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お土産⑤ : 日本語の効果1
こんにちは。
少し時間が空きましたが、ポルトガル土産の続きです。
このお土産は、私自身に与えた影響が大きいものです。
読者が読んで、「ああ、なるほど!」となるかどうかは微妙ですが、こちらもご紹介しておきます。
私の中で、考えを熟成するのに約2ヶ月近くかかったお土産です。
まず、少し話の回り道をします。
言葉は変化し続けます。
例えば私が今、日常で使っている日本語は大阪弁ですが、私の大阪弁と私の祖父が話していた大阪弁はだいぶと違います。
祖父が話していた大阪弁は、船場言葉(せんばことば)と呼ばれたりもします。
少し昔の大阪弁です。
祖父は柔らかな優しい響きの大阪弁を話していました。
昔の日本映画を見ると、標準語も今とは少し違ったことが推測できます。
さて。
集まりの二日目の午後。
私はほとんどの時間、セッションに参加しませんでした。
大多数が参加していたトピックに興味がわかず、少し距離を取りたかったからです。
私は過去の清算に関わるそのトピック自体に新鮮さを感じませんでした。
また、クリーンにいくなら、プロセスはさまざまでも、その話のオチはそれしかないだろうという結論が自分の中ではっきりしていたからでした。
(後から聞いた話では、やはり、話にはそのオチがついていました)
ファシリテーターが自分ひとりだけなら、自分の時間をそこに使ってもよかったけれど、そこには腕利きファシリテーターがうようよいました。ほぼ全員が自分の先輩達です。
それで私は、そこに自分が関わるまでもないと思い、二日目の午後は、ひとりで散歩したり、昼寝したりして過ごしました。
ただ、私は輪と距離を取りながらも、考えてはいたのです。
「私にはそのトピックのために、何ができるだろう?」
ただし、私ができることで、私が好きなこと。
みんなにとって、何か、新しい体験になること。
なぜなら、その日の午後のトピックは、私の言葉でまとめるならば、「人が、自分が大事にしていることに対して、他者の多様性や違いに関わる時に、自分に受け入れ難い要素が登場し、それぞれが信念を持つときに発生しがちなこと。なおかつその多様性や違いを尊重はしたいという願いは存在するけれど、自分も自分のままでありたいという願いがそれぞれの中にある時に、現実の中に、起きること」だったからです。
それを英単語一言でまとめたもの。
よくある話。
よくある話だから一般化できそうで、一般化しにくいトピック。
そして、人が興味を惹かれてやまない太古の昔からあるトピック。
その午後、私の頭の中は、なぜだかやけに澄み切っていました。
新しい何か、私にできること。
私の頭はそれを考え続けました。
また、そのトピックとは別に、その集まりの中、多様性、という言葉は、それまでにも何度も登場していました。
なぜなら、そこには、多様な文化背景を持つ移民と共に暮らし働きしている国の人たちが集まっていたからです。
それは日本の近未来でしょう。きっと。
なんぼ「みんな一緒」「みんな同じ」を愛し、同化政策がお家芸の日本でも、そのやり方では、ぼちぼち限界がくるのは、起きているあれこれが証明しているともいえるかもしれません。
また、多様性ということでは、クリーンランゲージ自体が、さまざまな文化の中に飛び込んでいます。
多様性。
私はふと、うん、多様性、そうね、クリーン「ランゲージ」なんだけど、誰も「言語の多様性」がまず最初にあることには触れないね、と思いました。
無理はないのです。
輪の中のマジョリティは、英語が母国語の人たちだったから。
そうして、夕方、私の中に、あるアイデアが浮かびました。
日本語で話してみよう。
幸い、私の言葉の意図を汲んでそれを通訳できる日本人の仲間がそこにはいました。
それで、私は、三日目の午前中に、とあるチャレンジをしてみることに決めました。
英語話者の真ん中で、日本語で発表してみる、そうすると、何が起きるだろう?
二日目、「テーマが新しくない」と集まりに少し退屈し始めていた私の頭に、好奇心が戻りました。
日本語の効果を見てみたい。
続く。
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