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空っぽのお弁当箱

結婚するまで、ついぞ料理なんてしたことがなかった。

長い実家暮らしで、自炊とはほど遠い生活だった。台所に立ったことがないわけではないけど、まともな料理はしたことはなかった。中学校の調理実習でパスタを冷水にぶちこみ、それまで5だった家庭科の通信簿が4になったのは一生忘れない(冷水パスタ事件と成績の因果関係は不明)。



結婚して妻と一緒に暮らし始める前、ある日こう言われた。

「4月から、お昼ご飯はお弁当もっていこうよ」

どうやら節約が目的らしい。2秒考えて、「いいよ」と答えた。ちょうどコンビニおにぎりにも飽きはじめていて、できるなら毎日美味しいものを食べたいなと思っていたからだと思う。毎日美味しいランチなんて、とんだ幻想とは知らずに。

妻とそんな話をした翌日、クッキングビギナーは高校を卒業してから触ったことすらないお弁当箱を取り出し、早速、果敢にお弁当を作った。それがこちら。

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そぼろ肉らしき謎の物体をセンターに据え、スペースを埋めることに必死な白米とプチトマトが両サイドで屈強な布陣を張っている。限られた空間の半分以上を占めるご飯には、何かが混ざっている。落ち葉かな。

作っているとき、母親が隣で残念そうな顔をして見ていた。親の前でセルフ弁当を作るのは何とも気まずいのだ。以来、妻と一緒に住み始めるまでの3カ月、夕食後にこっそり台所でお弁当を仕込む修行の日々が続いた。野菜を切るはずの包丁が何度も爪をスライスした。

妻とのお弁当生活は、順調に続いた。

その頃は共働きだったので、早く帰った方が夕飯を作る。主菜は多めに作って作り置きにするか、そのままお弁当に詰める。朝は忙しいから、前の晩に作って冷蔵庫に置いておく方式。手が回ればお弁当用の副菜も作った。二人とも野菜が好きだから、彩りはそこそこゆたかだった。途中からはたまに冷凍食品に頼る術も覚えた。冷凍食品は最強である。

いつしか、会社でお昼休みにお弁当箱を開けるのが楽しみになった。妻が作ったときは「今日は何かな」と思いながらふたを開き、自分が作ったときは「今日は美味しくできたな」と思いながらふたを閉じた。気付かぬうちに料理を好きになっている自分がいた。

夜は、家で夕飯を食べながらお弁当の反省会をした。ぼくは玉子焼きがふんわりできなかったことをよく悔やみ、妻は、自分のお弁当箱のふたがドーム状だからおかずをふんわり盛れることをよく自慢していた。

すれ違うのもやっとな狭いキッチンで、エプロンを巻いて毎日せかせかお弁当作りに勤しんだ。たまにはケンカもしたけど、お弁当を欠かすことはなかった。どんなに帰りが遅くても、ふたを開いたときの色合いに頭を悩ませ、二人分のお弁当を詰めて冷蔵庫にしまっているうち、毎日美味しいランチは幻想じゃなくなっていた。少なくとも、ぼくらに二人にとっては。



でも、それはある日すぐ幻想に戻った。

忘れもしない2019年12月4日の朝。妻はベッドから起き上がることができなかった。会社を休んだ。翌日も休んだ。次の日も、その次の日も。

原因不明の腰痛に妻は襲われ、寝たきりのような生活が続いた。二つあったお弁当箱も、一つは家から出ることがなくなった。料理をするのもままならない妻は、お昼になると、ぼくの作ったお弁当を家のテーブルで一人で食べた。

年明けからは、お弁当を作ることをやめた。一向に良くならない妻の容態をみかねて実家に一時的に移り住んだからだと思っていたが、たぶん違った。自分だけのお弁当を作る気になれなかった。ぼくは、毎日美味しいものを食べたくてお弁当を作っていたわけじゃなかったのだ。

もっと色鮮やかなきんぴらを作ってみたかった。もっとふんわりした玉子焼きを焼いてみたかった。もっと妻に驚いてもらえるようなひとくちお菓子をランチクロスに忍ばせてみたかったし、もっと色とりどりのおかずをきれいに詰めてみたかった。

もっと、二人でお弁当を一緒に作っていたかった。

お弁当はいつだってどこだってお弁当である。何を言っているんだと思われるかもしれない。でもそうじゃないお弁当もあったのだ。二人でキッチンに立ち、二人でお弁当箱をバッグに入れ、二人で出社して、違う場所ではあるけれど同じ時間にお弁当を食べていた。あの頃のお弁当が、ぼくらにとってのお弁当だった。ぼくらの新婚生活は、お弁当とともにあった。それは、とてもとても美味しいお弁当だった。

食事を作るということ。結婚をしてから、それは大切な人のためだからこそできると知った。続けられると知った。ぼくはつくることは大抵何でも好きだと思っていたけど、どうやら食事だけは条件付きだったらしい。

ちょうど1年ほど前、完治しない腰を理由に妻は退職した。その頃から少しずつ快方に向かい、階段の上がり下りや重い荷物を運ぶことを除けば、いま生活にほぼ支障はなくなった。昨年から仕事に追われて毎日夜まで部屋にこもっているぼくの代わりに、ご飯も作ってくれる。休日はぼくも台所に立って料理をする。このご時世にあって、二人で笑って食卓を囲めている。こんな幸せなことはないと思う。なのに、今も食器棚のどこかで息をひそめているお弁当箱のことを気にかけている自分がいる。

節約したいからでも、自分の好きなものを食べたいからでも、美味しいものを食べたいからでもない。その人と一緒にいなくても、一緒にいると感じられるからお弁当なのだ。ぼくはそんなお弁当を食べるのが好きだったし、作るのが好きだった。

あのお弁当をまた作ることはできるだろうか。家のテーブルで向かい合って食べるお弁当は、あの頃と同じ味がするんだろうか。少し、心配になる。先月リフォームを終えた新居のキッチンは、すれ違うときにぶつかることもない。それに、初めての二人暮らしを無我夢中で駆け抜ける中、細い糸が結び目をつくるように日々を繋いでくれたお弁当は、記憶の中でずっと美味しくなってしまったような気がして。



お弁当を作るきっかけが妻の一言だったように、この話を書くのも妻の一言がきっかけだった。ヒトミさんの #いちまいごはんコンテスト に向けて何か書きたいと思って頭を悩ませていたとき、ぼくから想い出に残っているご飯について聞かれた妻はこう答えてくれた。


「お弁当かなあ」



あの頃と違うお弁当でもいい。今度、食器棚からお弁当箱を引っ張り出して、たっぷりのおかずとご飯を詰めてあげよう。前みたいに冷蔵庫にしまって、次の日のお昼、二人一緒にテーブルの上で食べてみようよ。食べながらちょっと笑っちゃいそうだな。

きっと、空っぽだったお弁当箱も嬉しいと思うんだ。きみの一言を聞いたぼくは今、献立を考えながらもう嬉しくなってるけど。



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