歩みをゆるめてごらん #寄せ文庫
ふみぐらさんの文章を読むたび、そう声を掛けてもらえる気がする。
読むたびに色々わからなくなる。ご本人も口癖のように「ちょっとよくわからないけど」と書いている。みんなでわからなくなる。
だから、読む。続きを考えたくなる。
答えにたどり着きたいのとは違う。急いでない。というか答えがない。高原でのんびりと草をはみ続ける姿がぴったりだ。飽きたら、はむのもひと休み。いやしかしこの草うメエな。
言葉は、世界を理解するためにあると思っていた。たぶん、半分ぐらいは合っている。現にぼくは毎日なにかを、誰かをわかろうとして言葉を紡いでいる。ときどき誰かにせっつかれるようにして。汗をたらしながら。
そんな自分が踏み込んだnoteの世界で、「わからないを増やしたい」と言っている人に出会った。増やされていた。でも、そんなふうに文章を書いてもいいと教えてもらえた驚きでもあった。歩みをゆるめることで見えてくる景色。それをただ眺める時間に、恋焦がれていた。
わからないを増やそうとするふみぐらさんの言葉は、いつだってやさしい。
「わからない」をもっと一緒に眺めたり愛でたりしたいです。
良い草、探しておきますね。
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以上、感想文です(488字)。読んだ作品は上記埋め込みリンクのとおり。
サラさんのこちらの企画に参加しています。
ふみぐらさんと初めて言葉を交わしたのは、1年と少し前。「読むこと、書くこと、生きることの間に、柵ってないと思うんです」というぼくの言葉に、ふみぐらさんはこう返してくれました。
ほんとそうだと思ってます。だから逆に難しいというか、うまく捉えきれない部分もあったり。なんていうか、同じ山もどこから見上げるか山のかたちや趣きが違ったり、どんなルートで登るかで見えてくるものが違うのとも似てるのかもしれないです。
そんな気がする。わかるようで、わからない。1年越しに読んでもまだわかった感じはしない。でも「急いで山頂を目指すことはないよ」とこのときから言ってもらえていたのを知って、嬉しくなった。
ふみぐらさんの文章を読み返していたら「わからない」がまた増えた。幸せなことに、それが1年前よりもっと楽しいと思えるようになった。道に迷っていることも楽しいと思えるぐらいが、ちょうどいいんだ。
サラさん、運営の皆さま、企画の立ち上げ、お取りまとめありがとうございます。こちらのnoteにて、参加させていただきます。
ヘッダー画像は、大好きな信州・蓼科山麓からの景色です。同じこの夏空を望むふみぐらさんに、皆さんのメッセージが届きますように。ご快復を心より祈っています。