はじめまして!フラが大好き加藤千尋です。
【この世に誕生】
愛知県豊橋市生まれ。
父は公務員、母は証券会社勤務、2人姉妹の次女として生まれました。
父は男の子が欲しかったようで、母のお腹の中で活発に動いていた私を「男の子が産まれるぞ!」と、とても期待していたそうです。
女の子が産まれてしまったので、かなりがっかりしたそうですが、私は父と母からたくさんの愛情を注がれ、すくすくと育ちました。
【幼少期・小学生の頃】
とても明るく、活発な女の子でした。小学校の部活はソフトボール部・水泳部・陸上部など多くの部に入り、体づくりができました。
母は私にたくさんの習い事を習わせてくれて、ピアノや習字・そろばん・学習塾など、昭和の典型的な習い事に毎日のように通いました。
宝塚に挑んだけど入れなかった(と言っていた)母が、バレエの基本やダンスの形をなんとなく教えてくれたり、小学校4年生になるとフィギアスケートも習いました。
地元のフィギアスケート大会で、奇跡的にも優勝しました!
【悲しい出来事】
フィギアスケートを始めてまもない頃、両親が離婚。
家族全員あんなに楽しかったのに・・・ 自分の家族は世界一だと思っていたのに・・・
両親に何があったのかは、子供にはわかりませんでした。私は、父と二人で暮らすことになりました。
涙が何度も溢れ、悲しくて仕方がありませんでした。それでも、学校が楽しかったので乗り越えられました。
【中学校時代】
父の希望もあり、国立愛知教育大学の付属中学校を受験。
公立中学校に比べると生徒数が少なかったのですが、3年間楽しく過ごせました。
一番人気のテニス部に所属。
文化祭の時には演劇部にも入り、シェイクスピア劇「ヴェニスの商人」のポーシャを演じました。
また、文化祭では先輩たちがバンド演奏をしてくれて、この時ドラムをたたいていた3年生の先輩がとってもカッコよく、ドラムを打つ姿に憧れました!
私のドラマー大学時代が、のちにやってくるのです。
【高校生時代】
高校になると、ワイルドさにあこがれ剣道部に入部。さらに活発女子全開です。
秋の体育祭の時には、サザンの曲に合わせてクラスの応援ダンスを創作担当。盛り上がりました!
大学受験に向けてラストスパートする高3の夏、ずっと離れて暮らしていた母のもとに行きたい気持ちでいっぱいになり、父に黙って家出(お父さん、ほんとにごめんなさい...)
名古屋市に住むことになりました。
【大学生時代】
晴れて女子大生、文学部英文学科。
サークルは、迷わず軽音楽部に入部。中学校の文化祭の時に見た、カッコいいドラマーの先輩の姿。私もやってみたい!
親交のあった大学のドラムコーチに指導していただき、ギター・ベース&ヴォーカル・キーボード・そして私ドラムの4人で女子大生ロックバンドを結成。大学4年間はロックと共に過ごしました。
【社会人になって】
大学卒業後は好きな英語を生かしたいと就職しましたが、2年で転職。取引先広告会社の人の紹介で文房具卸の会社に再就職しましたが、それも2年で退職。その会社では、40年近くずっと働き続けている先輩の姿を只々素晴らしいと感激しつつも、自分には何か違うものを感じ、派遣会社に登録しました。
派遣会社から、自分の希望であった短期間の仕事をたくさんいただき、とても楽しんで働きました。展示会の仕事や、旅行会社の添乗員の仕事などを通じ、自分は人と接するのがとても好きなんだなと改めて気づき、また多くの人たちと関わることでたくさんの学びを得ました。
この頃、母から「フラを一緒に習わない?」と誘われやり始めてみましたが、当時の私にはあまり興味が湧かず、しばらくしてやめてしまいました。
その後もとてもよく働いたので、少し自分をリフレッシュさせようとアメリカ カルフォルニア州に留学。海外に住んだことで、改めて日本のすばらしさを実感したことは間違いありません。
帰国後、再び派遣社員として働き始めましたが、ずっとやりたかったジャズダンス(フラダンスではなかった)を習い始め、没頭。この頃になると、母はすでにフラの先生としてとても輝いていました!
【フラへの道のり】
私は、母が隣の部屋でフラの曲をかけながら練習、指導の準備をしているのを「あ、今日もやっているな」と思いながら聞いていました。
フラの発表会やイベントの時には、母に協力したい気持ちがあり、発表会の準備を手伝ったり生徒さんの写真を撮ったりしました。生徒さんは年配の方が多くいらっしゃったのですが、みなさん生き生きと華やかで素敵だなと感動しました。
母は、やっぱり自分のフラ教室を私に継いでほしいと強く願っていました。私もこれまでやりたい事をやらせてもらったので「何年かぶりだけどやってみようかな」と、本当に軽い気持ちで母のレッスンを受け始めました。
母の熱意がすごく伝わってくる、毎日のレッスンでした。
フラの教室では、母のアシスタントをしたり、生徒さんのサポートをしたりしました。
【フラを伝える決意】
ある時、いつものように母のレッスンを受けていた時。。。
降りてきたのです!
突然私の体が熱くなり、と同時にすごくやさしい気持ちがあふれ、驚きました。「何これ?この気持ちは!」「こんな感覚初めて・・・」
この時ほど、心から穏やかな気持ちになり、やさしい気持ちになれたことはありませんでした。「これだ、これを伝えよう!」
その瞬間から、私はたくさんの人たちにフラを伝えていこうと決心したのです。
毎年、ハワイに行ってはフラをレッスン。本場で学ぶフラはとても尊いものです。フラとハワイの文化や歴史、そしてハワイの人々と接しながら過ごす日々。
「フラこそ私の天職」そう思えます。私を導いてくれた母にとても感謝しています。
これからも、ずっとフラの奥深さや素晴らしさを伝えていきます。
お子様からご年配の方まで楽しめるフラ。
フラは、永遠です。
Hula is my LIFE.
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