私の体験(3)|その「クリーン」はどんなクリーン?
こんにちは。
本日は、クリーンランゲージの「クリーン」についてとりあげて書いてみます。
以前に、スタンダードな説明は一度書いています。
本日は、私の体験の中から得た言葉でそちらを書いたものをシェアします。
なぜ、私がこれを必要としたかを最初に説明すると・・・
私が何度か耳にしたことがある同じ感想があります。「クリーン」の説明に対する感想です。
自分が教えた(というよりも、私が学んだことをシェアした感じ)生徒さんのうち、2人も同じことを言っていました。
「クリーン」の定義の英語をそのまま日本語に訳した文章だと、ドライだとか、冷たい、わかりにくいと感じる人達がいたのです。
どの部分にその人たちが反応したかというと、スタンダードな「クリーン」の説明で使用される「汚染しない」と、「介入しない」という部分でした。
それは、クリーンランゲージの本質に関わる部分の説明ともいえました。
そういうわけで、私は、長い間、自分が「クリーン」をどのように理解しているか、それを説明するメタファー(例え/喩え)を探していました。
これは、時間をかけるしかありませんでした。
教科書の中から、メタファーは生まれません。
私自身が経験を重ね、私の体と心がその言葉の意味を理解する時間が経つのを待つしかなかったのです。
私が自分の体験を通して、どのように「クリーン」の意味を理解しているか。
それは、自分がこの数年やってきたことを、自分がどのように理解しているかの確認作業でもありました。
そして、先月、ようやくそれは、私自身の言葉で文章になりました。
けれど、私がみなさんにそれをシェアする前に、それをチェックしてもらう必要がありました。チェックしてくれる相手は、英語しか読めません。
それで、短い日本語が生まれた後、私は、英語でエッセイを書きました。
関西には、「必死のパッチ」という言葉がありまして、このパッチがなんのことか、私はいまだによくわかりません(笑)が、ともかく私は、必死のパッチでそれを書きました。
そして「いつか、あなたが他人にクリーンランゲージを伝える日が来たら、あなた自身の言葉で、あなたの理解を語りなさい。そうでなければ、あなたが伝える意味はない。あなたは、誰のコピーにもなる必要はない」と教えてくれた、マリアン・ウェイという私のトレイナーのひとりに、チェックして欲しいとお願いしました。
マリアンは、「つまり、あなたのメタファーが、私に作用(work)するかチェックすればいいのね?」と、確認してくれました。
そのあと、最近、内容にOKがでましたので、こちらを本日はシェアします。
それにしても、自分が書いた英語の文章を、日本語に翻訳し直す日が来るなんて、数年前に飛行機に乗った時には想像もできませんでした。人生は面白いものです。
隣家の庭
ーNeighbor’s Gardenー
クリーンランゲージの「クリーン」は、「他者の世界観を自分自身の思い込みや価値観で汚染しない」という意味です。そして、そのために、「介入しない」というアプローチを使います。
この場合、「汚染しない」、「介入しない」は、ファシリテーターの以下のような介入しない行動そのものを意味します。
ファシリテーター自身の意見や感想を述べない。
クリーンな質問の言葉以外は、クライアントが使った言葉のみを使用する。
この場合、「介入しない」は、「関わらない」「非介入」と同じ意味ではありません。
この「介入しない」は、ファシリテーターがクライアントの世界観に何もしないということを意味してはいません。そこには、相互作用が働きます。
ファシリテーターがどんなに介入しないようにしよう、思い込まないようにしようとがんばったとしても、そこに、相互作用はしっかり存在します。
これは、人の持つ思い込みや前提を最小限にしてあるクリーンランゲージに、ひとつ「大前提」があるからです。
それは、クリーンランゲージが、人と人の間のコミュニケーションを通して作用する(work)テクニックだということです。
また、私は、クリーンランゲージにおける「汚染しない」は、「海にゴミを投げ入れて海洋環境が汚染される」という場合に使われる「汚染」という言葉とは少し違う感じがしています。
海にゴミを投げ入れて海洋環境に「介入」し、海を「汚染」するのは、明らかに「悪い」ことです。
けれど、誰かを手助けしたいと願い、その誰かに手を貸すために、誰かに介入するのは、人間にとって非常に自然なことではないでしょうか?
特に、私たち日本人は、非常に幼い頃から、「他者を思いやること」、「他者の立場に立って物を考えること」を教わります。
付け加えて、日本語は、聞き手中心(listner-centerd)の言語です。
(英語は、話し手中心(speaker-centerd)の言語。)
私は日本人です。
さて、どう考えればいいのでしょう?
私の経験では、「その人の価値観(その人が考えること)で他者の世界観を汚染しない」は、その人の価値観が他人にとって有益でないとか役に立たないと言っているわけではありません。
そういうわけなので、クリーンランゲージを使うときには、ただ、その人自身でいればいいのです。頭を空っぽにする必要はありません。
ただ、自分の価値観や考えることを「話さなければ」いいのです。そして、質問以外は、クライアントが使った言葉をそのまま使えばいいだけなのです。
この場合、(クリーンランゲージを使う)主目的は、誰かが「自分自身で」その人自身の世界観を深く探究することをサポートすることです。
クリーンランゲージを学んだり、使ったりしてきた間、私は何度も、それぞれの人の価値観や多様性を尊重する考えが、クリーンランゲージの根底には流れていると強く感じてきました。
私は、クリーンランゲージは、ただクライアントの世界観を守るだけではなく、ファシリテーターの世界観をも守ると何度も感じました。
というわけで、本日は、私自身の「介入しない」「汚染しない」のメタファー的な理解をシェアしたいと思います。
私にとって、他者の世界観に「介入しないこと」、他者の世界観を「汚染しない」ことは、非常に面白いことです。
それがどういうことかというと・・・
例えば、あなたの隣人が、庭をどうにかしたいと望んだとしたとします。
その時、もしもあなたが小人の人形が好きで「小人の人形があれば、お庭がもっと素敵になるわ!」と思ったとしても、お隣の庭に小人の人形を置いてはいけません。
または、隣家の庭に咲いている赤い花を見て、「紫の方が素敵だな」と思っても、勝手に花の色を紫に変えてはいけません。
もし、その庭に、たくさんの落ち葉が散らかっていても、「ああ、あの落ち葉が問題なのよ、あれが、庭の雰囲気を壊しているのよ」と「思い込んではいけません」。勝手に、落ち葉を掃除してもいけません。
ただ、尋ねればいいのです。「あの落ち葉について、他に何かありますか?」
もし、その落ち葉があなたの目には問題のように映っていても、「ああ!落ち葉を集めて焼き芋を作るのよ」とか、「焚き火をするためにおいてあるの」とかいう答えが返ってくるかもしれません。
落ち葉の価値は、人それぞれです。
その人がはっきり、「落ち葉が問題だ」というまで、ただあなたが「それは問題っぽい」と思うという理由だけでは、それが問題かどうか、あなたには知る術がないのです。
言葉を変えるなら、隣家の庭が、私にとっては、他者の価値観や内的世界です。
庭の持ち主は、独自の価値観とその庭をどうしていくか自分で決める自由を持っています。
クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングのファシリテーターの役割は、隣家の庭には入らず、塀越しに庭を眺めながら(イメージとしては、塀に顎を乗っけている感じ)、その庭に関する質問をすることで、隣人が庭をどうにかしていくのを助けることです。その庭に何が起きるのだろう?という好奇心と興味を持って。
これが、私の「介入しない」と「汚染しない」の理解です。
では、また。
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