疑問を持つこと。「当たり前」に疑問を持つこと。
ゾンビーというテーマが大好きだ。今まで読んできた小説や見てきた映画の本数は数えきれないほどあった。気がつけば、作品ごとにストーリーこそ異なるが、ある要素が一定で変わらない。それは、生存者は農作物に挑戦することなく、必ずと言って良いほど略奪またはlootingに走ることである。
考えてみよう。ゾンビーの世界では、農業・工業問わず一切の生産が行われない。そして、今回の武漢肺炎でわかったように、生産が少しの間でも止まれば、すぐに物が枯渇する。ゾンビー世界の生存者はいつまでにゾンビー世界になる前の物質貯蓄に依存できるんだろうか?誰もそこを突っ込んでない。そして、どの作者もそこを名言しない。いや、したくないと思うんだ。
ゾンビー世界を生き延びるにはそれまでの備蓄一本で食いつなげる、という「当たり前」、という「常識」、という「世界観」に疑問を持たないと、いけないと思った。同じく、この世の中のいろんなことにも、似たような「色眼鏡」でフィルターをかけて疑問を持たないと、いけないと思った。
例えば、そもそも、なんで仕事をするんだ?職を持つことは当たり前と思われているんだが、なぜなんだ?(仕事をしなくても良いとは言ってない。なんでだ?と言ってる)