「これからも葛藤しながら生きていくよ」という話。
今回のnoteは、私に関わっていただいている多くの人に是非とも読んで欲しいような、読んで欲しくないような内容だ。
下書きには去年の振り返りなど途中まで書いて挫折したものの宝庫(?)になっているのだが、noteを書きたくなった気分なので書くことにする。
こういう性格だからこそ
私はとある性格上、日々とある葛藤を抱きながら生きていると言っても過言ではない。
せっかくだし、その性格についても書いているThreads(非公開なのだが)を引用してみよう。
太文字で強調した部分が今回のキーになるのである。
そう、私は基本的にノーやいいえとは言わない。その成果が現状となって多くのご縁を頂いてきた。だからこその悩みが今回の題材である。
この葛藤をどうするべき?
イベント参加やボランティアなど誘われた時、日程さえ合えば二つ返事で「行きます」や「行けます」と言うのが当たり前になってしまっており、そのイベントやボランティアとしての活動日が近づくにつれてやや後悔してしまうのが日常茶飯事である。
しかし、ここで後悔してしまったことでキャンセルしてしまうとせっかく頂いたご縁を無駄にしてしまうようで気が引ける。
そして、しっかり参加させて頂いてきたからこそこれまで多くのご縁を頂いたのだと言っても過言ではない。
だからこそ、イエスマンはやめられない。でも毎回若干の後悔が生まれてしまうのも目に見えている。この葛藤を二つ返事をする間にしている。返事をするまでの考える期間を与えていただいた方がいいのか、今の現状を続けていくのがいいのかそれさえもわからない。
余談
あ、せっかくだしこのタイミングだからこそこれも言っておこうか。これまでも度々言ってきたし知ってる人も多いと思うのだが、「御恩と奉公」をモットーに大事にしてきた。
大学生というのはどうしても課題がつきものである。課題というものは所謂協力ゲーなので、協力しながら進めていく。例えば「今週自分やるから、来週はやってな」みたいなことでどちらか一方に負担がかかりすぎないようにする必要がある。これに対して鎌倉時代における将軍と武士の関係性として知られる「御恩と奉公」に通ずるものを感じたのでこれをモットーにしているのだが、ごく稀にこの協力体制にズレ、片方に負荷がかかりすぎる時が起こってしまう。
その状態になりたくないからこそ何人かに対して最近は課題の協力に対して慎重になってしまっている自分がいる。申し訳ない。ちゃんとこれまでの実績を重視していきたいタイプなのである。
さあ、将来どうするんだろう。
新型コロナウイルスが猛威を振い始めたのが2020年初頭であり、2024年2月現在約4年が経過した。私たちの学年は、高2の直前からコロナの制限を受けながら生活することを余儀なくされた世代であり、高校生活においてほとんどの学校行事が高1の時にしかなかったのである。そのまま附属からの流れで大学に入り、さまざまな経験をしてきたのだが大学2年間が終わり、大学生活の折り返しに差し掛かっているのだがイマイチ将来設計、プランニングが上手くできていないように感じ始めている今日この頃。
専門学校や短大の同級生たちは就活を終えて、この4月から就職するタイミング。なんなら、高校を卒業して就職した同級生はもうすぐ社会人2年目を迎える。人生20年、それなりに積極的に活動してきたつもりではいるが幼稚園から大学まで続いてきた「教育」というレールの上から別れを告げて、自らがレールを敷かなければいけないタイミングがそろそろやってきているのだと実感している。
ここからの2年間、ゼミもあるし専攻の授業はより専門的に学ぶ機会が増えるはず。残り2年間もあると捉えるか、2年しか無いと捉えるか。将来を見定めるタイミングにやってきた、そんな気がしている。
おわりに、
何気なくバイトして、何気なく遊んで。の中にある学ぶ機会って大事。Netflixを見るのもよし(浅草キッドめちゃくちゃ良かった、サザンの茅ヶ崎ライブもぜひ全員に見てほしい)、散歩に行くのもよし。
ガクチカを稼ぐことの大事さって就活はもちろん、それ以外にも有効活用できる場所はたくさんあるのだ(ゼミ選考とかね)と気づき始めた今日この頃。
さあ、そんな私は今日も動き出します。この春休みも有意義に過ごせたらいいよね。
何気なくnote書き始めたつもりが、気づいたら2200字超え。赴かなければ、行かなければ知ることが出来ない景色、人。大事にしていきたいです。
せっかくの春休み、定期的にnote活用していきたいので次回の更新もお待ちくださいませ。言語化する力を磨く機械なんだよ、noteは。
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