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ライブハウスの話

6月くらいに書き留めた文章と 今の気持ち



書き留めていた文章

正直 わからないです 元々あったライブハウスはもちろん恋しい 早く行きたい でも新しい形態に挑まなければみんな潰れてしまう

あのやり方で赤字にならないのであれば 食いつなぐことができるのであれば あれを始める価値はあるんだと思う その先 大好きなライブハウスに戻るために

誰もあんなもの受け入れられないでしょう 逆にあれを受け入れたい人の方が多くいるならば諸々に問題がある ライブハウス側がニーズに応える余地があるんだということで

まあでも元のライブが好きな人たちは恐ろしいと思う わたしも然り 誰だって良くないと考えている方向への変化は怖い あれが一般化して 元に戻らなくなったらともよぎらなくはない 恐ろしすぎる

でもそんなことは多分ないとも思う あれが長続きするわけでもない 利益もたかが知れてる なによりも演者もライブハウスも観客も望んでいないから 安全が確保されるようになれば一瞬で消え去っていく文化だと こんな時もあったのよホント〜ってオババトークになるんだって

だからあのやり方で食い繫いでる間に 元の形に近いライブの新しい仕方を模索しなきゃいけない 劇的な薬の完成を待たなきゃいけない そうやって信じるしか あのようなライブの体系をわたしは受け入れることはできないなあと思います

もちろん長い 最後に行ったライブから 早く行きたい もしあの基準で行けたライブで、ライブ復帰戦がこれじゃ不完全燃焼だよ〜って多分言うと思う まあそれでも行き続けて慣らされてしまうようであればわたしもそこまでのライブキッズだったということになる

でもまあ多分 まだ戦えると思う いつもと形は違えど 生の音が聞こえるなら なんだかんだ4ヶ月くらい生きてこれたし 贅沢にも音源越しでは120%満足できない身体になってしまったから それが聞こえるだけでも嬉しい

なんてね 言ってはみるけど 全部わからないんです 正解なんて みんな元気に音楽やれる日が来るといい 一日も早く



こう思っていた日からもう5ヶ月経っている


もちろんこの頃に比べればライブの数も増えた お互いに慣れてきたのだろう、クラスターがなんだとも聞かない。

まあクラスターが次に出たら、もう後がないというのもあるんだろうけど




今日では有観客ライブ、無観客ライブといった言葉が当たり前になった

どんなフライヤーにもガイドラインに沿った注意事項が必ず添付されている

そしてSNSに上がるライブ写真にはあまり観客の姿は映らなくなった




6月頃に出た「新形式!こんなのやばくね!」と話題になった様子よりは客も入っているんだろうと思う



良くも悪くも慣れて 少しずつ戻ろうとしている



その中でわたしはまだライブハウスに行くことができていない



理由としてはふたつくらい


まずは帰る家に家族がいること 両親や姉がかなり気を遣っているので わたしの行動にもすごい過敏になっている。そこを逆撫でしてまで行くのもなあと思う わたしはまだ食わせてもらっているし。


もう一つは ここまで期間を空けてライブに行かないことがはじめてだから どうしても復帰ライブには期待をしてしまうし、緊張してしまう

逆に誰のライブに行こうかなあってぐるぐる考えてしまうことだってある



前は行きたい!チケットポーン!って感じだったのにね

重たい重たい



ただ音楽を聞きたいだけなのに こんなに考え込んでしまう


これが社会的要因かといわれればそうなんですが



基本的に起こってしまったことは仕方ない のスタンスで
乗り越えるにしろ、諦めるにしろこれまでやってきた


けど、これだけは唯一 起こってほしくなかったと思ってしまう 戻って欲しいと思っている


仕方ないのだ みんながそういう状況なのだから


とにかく みんなが元気に音楽やれる日が1日でも早くくればいい

薬が出るにしろ、劇的な運営方法がリリースされるにしろ




音楽くらい余計なこと考えずに聞きたいし、そうであってほしい

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