『コンテンポラリージュエリー』ジュエリー表現はアートになり得るのか/表現者♯1
『ジュエリー』作品の制作者は国内外に数多く存在します。しかし、制作者ではなく表現者/アーティストとして活動している人は果たして何人いるのでしょうか。2020年という節目、コロナパンデミックの前後などでアートを中心とした多くのカルチャーでは新しい時代が始まっています。表現者たちは常にアンテナを張り、様々な表現媒体を利用して個々の考えを具現化しています。私も表現者の一人として、これからのジュエリー表現についてどのようなアプローチをするべきかと常日頃考えています。歴史的で重要な分岐点に立っている今の表現者たちが、今後どのような作品を制作、発表していけるかがコンテンポラリージュエリー(以下CJ)/ジュエリー表現の未来を決定付けるはずです。今回はCJ分野について気になる点と今後の指標を『表現者』にフォーカスを当てて考察していきたいと思います。
現在までの問題点
わかりやすく第二次世界大戦後をCJ分野の一つの出発点とすると、1990年代までは大まかな流れとして、職人、注文仕事から個人の作りたい造形(大量生産品に対しての一点物の手業、ジュエリーの抽象化)→小さな立体造形物のジュエリーと大きな立体造形物の彫刻モニュメントといった彫刻的概念(表現方法の多様化と分野間の交差)→貴金属からプラスチックやステンレスなどの新素材への移行(重量、色彩、価値観からの開放、デザインの自由度の拡大)→デザイナーからアーティストへ、アート分野への挑戦(コンテンポラリーアートの影響、ジュエリーの概念化)だったと私は考えています。※こちらについては装身具史編で追々投稿する予定です。個人的に2000年以降はファッション的工芸的思考(デザイン性の追及と素材、技術のアップデートと再評価)の傾向を強く感じています。戦後の50年間に比べれば最近の20年間には大きな変化は無かったのかもしれません。この停滞期を考察する過程で私はある結論を出しました。それは未だに「ジュエリーの枠内でジュエリーを考えている」です。
CJの世界も西洋美術史の文脈と同じようにヨーロッパ地域やアメリカを中心として、過去の表現や作品に対しての批判や反発の中で新しいムーブメントを起こしていました。しかし現在では美術史の流れとは異なり、CJ分野はジュエリーの概念化のムーブメントが起きていた時代が最大のピークであり、ゆっくりと衰退しているように感じています。このような限界感のあるカルチャーに注目してくれる人たちは今の時代にいるのでしょうか。私の答えはNOです。ジュエリー作品の価値(CJマーケットの価格帯の停滞もしくは低下)は改善されることはなく、また分野を盛り上げてきた高齢化したアーティスト、ギャラリスト、コレクターへの依存が露呈し、新規マーケットの確保のために現在ではファッション性の高いデザインや価格帯の調整に直面しています。CJ分野に興味を持った一人として私はCJの未来について強い危機感を感じています。ではこの状況を改善するために、コロナパンデミック後にはどのような改革が必要なのでしょうか。まずは表現者/アーティスト一人一人の意識改革が重要になると考えています。
2020年から2030年へ
今後の10年弱の未来について表現者が意識しなければならないことをいくつかあげてみたいと思います。何人かの天才や幸運の持ち主は戦略無くしても成功する(私の思う成功とは時代の代表者として歴史に残ること)かもしれませんが、大半の人たちはただ作品を制作、発表しているだけでは限界があります。冷静に自身の作品と分野について分析をし、行動に移していくことが個人の成功と新規コミュニティの開拓、そしてサブカルチャー/カウンターカルチャーとしてのムーブメントにつながるかもしれません。※自分はまだキャリア10年の若造なのに偉そうなことを書きますがご了承ください。以下は自戒の意味も込めて。
知識としての装身具史
まずは装身具史を勉強すること。「ジュエリーの枠内でジュエリーを考えている」とは言いましたが、その枠を知ることはとても重要です。他の分野の表現者に比べてジュエリー作品を作っている人は圧倒的に勉強不足です。日本では制作第一主義(手を動かすことで全てが解決される)教育プログラムの影響で素材や技法からでしか作品を制作できない表現者が大多数です。技術の伝承、反復練習の必要性などは教育機関には欠かせない重要項目だと思いますし、私個人も工芸科の彫金で学んだ多くの技法や思想を制作の基盤としている点ではとても感謝しています。しかし、CJ分野をアップデートするためには過去の変遷を知ることが必要不可欠です。教育機関での時間的、カリキュラム的制限が明確な今、表現者自身が受け身になるのではなく、自発的に装身具史を学ぶことによって新しい道が開けるのではないかと考えています。ジュエリーの抽象化、概念化を新しいこと、CJの真髄のように勘違いしていると、それは既に誰かが表現した作品の類似品かもしれないし、素材や技術をアップデートしていると思っても、それは大した変化ではないのかもしれません。歴史を知り、なぜ今の“この時代”に“この作品”を発表しなければいけないのかを真剣に考える必要があるはずです。よく耳にする「ジュエリーとは何か?」という問いかけはもう必要なく、これからの時代には「ジュエリーで何をするのか?/したのか?」が必要なのではないでしょうか。
ジュエリーからの解放
次はジュエリーに囚われないこと。上記のように装身具史の大まかな流れを掴むことによって初めて「ジュエリー表現」の土台が完成します。そしてこの土台を形成後に他分野へのリサーチを行うことがポイントです。「ジュエリーで何をするのか?/したのか?」を表現するには外(他分野)へ持ち出す必要があります。アート、音楽、ファッション、文学、建築、飲食、etc…その組み合わせ/可能性は無限大です。『現代』の作品を制作するためには今のカルチャーに注目し、融合することが求められていると考えています(流行を追うことでなく時代性を判断すること)。特にジュエリーは大体のデザインや機能が完成されており、ある程度の素材や大きさの違いはあれど、ネックレスは“何か”が連なって首に下げられ、リングは指を通すスペースがあります(これに反発する作品ももちろんありますが例外として)。素材や技法、デザインを多少アップデートしただけではこれが現代に作られたのか、10年前に作られたのか、または50年前に作られたのか、客観的に鑑賞すると大きな変化は感じ取ることができません。これはCJの小さなコミュニティ内でしかわからない些細な変化であり、多くの公募展や展示(国内外共に)を見ても革新的な作品は本当に少ないと思います。これからのCJ分野は境界線を跨ぐ、または書き換えるようなアプローチが求められているはずです。
次回に続く
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