どうでもいい人

構築力がない。
話に構造が見えない。オチになってやっと自分が言いたかったことが長い愚痴だったこと、何回あっただろうか。

自分には時間の流れを見る目が備わっていない。
今しか見えないせいで、流れをキャッチするまでに時間がかかる。積み重ねで相手を怒らせてしまう。未来を夢見ることができない。

どうしたものか、それを自覚したのが23になってからだったのがよくない。よくないだけで片付けていいものかわからないが、こういった自分の特性がどこに影響しているのかを、各所理解できていなかった。

自分はいつもテキトーに生き、なんとなくの直感を頼りに物事を決め、テキトーに外食で金を使い、オタクをしたり帰省をしたりどうにかのらりくらりしてきた。

それが良かったのかよくなかったのかはわからないし、いい時もあればダメな時もあっただろうがなんとなく反省。
反省する時もなんとなくだから忘れて意味のなかったことになる。

物覚えも非常に悪い。書かないと覚えられない。楽しかった思い出や食事を忘れると相手に失礼だけど本当に忘れる。行動を忘れてしまう、特性は思い出せる。なんでかはわからない。

そんなこんなで、今思っていることは広がったほうがいいのか、よくないのかということで、人脈でもいいし知識でもいいが自分は広がったほうがいいだろうと感じる。

広がらない人生だと、それは結局排除の人生なのであり凝り固まりが早くなる気がする。興味を持つ気持ち(心の一部)が分散されず、集中することで執着にもなる。よくないと思う。

広がりとは、執着がなくなることだと思う。一途なのはいいことだが、細い一途でいい、そう思うようになった。
しつこい人間はちょっと苦しい。

自分は、執着が愛だと思っていた。
でも、多分違う。執着は自分向きの感情で自分勝手だ。愛は相手のことを考えなければならない。

一途な気持ちは心の中にあればよくて、誰かに見えるものである必要は全くない。

今ここにたどり着いたけど、本当はもっと他の選択肢があるのかも他の考え方があるのかもしれない。でも、今はここに留まっている。


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