだろう?という話を和洋問わず、クリーン仲間とします。

本日は、日本語だから書ける(笑)、私自身の「なぜ広がりが限定的だったか?」の分析を書いてみようと思います。

まず一番大きな理由は、「ちょっと登場が早かったんじゃないか?」です。

先日書いた記事にもありますが、これまで一部をのぞいて、まだ、そんなに必要とされる技法ではなかったのではないか?ということです。

多くの人が、真剣に、他者や自分自身と平和的共存する新しい方法に取り組む必要は、これまではなかったのではないかと。
特に日本社会では。

理解し合おうという努力でどうにかできた時代が、ここまでは存在したとでも言いましょうか。

理解し合うための技法や方法論は、すでに素晴らしいものがたくさんあります。

ただ、ここからは、違う時代に突入するだろうと、私自身は考えています。

2つめです。

ひとつめとも重なりますが、新しい常識を生み出す必要、もしくは、既存のやり方では対応できない状況が、これまでは少なかったからではないかと思います。

その人個人個人で判断し、考え、生み出す必要性が低かったのではないかと。
自律している必要性が低かったといいましょうか。

ある意味、いい時代だったのではないかと思います。

3つめです。
私が日本語でこそこそ(笑)書いている理由もこれですが、(英語で書いたら、一波乱あるだろう...)デイビッド・グローブの神格化というか、信者のような方がたくさんいた、というのが大きな理由になっているのではないかと思います。

まだ、デイビッド・グローブが存命中に彼から直接指導を受けた方たちがたくさんいます。
第一世代の方たちです。

クリーンランゲージは技法ですが、技法の前に、必ず、デイビッドの名前が登場するのですね。

そうすると、私のような第二、第三世代は、会うことが叶いませんし、そもそもデイビッドには何ら思い入れがありません。
技法としてしか、クリーンランゲージを眺めていません。

この温度差が、広がりを限定的にしたのではないかと分析しています。
世界的に。

私にしても、知りたいものはクリーンランゲージであって、デイビッド・グローブではありません。

これは、私のトレーナーには伝えてありますが、私自身は、技法の開発者としてのデイビッドには敬意しかありませんが、私にとっては、ソクラテスやロジャーズ、エリクソンなどと同じく、歴史上の人物でしかありません。

私が、自分のトレーナーに彼らを選んだ理由の一つは、彼らは、友人としてのデイビッドと技法についての切り分けが、非常にはっきりしていたからでした。
信者度が低かったとでも言いましょうか。
冷静に技術を分析していました。

技法そのものには、ある部分、感情と切り離された部分が必要ですから、これは大きなポイントでした。

以上3つ。

つまり、私は、クリーンランゲージはここからの技法だと考えています。
直接会わなければ無理だったモデリングから、先人たちが生み出してくれたモデルを、デイビッドに会ったことがない人たちが、広げていくのではないかと思っています。

デイビッドに会わねば効果がなかったり、学べなかったりするのであれば、それは技法ではなく、信仰・宗教ですしね。

クリーンランゲージに一切のライセンスをつけず、オープンソースにした人が、それを望んだとは、私には考えにくいです。

ちなみに、私はコソコソ書きましたが(笑)、多分、そのうち、英語ででも言ってしまうと思います(笑)

本当に余談でした。
時々、質問されるので、まとめてみました。

では、また。


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