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突然、湧いてくるように現れた感謝の気持ち。
12月の中ごろになって突然、滝のように「感謝の気持ち」が湧いてくるようになった。
コレというきっかけがあったわけでないが、今から考えれば身の回りに起こった問題や出来事がひとつひとつ解決の道をたどるにつれて大きくなったのではと思う。とにかくある日気がついたら、何をしていても、誰といても一人でいても、かかわっているすべての人やモノに対して、本当にありがたく愛おしい気持ちが止まらなくなった。
と同時に、こんなことも思う。
頭ではつねに意識してきたはずの、この「すべてを愛し、すべてを感謝する」という神がかり的な行為に対して、いつのまにか努めて行動や言葉で表すことから遠ざかっていたのではないか。
もちろん自分なりに実行しているつもりだったが「自分を大切にできなければ人になんて優しくできない」という自分のモットーが少しだけ自分勝手なほうに働いて、何らかの理由で傷ついた自分を労りつづけることに必死になっていたようだった。
そんな日々はただ「毎日頑張っている」という事実があるだけで、成果みたいなものを掴もうとしても掴もうとしても、すべて指の間からすり抜けて流れていってしまうようで、まるで運気が上がらなかった。
インテリアシリーズでも書いたが、振り返ってみれば「暮らし」も「好きなもの」もおろそかにしていたし、大好きだった行く先々での神社のお参りや瞑想なんかからも、すっかり疎遠になって、要するに自分にとって大切なものやコトからすっかり離れてしまっていた。自分を労ろうとしていたハズなのに不思議すぎる。
今となってはなぜそんなことになっていたのか、本当にわからない。
とにかくわたしは必死だったし、もがき苦しんでいたし、そして感謝を忘れていたように思う。そんなちょっとわがままモードだった自分から「抜けた」と思える今があって、今となってはすべてが愛おしく、すべてがありがたいのだから、これからはじまる2025年には幸せの予感しかない(というかすでに幸せ)。
あけましておめでとうございます。
今年もここnoteでたくさんの文章を書いて、願わくば誰かの心の友になったり、誰かを元気にしたり癒やしたりすることがあれば嬉しいなと思っています。
また今年は、自分が人生をともにしてきた音楽や歌に、さらにどっぷり切り込み、さらに仲良く過ごす基盤をつくっていく所存です。noteでもたくさん紹介していきますので、応援していただけたら嬉しいです。
世界中のみなさんに、すこしでもたくさんの愛と平和と幸せがありますように。
2025年 お正月 大阪府の実家にて。