音楽と、物語の終わり~映画『YESTERDAY』感想~
どちらかというと普段聴く曲は洋楽の方が多く、映画もサントラ目当てで観にいくこともあるけれども、そこまで“洋楽ツウ”というわけでもない。いわば“ニワカ”程度の知識しか持ち合わせていない私なので、この映画についてうんちくなど語れるわけもない。
おそらく、いやきっと、映画の中で使われた曲には「ここでこの曲が使われたイミ」とか、あるいはセリフの中にも色々とビートルズ関連の伏線が含まれているんだろうなー、と思うものの、その解釈までには至らず。それを知ったらより一層映画を楽しめるんだろうな、と思うとつくづくモノを知ってるってことは人生を楽しくするな、と感じました。
ただ、音楽のことではなくこの映画を観て、語りたい!、残しておきたい、と思ったことがあるのです。
物語は終わるが音楽は終わらない
「あ、こうゆう展開なんだ」と思いました。観終わってすぐ。それは一言で表すと「意外」。こんな終わり方は想像できなかったなー、と。そして「これでいいのか?」という疑問と「これでいいのか」という気持ち。これはこれでありなのか—という。ビートルズの不在という大きな変化が当然に受け入れられている世界と、それが続いていくことを示唆するエンディング。正直「これで物語が終わるの?」と思ったことも事実です。また何かのきっかけで世界が元に戻って、主人公の彼もまた以前のような、でも何かを得た状態になっている、みたいな。けれども話は終わらず、世界はそのまま。
このエンディングでふと思い出したのが『ラブリーボーン』。殺された少女の霊(?)が、家族に自分を殺した犯人を知らせようとするのだけれど…という映画のエンディング。犯人は罰を受けたけれども、彼女自身の最期に「えーー」と、思ったものです。この時は日本人の葬送観(亡くなった人に手を合わせる、お墓参りに行く、というような)と欧米のそれとの違いかな、と思ったのですが“物語”自体に対する考えが違うのかも。要は「物語は必ず完結しなければならない」という感覚。あるいは、とてつもない大きな変化も受け入れてしまえば新しい世界となりうる、というのか。それを物語の「終わり」とすることもありなのだなあ、とこの映画で納得したのです。
もしくはこの映画自体が“音楽”なのだとしたら。
物語は終わるが音楽は続く。そんな言葉が浮かんだりして。
あとラストに登場した“彼”。それこそニワカではない洋楽ファン、いやビートルズファンはどう感じたんだろう…とすごく気になっております。感想聞いてみたい