「全社員デジタル人材教育」の違和感
最近毎週のように、大企業が社員のデジタル教育を始めるというニュースを見かけます。
「⚪︎⚪︎株式会社は、××万人にDX人材向けの研修を始めた。」
ITパスポートの取得を必須にするという。
受講レベルを分け、上位レベルではより実践的な内容を身につけられるようにする。
だいたいこういった見出しの記事が並びます。
共通言語を作り、会社のデジタル投資への本気度をあげる仕草になるといったメリットもわからなくはないですが、こういった取り組み紹介には、前から違和感を感じています。
一つは、スキルレベルの活かし方について。何万人が受講して、何千人が「実践レベル」になったとして、その企業にはいくつのデジタル投資案件が存在するのでしょうか。仮に数十〜数百あったとしても、ほとんどの人が実践の機会がないことになります。そうなると、「知識は身につけたとしてもそれを存分に生かす実務機会が十分にない」状態になり、受講者からは「何のために何時間もかけてこれを学んだのか」という状況、現場からは「最低限の知識しかない人から要件定義に口出ししてほしくない」という反発が生まれやすくなってしまいます。
もう一つは、DX人材という呼び名について。多くのデジタル化が扱うテーマは業務の課題解決の手段なので、これは事業経営テーマそのものです。だとしたら何ら特殊ではなく、単なる人材育成の一単元だという見方ができます。
最後に、これが一番大きいのですが、デジタル能力は組織が押し付けるものではなく、個人の才能を引き上げるためのものであるべきだ、ということです。デジタル領域はできる人が限られる特殊性がある分、「フェア」なことが魅力です。性差、年齢、職歴などに関わらず、誰にでもチャンスがある。
こういった賃金格差があるから社会だからこそ、大企業にいても誰にでも出し抜くチャンスがあるのがデジタル領域の良いところです。だからこそ、平等性もさることながら、あえてそのデジタルセンスがある人に、然るべき経験や知識をしっかり与えられるべきだなと思います。