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20240623日

明日描いたらまた違って書けるのかな……。
もっとトコトン突き詰めて描くべきだけど、それをするのに時間がかかるのは、しょうがないですね。
明日は右のから続きを描いてみます。
この瓶、中にこまかな水晶さざれ石を詰め込んでいるのですが、その水晶はどう描けばいいのか? 左の絵では、よくわからない透明な米粒にも見えますね。

課題点はまだまだあります。
今度デジタルスケッチの入門本を借りてきます。


今日はクリスタの使い方を2つ仕入れる。クイックアクセスとか知らなかった。3Dの親子関係もわかったけど、すべての3Dオブジェクトを中心にそろえることってできるのかな?


お薬吞んだ。
今日は本を読んでもう寝ます、おやすみなさい。

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20240623日

寝れない( ;  ; )またかよ!!
本読も。シナリオ・センターのやつ。1回読み切ったので2回目。何回も読むのは良いと思う。頭に入れるくらいにしたいです。完璧は無理なので、できる範囲で。



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掌編「父の当たり前」

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「枕元に靴を置くのは良いけれど、なにか……箱なんかに入れて置きなさい」

母は娘のゆかりの洗濯物を紫の部屋に届けたとき、部屋の中で目のついた災害用の靴を見てそう言った。

わかっていてもちょうど良い箱がないんだよな。紫はイラストを描いていた手を一旦止める。そして今受け取った洗濯物を確認する。パンツ、ブラジャー、短パン、Tシャツをその中から抜き取り脱衣所へ向かう。

紫は、たいていいつも1番風呂に入れるけれど、それは彼女が「上手に風呂場を使えないから」だ。毎回出る前に確認しているにも関わらず、体を洗った時に飛んだ泡上手に風呂場を使えないからが風呂場の壁に付いていたりすることがよく起こる。なんでなんだろう。

その泡を少しでも見るのを父がすごく嫌がって、3人家族の中で、母が2番目にお風呂に入り、母はその泡がないか確認してから風呂を出る。

紫には泡を嫌がる父の気持ちがよくわからなかったし正直どうでも良いと思っていた。
でも、いつも気を配る母には申し訳ない気持ちがずっとあった。

そんな中、久しぶりに父が2番目に入る日があった。その日父は風呂を出てから「今日は泡がなかった」なんて言わなかった。


いつも思うのだけれど、どうしてできることが当たり前で、できないことは注意されるんだろう。人に迷惑をかけるのはダメだし、その自覚が注意をうけてるから少しはある。
だから、面と向かってはっきりとこう言えないのだけれど、当たり前にできることを当たり前のように受け取る父に苦手意識はずっとある。

母にご飯を作ってもらって当たり前。
母がいなかったら紫にご飯を作ってもらうのが当たり前。

父自身も、彼が風呂焚きをするのを当たり前のようにしてやっている。時には紫に頼むこともあるけれど。
なぜ、当たり前にできるんだろう。


できて当たり前、なんて紫には理解できない。「できる努力はする。それでもできなかったら、私はダメな人間なの?」当たり前を当たり前に受け取る父に苦手意識以上に嫌悪感さえ覚える時もあった。



「どうしてお父さんは、お母さんの言葉を無視するの?」

親戚に送る荷物を梱包していて、母が父に「今から送りに行くの? 今すぐじゃなくても良いんじゃないの?」という言葉を無視して作業を進めていた。

紫の発言に父は「俺は午後これから用事があるんだ」と答えた。

ああそうか、父はこれから忙しくなるんだな、だから急いで荷物を作っているんだな。

って、わかったけど、「それはお母さんを無視して良い理由にはなってないよね?」

「お父さんは根本的に説明が足りない」
「言葉が足りない」
「それじゃ伝わってこない」
「こちらは何もわからないよ」

そう言い残して紫は自室へ行った。
やっぱり父は苦手だ。



ちょっと言いすぎたかな? なんて考えていたら、あることに気がついてしまった。
ああ、私も父のように、自分ができて当たり前のことをできない人をーー今回でいうと父をーー見つけて責めてしまったんだなって。

結局紫は父と一緒で、血は争えないとか、カエルの子はカエルとか、そういう考えに至って嫌な気持ちになった。




「だから助けあえるといいよね」

父と同じ行動をとってしまったことに鬱鬱とした気持ちを抱えながら過ごしていたら、午後、母がお茶に誘ってくれた。テーブルに並べられたアイスコーヒーと、それに添えられた紫の好きな小さなチョコレートたち。

お茶の最中に、なぜだかわからないけれど、悩みこねていたことを吐き出してしまった。

その時に母が言った言葉だ。
「だから助けあえるといいよね」


父がどう思っているのかはわからない。父ができて当たり前のことをできない紫は、彼にとってストレスの原因であるかもしれない。日々過ごしている家族間の会話のはしばしで「結局、紫はできないからなあ」と嫌味のようにこぼす父の姿を幾度も目にしてきた。


「お母さんはどうして、そんなにやさしいの?」

「うーん、優しい、ではなくてできないのが当たり前って考えてるからだよ。だから結局、紫たちと一緒…かな? 当たり前のとらえ方の方向がちょっと違うだけなんじゃないかな。それに『なんでできないんだろう、してくれないんだろう』って私だって思うときあるよ?」
「え? それってどんな時?」
「紫がいつまでたっても、非常靴を箱に入れてくれない時!」
「…っ!! それはだって……、ちょうど良い箱がないから……!」
「だ、か、ら! そういう時はお父さんに、余ってる箱あるか聞けば良いじゃない? 梱包用の箱、あーんなにいっぱいとってあるんだから」




父は苦手だ。
しゃべりたくない。
正直関わりたくないくらいに。

でも、助けあえるといいよねって言った母の言葉に紫はちょっと感動してしまっていた。

用事から帰ってきた父に、靴が入るくらいのちょっと良い箱はあるか、聞いてみようかな。



そう思っていたら、お風呂の泡すら処理できない自分が、なんだかものすごく頭の固い・器量の狭い・不器用な奴に見えてきた。


紫はなんだか、それが恥ずかしくてしかたがなかった。




***





小説のドラマ感、描けてます…???!💦
難しい〜!!

シナリオ・センターの本に載ってた「ストーリーとドラマは違う」っていう説明に、自分は「骨格であるストーリーは論理的に考えられるかもできるかもって思っても、クリエイティブなドラマ、描写を書く力がよくわかってないな〜〜!」と困った末に、ものは試しで書いた上記の掌編。

ドラマ感、描写、描けるようになるといいな。こればっかりは書いて書いて、頭使って、書くのみですかね。

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