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Bloodborne 雑記 なぜBloodborneのストーリーは難しいのか
まえがき
人々は流行り病を恐れ、扉を閉ざし家に引き籠る。現在緊急事態宣言の最中で筆を取っています。いやぁ、まさか自分がヤーナムの住民になる日が来るとはなぁ。
極力外に出ないのが、世のため、人のため、自分のためになるのは間違いないわけで、どちらかというと得意分野な私。ゲームくらいしかやることがない、でもSwitchが買えない、そんな貴方にBloodborne。どうぶつの森といえばどうぶつの森みたいな話もありますし、あとセールの度に何かしら法に抵触するんじゃないかってくらい安くなる。
冗談はさておきBloodborne、面白いしオススメなんですけどオススメしにくい。オススメしにくいというよりプレゼンがしにくいゲームです。アクションが良い、武器が良い、雰囲気がいい、そういうことは言える。でも何が起こってるのか、ストーリーについてはやっても分からない。設定が難解だけならまだしもストーリーがわからないのは異常事態です。何だそれって感じですが経験者の方には伝わるはずです。ある意味で消化不良なんです。
謎が多くストーリーを理解することすら難しいBloodborne、そんな謎を少しでも解き明かすため、また仕事から少しでも現実逃避するため今日も在宅勤務をサボり考察をしているのが筆者。そんな理解をされるかと思います。まぁ間違ってはないです。でもそれだけじゃないんです。
そもそもなんでBloodborneのストーリーってこんなに難しいんでしょうか。
これ、もしかしたら別の誰かに喧嘩を売りかねない内容なのですが、そのような意図はないことを予め申し上げたく思います。
Bloodborneのストーリー、DLCまで含めても欠陥品ではないでしょうか。
よく考察は正解がない、正解を求めていないなんて言うのだけれど、Bloodborne自体に正解がないと思うのです。より正確に申し上げれば、明らかに何かが足りない、欠落してしまっているように思います。
おいおいSEKIROはゲームオブザイヤーだぜ、宮崎Dをdisってんのか?みたいになりかねない話です。重ねてそうではないと、否定させてください。
予防線だらけの小心者ですが、私がBloodborneのシナリオが欠陥品だと思う理由、そして何故私がBloodborneの考察をしているのか、述べさせて頂きたく思います。
のうがき
RPGの醍醐味の一つがまさにロールプレイング、つまり自分の好みや考え方をゲーム内に反映できたり、或いは自分で考えたオリジナルの設定でゲームを楽しむことができたりすることです。最初のポケモンを選ぶ、ジョブを選ぶなど、多かれ少なかれ、ある程度の裁量がプレイヤーに与えられ、他人と全く同じゲーム体験には多分ならない。そういった要素です。Bloodborneはプレイヤーにとても大きな裁量をもたせています。例えばこちら。
フロムソフトウェア流の最初のポケモン、最初のジョブです。主人公が何者であるかからプレイヤーは決めることができるわけです。キャラクタークリエイト自体は珍しくなくなってきましたし、ソウルシリーズのジョブにも似ていますが、このようなキャラクターの背景まで設定できるのはBloodborneの大きな特徴です。まあみんなジョブは狩人だからね。とはいえ、いずれの過去も妄想が捗りそう。俺たちの中に今はただ眠っているだけの中学二年生が目覚めてしまいます。
他にもBloodborneが、ロールプレイング部分を重視した設計だと言える要素はたくさんあります。主人公の無個性さ。選択肢はあれど台詞はない(悲鳴はある)。いくらプレイヤーが、人形さん可愛い、エーブリエタースちゃん可愛いってなっても、主人公は顔色一つ変えない。どれもこれもプレイヤーの設定や感覚を邪魔しないための措置です。
もう一つ意識されているのが、情報の制御です。プレイヤーに想像の余地を残すため、いわゆる公式な設定を削ったり隠したりしています。無論ゼロではないです。「獣は火を恐れる」といった攻略に役立てる情報や、「ビルゲンワースは古い学舎」といった用語の解説は行われます。しかしそのいずれもが断片的過ぎて、全体が掴めません。ジグソーパズルのピース一つ一つは見えても、ゴールとなる一枚の絵は見えてこないのです。クリアし、wikiを漁った今ですら見えません。ホワイ?ホワイ?とインターネットを徘徊するヤーナム市民みたい。
主人公の出自すら選べてしまう裁量と、得られる情報の少なさ、Bloodborneのシナリオを難解にしているのはこの二つの設計に起因しています。自由度が高すぎ、何でもアリな状態すぎて、どれが良いのかわからない。多様な解釈が可能過ぎるんです。
視点を変えて同じフロムソフトウェアのSEKIROと比較してみましょう。あちらはアクションRPGではなく、アクションです。隻腕の忍びが、為すべきことを為すシナリオをプレイヤーは追体験します。全部が全部というわけではもちろんありませんが、仮に私がSEKIROの考察をするとしたら「何故そうなったのか」というベクトルになると思います。ジグゾーパズルは概ね完成しており(していると思っており)、所々抜けたピースを埋めていく、あるいは完成された絵の一部分を凝視するようなイメージ、「考察」を言い換えるならば「推察」や「注目」です。
それに対してBloodborneの考察は「何が起こったのか」というベクトルになります。「考察」なんて気取った言い方をしていますが、実態は「理解」「解釈」そして「妄想」の方が近い気がします。「ストーリーや設定を知りたい」。断片的なピースを繋ぎ合わせて、一部分でも絵にしたい。そんなイメージです。SEKIROとはアプローチが違うんです。
これ、私がBloodborneの考察をする1つの理由です。考察しないとストーリーや設定が分からない。
私はBloodborneをプレイしてクリアしました。本に例えれば読み終わったんです。でもこの本は物語のはずなのに、物語が理解できなかったんです。SEKIROっていう本は理解できていると思います。その上で好きだから何も問題はありません。でもBloodborneは理解できなかった、理解していないのにこの本が好きという、不思議な気持ち悪い状態。だからその内容を少しでも理解したい、そんなところです。ジョニィ・ジョースターみたいに僕は今マイナスにいて、ゼロに向かって歩きたいのです。
そしてまたもう一つ、考察をする理由は、考察すること、それ自体が面白いからです。
面白さを説明するのって、そもそも難しい話です。勿論、知的探究心の達成による満足感、征服感、優越感。単純にそれもめちゃめちゃあります。ただ色々考察を重ねていて思ったことがあります。先程、Bloodborneをバラバラになったジグソーパズルに例えました。で、このジグソーパズルのピースなんですが、その繋ぎ方に寄って様々な絵になるように思えるんです。「アメンドーズは複数いる」ピースと「古代ヤーナムの女王は上位者の子を孕む風習があった」ピースと「パッチ曰くアメンドーズは憐れな落し子」ピースで「アメンドーズの母って歴代ヤーナム女王なのでは」といった具合です。
無論、これはBloodborneへの理解度が低いから、かもしれません。ピースの輪郭がぼやけているから、逆に何処のピースとも繋がっているように見えるだけ、その可能性は大いにあります。
順番が前後してしまいましたが、私がBloodborneを考察する理由はストーリーや設定を知りたいから、考察することが楽しいから、この二点に尽きます。いやぁ本当に考察、楽しいっす。
でここからが本題。もしかしてここが一つのゴールなんじゃないか?ジョニィ・ジョースターでいえばゼロなんじゃないか?
つまり、製作者のいう想像の余地は、ジグソーパズルの例で言えば、ぼやけたピースの輪郭、そのものであり、もしかしてこのジグソーパズル、完成させて一枚の絵にするものじゃなく、ピースを組み合わせて様々な絵を描くためのゲームではないでしょうか。
ちょっと話を戻させて下さい。Bloodborneはロールプレイの自由度を確保するために、プレイヤー側の裁量を大きく、そしてゲーム設定の情報を制御して設計された難解なストーリーだという話をしました。
じゃあ、Bloodborneで一番の謎って何でしょうか?「青ざめた血」も、上位者も、ヤーナムステップの判定も謎めいていて謎のバーゲンセール状態です。でも、多分一番の謎って「主人公」なんじゃないでしょうか?
だが、呪われた町はまた、古い医療の街でもある。数多くの、救われぬ病み人たちが、この怪しげな医療行為を求め、長旅の末ヤーナムを訪れる。主人公もまた、そうした病み人の一人であった… 公式HP
主人公に関して最初に与えられる設定はこれだけです。ゲームの進行によって僅かながら(月の香りとか)言及されますが、それらはあくまでゲームの進行によって付与された主人公の特徴ですし、大半は狩人一般の特徴です。ヤーナム出身でなくて、病み人ならOK。世界観はともかく一心様なら余裕でクリア、弦一郎殿でも実質病人でOKなんですね。
でもクリア後に振り帰ると、主人公、ヤバいんですよ。たった一夜のうちに下手したら人間やめて上位者になるし、そうでなくてもメンシス学派の陰謀を暴くし、というか主人公が近づいたらエミーリアさんは獣化しちゃうし、ゴースの遺児は爆誕します。たまたま?本当に?この辺はキリがないので主人公だけで別の記事にしたいと思っています。
最低限のルールの中で自分たちだけのストーリーを構築しながら遊ぶ。一つ思い当たるものがあります。昔からこういうゲームはありました。TRPG、和製英語でテーブルトークロールプレイングゲームと呼ばれるゲームで、Bloodborneに限らずソウルシリーズの核となる元ネタ、ないしコンセプトの一つとされています。
TRPGはTVゲームと異なり、必要なものは紙とペンとサイコロ、進行役のゲームマスターと、ロールプレイを行うプレイヤー数人で会話をしながら行います。プレイヤーは自分のジョブや能力などを予め設定し、ゲームマスターや他のプレイヤーと会話をしながらルールに沿って目的の達成を目指します。かなりDARK SOULSやBloodborneは近いと思いませんか?ただTRPGは基本的に一人で遊ぶものではなく、ゲームマスター含め一緒にプレイする人たちが必要になります。それらの要素をNPCや敵やボスやマップといった形で表現されているのがソウルシリーズなのでは?いやぁ上手いことやりますねぇ。
でも製作者では用意できず、そしてゲームを、物語を成立させるために必要な要素があります。すなわち、私たちプレイヤー自身のロールプレイです。
DARK SOULS(1)の話をします。主人公は不死・亡者となってしまって北の不死院に囚われていましたが、不死の使命を知り、その使命を果たしたり果たさなかったりする。そんなお話です。言い方は難しくなっていますが、簡単に言えば世界を救う、或いは王になる、という王道ストーリーといって差し支えないでしょう。「目的探し」→「目的の断定」→「目的の達成」という構成になっていて分かりやすいです。さらに主人公のロールプレイも、多分もう「人間」であればOK。素晴らしいゲームだ。
では改めてBloodborneを見てみましょう。主人公は最初から「青ざめた血」を求めていました。或いは「青ざめた血を求めよ。狩りを全うするために」と書かれた自筆の走り書きを見て、「青ざめた血」を求めていたことを知りました。その目的を果たすために獣を狩り、「獣狩りの夜」を終わらせたり終わらせなかったり人間をやめたりしました。「目的」を達成したのか、してないのかも分かりませんが、ゲームクリアとなることから逆説的に考えて、どうもメンシスの儀式を暴くことが、或いは月の魔物を狩ることが、主人公の目的だったらしいです。
何故?
それはゲームをプレイしただけでは分かりません。多分、分かるはずがないんですよ。考察しても答えは得られないと思います。古今東西の神話や伝承を調べ、哲学や量子力学や相対性理論を学んだところで、主人公に繋がるものは出てこないと思います。得られるのは周辺の知識で、主人公は何者でもない。主人公の正体なんて、そんなものはないんです。制作側も主人公が「青ざめた血」を求めた理由は設定していないと思います。思い返して下さい。
ほう…「青ざめた血」ねえ…
確かに、君は正しく、そして幸運だ
まさにヤーナムの血の医療、
その秘密だけが…君を導くだろう
だが、よそ者に語るべき法もない
だから君、まずは我ら、
ヤーナムの血を受け入れたまえよ…
さあ、契約書を…
ー「血の聖職者」
ゲーム起動直後、怪しげな老人に紙を手渡されてプレイヤーはキャラクタークリエイトを行います。なかなか洒落た演出です。キャラクタークリエイトを終えると輸血が始まり、獣が燃え盛る夢と人形さんの声が入るムービー、そして、ヨセフカの診療所の寝台で目覚めた主人公、いよいよゲームがスタートします。そこで見つける自筆の走り書き「青ざめた血を求めよ、狩りを全うするために」。プレイ開始以前の、つまり私が操作する前の主人公が書いたもののはずです。
最初からどころか、このゲーム起動して2秒で「青ざめた血」が出てきます。なぜ「青ざめた血」を主人公は知っていたのでしょうか?何度も申し上げます。答えはありません。では視点を変えて、そもそも私がプレイする前の主人公、つまり主人公の過去に何があったのでしょうか?過去?
過去を決めたの、プレイヤーでした。これステータスじゃなくて「過去」なんです。脳筋したいから暴力的過去にしようって、冷静に考えて意味が分かりません。生まれるべきではなかったキャラってどんなキャラクターですか?
DARK SOULSは素性を選びましたが、たとえ過去を選ぶシステムで、どんな過去を選んだとしても良かったんです。主人公は亡者になってしまい、生身であった頃の記憶は朧げになっているかもしれないですし、何よりあの物語における目的=使命は「不死の使命」、ゲームをプレイして得るものだったのですから。
血の聖職者の契約書、そしてキャラクタークリエイト、これ全部TRPGの準備なんです。プレイヤーが決めるんです。そしてDARK SOULSと決定的に違うのが、ストーリーにかかわる部分、根幹に関わってくる、恐らく「青ざめた血」を知っていた理由も、或いは「狩りを全う」したい理由も含めて全部プレイヤーに裁量があるんです(銃パリィの音)。
「生まれるべきではなかったが元狩人に拾われ育つ。実はゲールマンの孫弟子に当たるが病気と輸血の際に記憶混濁に陥った」
「遠方の地のプロフェッショナルがヤーナム訪問の前に聖歌隊関係者と連絡を取った」
何でもいいんです。何でもいいんですけど、主人公だけはロールプレイしないと、物語が完結しないのではないしょうか?そうでないとストーリーに説明がつかない、ともすれば欠陥と言われても仕方のない設計になっているのではないでしょうか。
勿論、どんな過去であっても共通する設定を用意している可能性はあります。その可能性を否定も排除もしません。でも少なくとも私は、この考え方が最も腑に落ちるのです。断片的な情報と主人公の無個性さはすべてロールプレイの自由度を確保するための仕掛けでした。そして主人公の設定すら、その向こうにあるストーリーすらプレイヤーに裁量があるとしたら、そのゲームによって得られる体験は紛れもなくプレイヤー一人一人が異なった体験を得られる自由度の高いものになりうる。まさしく夢のようなゲームではありませんか?それとも私が夢を見ているのでしょうか。
ちょっと穿った見方をします。DARK SOULSもSEKIROも面白いゲームです。その魅力の一つが達成感にあります。その達成感を得るために、これらのゲームはいずれも高難易度に設定されています。無論テストプレイも何度もしたことでしょう。だとするならこんなに分からないストーリーにするものでしょうか?難解なストーリーは意図的に仕掛けられた設計であり、プレイヤーによる補完が前提条件のようになっていたのではないしょうか。無論、フロムソフトウェアに対する考え方ひとつでこの部分は変わってきてしまいますが。
はい、以上が今回私が書きたかったことです。ですがTRPGの構造からもう一つ、もはや(或いはずいぶん前から)こじつけのレベルなのですが、この世界にゲームマスターがいるとすれば、少なくとも助言者 ゲールマンがその役を背負っているといえます。
狩人よ、君はよくやった。長い夜は、もう終わる
さあ、私の介錯に身を任せたまえ
ー助言者 ゲールマン
ここで介錯に身を任すか、任せないか、プレイヤーは選ぶことができます。介錯に身を任せた場合、「ヤーナムの夜明け」ENDにてゲームクリアです。このルートでは月の魔物は影も形も現れません。すなわち「青ざめた血」は秘匿、メンシスの儀式を暴いた時のヤーナムの空のみを指します。
この「介錯」、「解釈」とかかっているように思えます。様々なインタビューで宮崎Dをはじめとした制作側がプレイヤーの想像の余地≒プレイヤーによる解釈を肯定的に捉えていることが伺えます。
ここでは「青ざめた血」を2通りに解釈できると思います。ひとつは空の色。白痴の蜘蛛を倒し、メンシスの秘密の儀式を暴いたときの空の色ですね。そのときの空はとても青白く、血の抜けた体のようです。
(中略)
「青ざめた血」はとある状態の月から現れるモンスターの別の名前です。
教室棟にこれのヒントとなるメッセージがあったと思いますが、これ以上はここで語るのはやめておきましょう。これは想像の余地、自分自身とそれからプレイヤー両方の想像の余地、を残しておきたいところなので。
Bloodborne考察wiki 宮崎インタビューまとめより抜粋
自分自身とそれからプレイヤー両方の想像の余地ってなんでしょう。めちゃんこ響きがいいですね。でも敢えて悪い言い方をすれば「あんまり細かく設定してないよ」。これと同義のように私は思います。
あとがき
本記事は考察行為に関する自己弁護的な要素もあって、要は「Bloodborneは考察しないと始まらないんだぜ!」的なことを書いています。おやおやと思われても仕方がない内容です。
でも書きながら思ったことがあって、もしも私が書いていることが(何かの間違いで)結構当たっていたと仮定すると、Bloodborneの考察は、この私たち自身のロールプレイ、或いはそのロールプレイに必要となるゲームのルールの裁定行為に当たるなぁということです。
とすると、私は一つ思い違いをしていて、私はゲームをクリアしている認識でおりましたが、実際のところはまだBloodborne、クリアできてない、というかプレイしている途中なのでは?そこまで考えると流石に怖いものがあります。
「血に酔った狩人の瞳」
血に酔った狩人の瞳。瞳孔が崩れ、蕩けており
それは獣の病の特徴でもある
血に酔った狩人は、悪夢に囚われるという
悪夢の中を永遠に彷徨い、獣を狩り続ける
ただ狩人であったが故に
さよなら~