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コンテンポラリージュエリーとアーティストステートメント

 コンテンポラリージュエリー(以下CJ)作品は“ジュエリー表現としてアートに成り得るのか”というテーマで複数回記事を投稿していますが、今回は「アーティストステートメント」について考えていきたいと思います。

 まず“アーティストステートメントとは何か”を簡単に説明すると、

“アーティストの制作活動全体を通したコンセプトや動機を言語化、文章化したもの。つまり各作品の核となる部分”

と言ったところでしょうか。これは現代アートの世界では作品と同様に重要視されており、殆ど(全て?)のアーティストが持っている、または持たなければアーティストとして成立しない要素の一つです。

CJ市場とアート市場

 私が作品を発表しているCJ市場では、主に発表作品のアイデア/テーマ/コンセプト造形美/デザインの二大要素によって評価が決まっています。これは一般的なジュエリー、アクセサリー、ファッション、デザインプロダクトなどと同じように、最終的に提示された完成品を見て良いか悪いか、好きか嫌いかを判断しており、これら分野は酷似した価値形成や市場形態と言っても過言ではありません。と言うのもCJ市場の基盤を作っているのはCJ専門の作品を取り扱うギャラリーですが、CJギャラリーはアートギャラリーとは少し異なります。
 私の印象では、CJのギャラリストたちはアーティストがどのような制作活動を続けてきたのか、過程や背景などはそれほど重要視していません。アート専門のギャラリストは作品やアーティスト自体を理解する為にもステートメントを必要としており、展示や販売時に利用することは勿論のこと、アーティストの今後の方向性やコンセプトを次のステージへ高めようとするアドバイスや協力体制なども見られます。私の知る範囲だと、残念ながらCJのギャラリストとCJの制作者との間にこのような関係性はありません。これは市場形態の違いが主な理由であり、CJ分野が分野外で評価されにくい問題点の一つだと思っています。(もちろん全てのCJのギャラリストに当てはまることは無いと思いますが、私の経験上取り扱いや展示企画に際してステートメントの提出を求められたことは一度もありませんし、アイテムやサイズ、値段のリクエストなどしか言われたことがありません。正直なところ個人的には作品を預けて販売してもらっているセレクトショップに近いような場所になっています)。

 上記ではCJとアートのギャラリストについて比較しましたが、購入者たちの評価基準も全く異なっています。現在のアート市場は資本主義社会と密接に関係し、高額での作品落札や大規模な展示会などが頻繁にニュースになるので皆さんもご存知だと思いますが、CJ市場も多くの国に間違いなく存在し、愛好家や購入者たちによって支えられています。CJ作品の購入者はCJのギャラリストと似た視点を持ち、作品のアイデアやメッセージ性に共感した、着用した姿が気に入った、デザイン自体が素敵だからなどと言った理由で作品をコレクションし、着用もしくは鑑賞して楽しんでいます。ここでの評価、購入理由にアーティストステートメントの有無は関係無いので、そもそもアーティストステートメントを持っているCJの制作者が少ないのかもしれません。そして、セカンダリーマーケットが無い分、プライマリーの顧客の下で大多数の作品の流通は止まり(ごく一部では美術館へ寄付されたりしますが)セレクトショップに近い市場形態がCJ分野の現状だと、私は感じています。
 一方、アートギャラリーでのアート作品購入者は過去作や活動歴を必ずと言って良いほどチェックし、作品を評価(購入)する上で重要視している。という違いがあります。簡単に説明すると、セカンダリーマーケットが重要な位置付けにあり、アーティスト自体の制作活動歴や将来性などが作品価値の確立と変動に繋がっているからです。
 「コンセプト」というキーワードについて混乱しやすいので補足しておきますが、「アーティストステートメント内のコンセプト」とはアーティストとしての制作活動そのもの、作品群全体に共通したもので、「CJ作品のコンセプト」とは単一の作品、シリーズを指しているものが殆どではないでしょうか。分ける必要はないかもしれませんが、軸となるコンセプトに基づいて制作と更新を繰り返し、自己主張をする制作者を「アーティスト」と呼び、個々にコンセプトと作品が独立し、着用者目線に立つ制作者を「デザイナー」として私は認識しています。勘違いしてほしく無いのは、アーティストの方が偉いとかデザイナーの方が偉くないとかそういう話ではなく、自身の作品を発表する市場の違いだけだと思っています。

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 私は今までCJ作品をどうやったらアート作品として認めてもらうかと試行錯誤していましたが、以上の内容から考察すると、残念ながらこれは不可能ではないかと考え始めました。なぜならCJ作品として世の中に発表しようとすると、作り手はアーティストではなくデザイナーとして認知されている場面が多いからです。

 ではジュエリー作品を作るアーティストは成り立つのでしょうか。それは上記でも述べましたが、“アーティストステートメント上で制作された作品であり、かつアートの文脈を意識していればアート作品として評価の対象に成り得る”と考えています。アート作品とはステートメントに対してのその期間/一時期の答えであり、これは常に更新され続けます。作品が単体やグループ(短期的なスパン)で完結するのでは無く、全ての作品が繋がりを持っているのです。そしてもちろんアーティストステートメントも作品と一緒にアップデートされ続けることで、成熟したアーティストとして認知されていくのでは無いでしょうか。アーティスト+ステートメント+文脈+実作品の総合的な作品の厚み(作り手の歴史)があるからこそ、アート市場独特の作品価格上昇が可能になっているのだと思います。

 私は工芸分野で学んだ身として長い間無自覚で活動してたことがあります。それはステートメントの“勘違い”です。工芸やCJの制作者が陥りがちなステートメントとして、新しい素材表現の開拓、独自の技法研究、ジュエリー自体のアップデートなどを全面に押し出したものが挙げられます。しかし、これらは残念ながらアートの世界では通用しないステートメントだと言えます(他にもポエム要素の強い内容とか)。なぜなら、非常に内輪的で共感性の低さなどもありますが、基本的に素材、技法は作品を構成する要素の一つでしかありません。もちろん作品を説明する上でこれらの要素を説明する必要はあると思いますが、ステートメントの核としては相応しくないのです。

 ここで一人、現代アートの分野で活動している若手アーティストについて紹介したいと思います。

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東京藝大彫刻科出身の井原宏蕗さん (http://koroihara.com

 彼は以前からリアルな動物の姿をモチーフに、多くの野生動物が晒されている生息環境の変化や絶滅などの危機的状況についてのメッセージを金属彫刻作品(儚い存在を強固な素材で表現)として発表していました。その後、金属という素材から離れ、生物が生きることで生み出される副産物(例えばツバメの巣、羊やウサギの糞など)や生物の習性などに着目し、それらを「生き物がいた痕跡を彫刻として自立させる作品」として制作スタイルやコンセプトなどがアップデートされていきました。近年ではミミズが生きた痕跡の糞塚をミミズが作った彫刻と捉え、それらをそのまま窯で焼成し陶器にするプロジェクトを行っており、2019年にはミミズが通った糞塚の穴を利用したジュエリー作品「jewelry from earth-raw」も展開するなど表現の幅を広げている注目の若手アーティストです。

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※写真はアーティスト提供。無断転載禁止。

 これは元々の素材が持つ造形(生物が残した自然な形)に対して、手を加えるべき工程の最良のバランスを考えた結果、表現の一つの可能性としてジュエリー機能を持った作品が生まれています。

・動物がいた痕跡→今回はミミズを選択(今作品の核)
・消えて無くなるモノ(一時の副産物)→彫刻&ジュエリー(時代を超えるメディア)
・土で作られた造形→陶器(生物の記録と記憶の維持)
・無価値なモノ→ジュエリー(価値ある象徴)
・素材自体の小さな孔を利用→ジュエリー(最小限の加工プロセス)

 これらは私の個人的な解釈ですが、このような作品の持つレイヤーを一つずつ読み解くことにより、ジュエリー作品として制作された必然性が理解出来るのでは無いでしょうか。急に“ミミズの糞が素材として面白そうだからジュエリーにしてみた”と言った思いつきの単純なものではありません。“野生動物の痕跡を後世に残す。生き物が作った造形を人間の手で彫刻へと自立させる”といった核となるコンセプトや過去の作品群からの繋がりがあることによって、この作品の見え方が大きく変わってくると思います。素材、技法、装身具の概念/機能はコンセプトを作品として具現化する/視覚化するための道具の一つであり、アーティストとして活動していく為にはその道具を柔軟に活用できなければなりません。

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※写真はアーティスト提供。無断転載禁止。

 今まではCJ作品がアート市場に入れるかを考察してきましたが、逆も簡単ではありません。アートとしてのジュエリー作品はステートメントやアートの文脈を意識するあまり完成品のデザイン性や着用性などが他のCJ作品に比べて弱い場合があります。それは、CJ作品を好む人たちの大半がジュエリー好きであり、ジュエリーに関しては目の肥えた人達だからです。特にCJ市場は非常に小さいと言われており、この狭いコミュニティー内で楽しんでいるサブカルチャーのような一面も持っています。世界中の著名なCJギャラリーを見てみても、多くの取り扱い作家が同じであったり、同じコレクターに対して営業していたりします。私はまだドイツで活動し始めて数年ですが、ありがたいことに既に多くの関係者の方々と繋がりを持つことが出来ました。言い換えれば、それくらい小さなコミュニティーであり、良くも悪くもこの規模の小ささが、CJ分野が現在まで維持されている理由かもしれません。なので、新しくアートとしてのジュエリー作品をCJ市場に持ち込み、内部の人達に理解や評価を求めようとしても、限定的な市場の現状、アイテムや素材による一定の価格基準の壁などから、それは不可能な挑戦と言わざるをえないと思います。

まとめ

 私はCJ作品の越境を目指していましたが、アートの市場で発表するのでは無く、アーティストとして作る「ジュエリー表現作品」とデザイナーとして作る「CJ作品」をはっきりと分け、別々の作品/市場で意図的に発表する必要性があると強く感じました。もちろんこれはアート市場を意識したいジュエリー制作者の為の内容であって、今後もCJ市場で活動したい人にとっては全くもって問題無い話だと思います。ギャラリー、コレクター、美術館のコレクションが存在していますし、工芸的デザイン的アプローチやジュエリーの文脈についてもとても奥が深いです。ですが、アートとしてジュエリーを発表してみたい、可能性があるかもしれないと考える人がこの中にいるのであれば、まず第一歩としてアーティストステートメントにしっかりと向き合ってみては如何でしょうか。

 現代アート分野の中で“ジュエリー表現”に脚光が当たる日を夢見て、今後も地道に頑張ります。

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寺嶋孝佳【装身具作家/CJST企画運営】
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