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曖昧な『コンテンポラリージュエリー/現代のジュエリー表現』の世界を定義する ♯2


【現代におけるジュエリー表現はアートになり得るのか】

装身具史やアーティストの紹介前に、少しコンテンポラリージュエリー分野についての基礎知識を共有したいと思います。今回はコンテンポラリージュエリー作品の大まかな分類について、アーティストとして分析した私の考えを説明します。作品鑑賞の際に“目の前の作品が何を意識して制作されたのか”または“自分はどの分類の作品が好みか”などが少しでもイメージ出来ると、アーティストの紹介時や実際の展示会がより面白くなるはずです。ジュエリーとしての機能が備わっている分、現代アートよりも狭い中での表現活動にはなりますが、「ジュエリー表現ってこんなに振り幅があるのか!」と感じてもらえたら幸いです。


コンテンポラリージュエリー/ジュエリー表現作品の簡単な分類

説明図01

コンテンポラリージュエリー/ジュエリー表現の作品を説明する上で、私はこの図のように4つの項目に分けて考えています。①と②はアーティストと作品の関係性、③はアーティストと作品以外に1人ないし複数人の着用者と、そして④は不特定多数の鑑賞者を巻き込んだ構成になっています。もちろん、これらははっきりと分かれているものでは無く、互いを行き来し合い初めて成り立つのがコンテンポラリージュエリーの分野です。その点を踏まえて読み進めてください。

① 物質的作品
読んで字の如く実際に触れる事が可能な作品。使用する材料(クラシックな素材の従来には無い扱い方や新素材の提案)や技術力(伝統技法の独自の解釈や最新技術の吸収)に重点を置いた工芸的または彫刻的なジュエリーとしての形をしたもの。純粋な立体造形作品としてのクオリティや完成度の高さが特徴で、着用の機能は備わっているが実際の使用感(重量やサイズ感)は必ずしも重要とはされていない。着用者よりも作品自体を重要視している傾向がある。また、造形の美しさを追求するあまり「“ジュエリー”という作品(機能)にする必要が本当にあるのか」という問いが常に付き纏っている事も忘れてはならない。厳しい言い方をすると、この部分を疎かにしている作品(ジュエリーとしての必然性が無く造形美のみ)はコンテンポラリージュエリーの分類外。他には物理的に人間(着用者)が不必要であったり、着用先が動植物や自然、人工物など人間以外の広範囲に目を向けた作品もある。“ジュエリーを身に着けるのは人間のみ”という概念の破壊やジュエリーとしての境界線の書き換えを模索している。
② 非物質的作品
実際に触れる事が不可能な作品。例えばビデオや写真、インスタレーションなどでジュエリーを表現したもの。着用する行為自体や装飾欲求またはジュエリーの存在意義や役割などにフォーカスし、物質的な作品を提示する事なくアーティストのコンセプトを可視化している。また物質としての制限から解放されているので、光や影、空気、匂い、音と言った形の無いものまでも自由に作品として扱う事が出来る。最近ではAR技術などの最先端技術を活用し、ジュエリーを実際に身に着けている擬似体験を作品にしようと挑戦しているアーティストもいる。また、①と②が対となって一つの作品になる事もある。ビデオや写真で使用した実際の物質的作品を標本のように紹介したり、①の作品が台上や壁面に設置してある以外の状態を説明する為にも合わせて用いられたりする。
③ 着用者+作品
着用者の存在が必要不可欠な作品。ジュエリーに触れる事または着用後の視覚的な変化によって起こる着用者の精神的な揺さぶりや高揚感に注目しており、人間とジュエリーの間で起こる相互関係を重要視している。鑑賞者を必要としない点で、個人的な世界に入り込む、内向的な一面を持つ。着用する事で初めて完成(機能)する作品形態(物理的もしくはコンセプト的)や着用される時(ジュエリー)とされない時(オブジェ)の2つの要素を持たせようとする試みも見られる。また、ファッションとの強い繋がりを意識した作品もあり、髪型から靴までの全身を使って表現をする場合もある。他にもパフォーマンス作品としてダンサーにジュエリーを装着させたり、来場者自身を作品の一部として扱うアーティストもいる。このように“着用者とは一体誰のことを指しているのか”は重要で、人間であれば誰でも問題無い場合や、性別、国籍、年齢を絞った作品もあり、勿論特定の誰かが着用しなければならない作品もある。昨今では人種差別やフェミニズムをテーマとした作品も多くなってきている。
④ 鑑賞者+作品/鑑賞者+作品+着用者
① ② ③を見る鑑賞者(第三者)の存在が重要な作品。③の内向的な一面とは異なり、社会に向けた外向的な特徴を持つ。①と②を鑑賞する場合は作品のコンセプトがアーティストから第三者へとダイレクトに伝わる場合が多いが、③の状態ではアーティストのコントロールの範疇を超えた作品の伝わり方をする可能性がある。ジュエリー作品は身に着ける人物像の影響を色濃く反映するものであり、“着用者のイメージ=作品のイメージ”として結びつく可能性を持っている。好感や影響力のある人物が身に着けた場合と反感や全く知らない人物が身に着けた場合とでは作品に対する印象は全く異なる。③でも書いたが、ある特定の人物にジュエリーを身に着けさせ、周囲の反応を作品にするというプロジェクトなども行われている。過去に遡れば、大勢の人に見てもらうには街の中心地で大々的に作品を発表したり新聞などに頼って宣伝していたが、現在ではインターネットやSNSが発達し、以前とは比べ物にならない速さ、人数(鑑賞者)へのアプローチが可能になった事でアーティストの表現の幅は広がった。他にもレディ・メイドの流れを汲んだ作品もあり、“着用可能であれば何でもジュエリーになり得るのか”という問いを具現化して鑑賞者に問いかけてたりもしている。


これらが作品制作、鑑賞の際に考えている私の個人的な分類ですが、全てに共通している事があります。それは『時代とジュエリーの融合』です。細かなコンセプトやテーマはアーティストの数だけあると思いますが、根本にあるのはこのキーワードではないでしょうか(今後具体的な例を挙げながら紹介していきます)。個人から社会へ、ミクロからマクロへ様々なアプローチが可能なメディアとして、コンテンポラリージュエリー/ジュエリー表現が存在していると思います。

次回に続く

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寺嶋孝佳【装身具作家/CJST企画運営】
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