
Bloodborne 考察 時計塔のマリア=ゴースという仮説 ~これが私のBloodborne①~
前置き
BloodborneはTRPGの要素を多分に含んでいます。ストーリーについては想像の余地が意図的に残されております。
Bloodborneが目指した、一人一人違ったゲーム体験、言い換えれば自分だけの物語を妄想するにあたって、マリアほど便利な駒はありません。情報が少ないがゆえに動きやすく、重要な要素ほぼ全てに絡んでくるので、マリアを配置することで、Bloodborneの物語が規定される、まさに作中の「血」のような存在です。逆に言うと、マリアがこのBloodborneを引っかき回し、より難解なゲームにしているとも言えます。そこで私が唱えたいのが以下の仮説。
ゴースの正体、上位者化したマリアの肉体ではないでしょうか。
正解を提示するつもりはありません。ただマリアという駒を、ゴースというマス上に重ねると面白くなるんじゃないか。DLC「The Old Hunters」がよりドラマティックに考えられるんじゃないか。そんなお話です。
本題
何故マリアをゴースに重ねるのか。その起点はそもそもゴースの遺児自体、矛盾した存在だからです。ゴースは「ゴースの寄生虫」にて明確に「上位者」とされています。上位者に赤子はいないはず。しかし「ゴースの遺児」もまたトロフィーのテキストによると「上位者」なんです。百歩譲って「眷属」であれば矛盾とは言えなくなるのですが、「上位者」が「上位者」を孕んでいたというのは、Bloodborne界では通常起こりえないことです。
この矛盾を解消する糸口が「人」の上位者化です。「幼年期の終わり」エンドにて主人公が上位者と化しました。白痴の蜘蛛ロマはゴースから瞳を与えられて上位者となりました。あれです。
もしも「妊娠した女性」が上位者となったら、どうなるのでしょうか。宿った命は生まれてくることができなくなるのではないでしょうか。私はこれがゴースの遺児だと考えています。マリアは確定せずとも、ゴースは元々「人の女性」であるという説は、突飛なものではなくむしろ有力であるとさえ考えています。
では「人」が上位者になるために必要なものは何か。それは「瞳」です。脳の内に「瞳」を抱く必要がありました。この「瞳」を抱くには特別な血が必要です。「実験棟」で行われた人体実験の最終目標は「特別な血」を使って「瞳」を得ることでした。そこでゲールマンが目を付けたのが、元々「特別な血」を引く、裏切者の末裔マリアでした。だからゲールマンは狩人の宿敵であるカインハースト出身でありながら、マリアを弟子としたのです。この部分は別にゲールマンを掘り下げた記事にて解説したいと思います。
けれど、漁村での虐殺に際し、マリアは狩人をやめてしまいます。虐殺に加担したのか、その跡を見たのかは定かではありませんが、彼女は武器を捨ててしまうのです。カインハーストも医療教会もマリアに取っては嫌悪の対象であり、唯一、師であるゲールマンだけが彼女の寄る辺になっていたと思われます。漁村の虐殺、首を切り取られた漁村民の死体見るに、あの虐殺にゲールマンも加担していたこと、マリアが絶望したことは想像に難くありません。そしてヤーナムの夜明けENDの主人公のように、狩人の夢でマリアが狩人として継いだ遺志をゲールマンがさらに継ぐため介錯を行います。それは激高か、マリアを解放するためだったのか、そこまでは分かりません。問題は狩人を辞めたとき、マリアには新たな命が宿っていました。後にゴースの遺児となる存在です。さてここで親の顔より見たテキストを見返します。
「三本目のへその緒」
全ての上位者は赤子を失い、そして求めている
常にこのテキストは、上位者には生殖能力がないことの示唆と見做されていました。しかしこの瞬間、マリア自身の赤子の命が文字通り失われたのです。これが一つのトリガーとは考えられないでしょうか。
そして何故ゲールマンが介錯を行ったとしたのか、既に生まれることができなかった遺児が悪夢を形成するためにはもう一つ舞台装置が必要だからです。
カレル文字「月」
悪夢の上位者とは、いわば感応する精神であり
故に呼ぶ者の声に応えることも多い
生まれたいという遺志なのか、ゲールマンへの呪いなのか。生まれる前に死んでしまったゴースの遺児が月の魔物を呼んだのです。或いは赤子に反応して月の魔物がやってきたのかもしれません。しかしメルゴーを完全な赤子とするなら、遺児は不完全な赤子です。そこで遺児は、他の遺志に依ることで悪夢の上位者に昇華しました。
「呪詛溜まり」
呪う者、呪う者。彼らと共に哭いておくれ
やつしのシモン
…この村こそ秘密。罪の跡…
…そして狩人の悪夢は、それを苗床とした…
遺児は狩人に虐殺された漁村民の恨みを苗床にしたのです。ゴースの遺児は、遺児のまま悪夢の上位者となりました。これが「狩人の悪夢」の始まりです。生まれてくることができなかった「遺志」が呪いとして受肉したのです。「苗床」のカレルが「精霊」を刺激するように、漁村民の恨みがゴースの「遺志」を刺激したのです。
だから奴らに呪いの声を
赤子の赤子、ずっと先の赤子まで
そして遺児の悪夢に、遺児の想う肉体としての母ゴースと、意識としての母マリアが生成されました。この分裂は、マリアも遺児も揃って上位者として昇華したがゆえに起こったある種の三位一体と考えています。つまり父としてのゴース、子としてのマリア、そして聖霊としての遺児です。繰り返しになりますが遺児は生まれてくることができませんでした。へその緒でマリアと繋がった状態のままなんです。これは独立した命でしょうか。現実世界では妊娠から8週間が経過した時点で命としていましたが、近年ではその傾向も薄くなっています。ましてこれはBloodborne、成人すら人の境が曖昧になる世界です。遺児とマリアもまた別個の存在とするにはあまりに不完全な状態であり、結果として歪な三位一体が形成された。これが私の妄想の核です。
ここで改めて落葉の装備のテキストを見てください。
落葉
時計塔の女狩人、マリアの狩武器
カインハーストの「千景」と
同邦となる仕込み刀であるが
血の力ではなく、高い技量をこそ要求する名刀である
マリアもまた、「落葉」のそうした性質を好み
女王の傍系でありながら、血刃を厭ったという
だが彼女は、ある時、愛する「落葉」を捨てた
暗い井戸に、ただ心弱きが故に
このテキストで描かれる女狩人マリア、ボスとして戦う時計塔のマリアと全然違いますよね。多少ダメージを与えると千景どころじゃないほど血刃を振るってきますし、ブラド―のように自らに刃を突き立ててさらなる強化を図ってきます。とてもテキストと同一人物とは思えません。この乖離、時計塔のマリアが母として子を守るためだったのではないしょうか。産んであげることができなかった、悪夢の上位者、呪いとしてしか存在しえない、形のない(黒いもやとなった)我が子を守るため、生前の拘りを捨てて全力を尽くす。それは、どんな形でもいいから我が子に生きていて欲しい、もう二度と自らの心の弱さが元となって我が子を失いたくないという、切実な母親の願い。救いがないことはわかっていたと思います。もう遺児は、少なくとも人としては生きられない、呪いなんですから。けれど呪い続ける限り遺児は呪いとして確かに存在している、誰に望まれなくても生きている。だったら永遠に呪い続ければいいのです。
漁村民
赤子の赤子、ずっと先の赤子まで、永遠に血に呪われるがいい…
不吉に生まれ、望まれず暗澹と生きるがいい…
ウィレーム曰く「血」こそ人を規定するものです。マリアは誰よりも血に翻弄されました。また、先程述べたゲールマンによるマリアの介錯。その前段となる漁村の虐殺。いずれも直接的に上位者が関与してはいないんですよね。すべては人の業。マリアが呪ったのは狩人か人か血か、その全部か。
そして救いのない結末しかないのであれば、結末などずっと来なければいいんです。だから時計塔のマリアなんです。我が子が永遠に呪い続けられるようにするため、星見盤を外し、時が動き出してしまうのを拒んだのです。マリアを倒して時が動き出す演出はそのためのものなんです。
一方、ゲールマンは呪われてしまいました。
助言者ゲールマン
…ああ、ローレンス…
ウィレーム先生…
誰か、助けてください…
誰でもいい、解放してください…
…私は夢に疲れました。
もう、
この夜に何も見えないのです…
…ああ、誰か…
ううう、ああ…
もともと狩人の夢に囚われていたうえに、さらに狩人の悪夢にまで囚われてしまうのです。だからゲールマンは狩人の夢でうなされるのです。またしばらくして、マリアを失ったことから人形を制作していると思います。それは単なる郷愁か、あるいは悪夢からマリアを解放するための依り代か。ついに人形にマリアの遺志は宿りませんでした。マリアは悪夢の中で我が子を守る決意を固めていたからでしょうか。だからマリアが主人公によって倒された時、人形の中で枷が外れるのです。
ちょっと話が変わりますがこの枷、「呪いと化した我が子を守る悪夢に囚われたマリアの使命」と思っていますが、もう一つ「人(母)でありたい」という枷だったとも考えています。
「幼年期の始まり」ENDにて、上位者(の赤子)となった主人公を人形が抱きます。つまりこのENDでは、「人を失う」ことになります。これは人である聖母マリアが神の子であるイエスを受け入れた構図と重なります。ゴースの遺児を守ることは、母として子を守りたいという、マリアの「人としての」欲求とも取れます。「人」を呪ったマリアが、何よりも「人」であることに囚われていたという皮肉。なぜそんなことを考えるのかというと、人形はどこまでいっても「人」ではないからです。だから人形は、元よりそんな枷はないと、クスクス笑うのではないしょうか。
ところで遺児がマリアの子とするなら、父親は誰でしょうか?私はゲールマンだと思います。ゲールマンの言う、この夜に何も見えない、とは、まさに黒いもやとなったゴースの遺児本体、或いはゴースの死体の子宮の中と取れるからです。マリアと同じように子を想うことで、その意識は強制的に悪夢に囚われてしまっていたと解釈しています。
実際のところ、上位者の子である方が悪夢の上位者として昇華する部分の補強にはなります。娼婦マリアンヌのようにオドンが干渉した可能性も捨てきれません。けれど遺児とゲールマンが単純に似ている点、何より遺児の産声がゲールマンのうなされる声(先の引用の最後)とそっくりな点から私はゲールマン説を推したいと思います。
そしてDLCのクライマックス。ゴースの遺児は主人公が浜辺に行くことで生まれたのだと思います。あのシーン、黒いもやと化したゴースが、人の形を思い出したんじゃないでしょうか。ゴースは自分が何者かなんて、そんなこと知る由もなかったはずです。赤ちゃんは自分が人間だって分かりません。いえ遺児は赤子ですらない、より根源的なものと解釈しています。この物語でふさわしい表現をするならば、それはまさしく遺志になるでしょう。そして人として生まれてくることができなかったゴースの遺児は、皮肉にも自らを狩りにきた、自分が今まで呪い続けた狩人の姿を見ることで、ついに人としての形を、本来生まれてくるべきだった形を取り戻したんです。でも、もう遅すぎました。ようやく動き出した長い時間の果て、取り戻した姿は老いた赤子です。だからゴースの遺児は父と似た姿、そっくりな泣き方で産声を挙げるのです。主人公による狩りの達成は生きているのか死んでいるのかも分からない、そんな呪いを海に還す。時の止まった救いのない物語に決着をつける。それがDLCの結末でした。
…ああ、ゴースの赤子が、海に還る…
呪いと海に底は無く、故にすべてを受け容れる
海は命の母と言われます。遍く生命は海から生まれてきた、すべての根源、言わば子宮なんです。生まれてくることができなかった「遺志」を生まれる前にいた場所に還す、マリアができなかった救いのない、けれどこれしかない結末。まさに「狩りの全う」或いは「弔い」と呼べるのではないでしょうか。
反省と余計な話について
いつになく舌を嚙み切らんばかりに妄想を語ってしまいました。一度冷静になり自省したいと思います。
起点であるゴースとゴースの遺児にある矛盾を人間の上位者化で解決するのは我ながら上手い方法だと思っていますが、我々が認識しているゴースは悪夢の中にしかいないので、正直なところ何でもアリだと思います。ゴースを地球古来の生命体とし、作中本編の上位者ルールから外すのも面白いです。海という部分からクトゥルフ関連の話を混ぜ込んだり、遺志の源としての海=宇宙という考え方から展開していくと、種としての人間、種としての上位者といったより壮大な物語を展開できると思います。
またゴースを誰かと重ね合わせるなら、間違いなくヤーナム女王がその筆頭候補になると思います。ヤーナムの石とゴースの遺児の対応関係から本編ストーリーの写し鏡のようにDLCを捉えることができるので、色々と捗ります。実のところ、このnote作った時にはゴース=ヤーナム女王(あくむのすがた)としていたのですが、マリアという駒を上手く活かせなかったのでセーブしたままにしています。最初はマリアがヤーナム女王の遺志を継いだ、としていたんですが、武器を捨てる点やテキストとボス戦が嚙み合っていない点を解決できませんでした。マリアが好きだからDLCはマリアの話にしたいという私の嗜好の問題も多分にあります。時計塔のマリアと女狩人マリア別人説も面白いのですが、テキストの差異だけでは別人説の根拠には弱い気がします。他にも別人説を補強できると、狩人は遺志を継ぐ者設定を活かせるのですけれど。
あと、本編とDLCを鏡合わせに考えるならマリアはロマに重ねるのが定石になる気がします。同じ隠す者ポジションです。ただ個人的に本編で赤い月を隠した主体はロマというよりウィレームとした方がしっくりきます。個人的にウィレームとマリアは「人という枷」ペアで重ねています。
私の説の最も強引なところは、やはりマリア・ゴース・遺児を三位一体と解釈したところでしょう。仮にゴースがマリアだったとしても、時計塔のマリアが生成される根拠はないです。またキリスト教のエッセンスとはいえ、三位一体は教義教派によっても解釈の相違がある部分です。いくら表に出さないとはいえ扱うのはリスキーだと思います。あのフロムソフトウェアでもソニーとの共同開発案件にこんなシビアなテーマを持ち込むのだろうか、という感覚もあります。この部分をよりスマートにできると良いのですが、いい案がないものかと思索しております。
また一応、自説ではDLCのドラマティックさを優先してゲールマンとマリアの実子としましたが、マリアの持つ可能性自体が遺児であるという説も考えています。赤子を可能性として捉えると、Bloodborneの上位者に対しても違った見方ができますよね。若干、生物学的な視点から哲学的な視点に移行できる気がします。
どうでもいいことですがゴースの遺児があんなに強いのは、狩人を呪うゴースの遺児に加えて、子を守りたいゲールマンの意思が介在したとするのは、流石にこじつけでしょうか。まあ全部こじつけみたいな話なので今更な話なんですけど。
とまあ、突っ込みだしたらキリがない自説ではありますが、それでもDLC全体の解釈としては我ながらストーリー性があって面白いと思い記事としました。また、マリアの言う「恐ろしい死」については意図的に言及しませんでした。「恐ろしい死」はローレンスに関わる部分と考えていて、ローレンス関連の話を入れると、話の収集がつかなくなるので、あくまでもマリアの話に絞ってこの記事を作りました。際立たせたいキャラクターなので、ローレンスメインの話もいつか書きたいと思っています。
さよなら~