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灼熱九州旅行 #3

《前回までのあらすじ》
高校のクラスメイトだったぼくと田中は、大学4年の夏休みに九州を訪れた。大宰府の史跡、一風堂総本店のラーメン、天神の屋台街。初日の博多を満喫した二人は、翌朝、高速バスに乗り込み長崎へと向かっていた。


高速バスは渋滞に巻き込まれることもなく、長崎に向かう道を快走した。乗車前に田中が仕入れた鶏飯かしわめしのおにぎりと、昨夜屋台の帰りにコンビニで買った伊右衛門で朝ご飯を済ませる。おにぎりは素朴な旨味たっぷりで、別れを告げたばかりの博多の街を早くも懐かしく感じさせた。

「佐賀には悪いことをしたな」
「お前絶対にそう思ってねえだろ」
「佐賀には本当に悪いことをしたな」
「佐賀ごめん。いつかまた来る」


バスは長崎駅前のビルに停まった。空気の境界線をくぐり外に出る。街には、大通りを行き交う車の音がけたたましく鳴り響き、ここが夏の中心だと言わんばかりの陽光が降り注いでいた。

大通りを跨ぐ歩道橋を進むと、路面電車のプラットホームに繋がる階段があった。一両編成の車両はクリームと深緑のツートンカラー。低い空から物語の世界に降りるようにして、ぼくらは電車に乗り込んだ。




この日最初の目的地は、街の東に位置する亀山社中記念館。県ごとに千切られてもはや冊子ではなくなったるるぶによれば、幕末の乱世に、坂本龍馬率いる浪士集団が結成した日本初の商社の遺構が残っているという。

二人とも熱烈な幕末ファンでなければ、数カ月前に終えた就職活動で商社から内定をもらったわけでもなかった。ただなんとなく選んだ目的地。大学生の判断に根拠などあるわけがない。

「今日、というか長崎暑すぎだろ」
「最高気温36度だってよ」
「ふざけてる。おれもう着替えないのに」
「それはお前がふざけてる」

田中は、この旅行に着替えのTシャツを2枚しか持ってきていなかった。汗をかかなくなる特殊な手術を受けたか、数を数えられなくなったかの2択で、おそらく後者だった。センター試験の数学で大敗を喫したのは必然だったのだ。一昨日は、Tシャツを探しに駆け込んだ天神のH&Mで「高すぎる」と吐き捨てて2分で店から出てきた。意味がわからない。



電車を降りて大通りから少し歩くと、石垣の続く道に出た。右手の斜面に伸びる石造りの階段に、等間隔で鳥居が連なっている。傾斜は次第に厳しくなり、気付けば、鋭い日差しは空のてっぺんから照り付けはじめていた。Tシャツの袖を肩まで捲り、額を伝う汗を拭いながら一段ずつ上っていく。

「極限に暑い」
「なんか、ニューヨークを思い出すな」
「あれは極限に寒かった」

大学2年の冬、田中とぼくはニューヨークへ旅行をした。もし大学に旅程の組み方の授業があったら、二人して確実に再履修になっていたと思うくらい、無鉄砲で、無謀な弾丸旅行だった。

最初の晩に入ったHard Rock Cafe。出てきたステーキがタウンページ級の大きさで、これがアメリカの洗礼かと二人で声を揃えた。翌朝、自由の女神のあるリバティ島に渡るため並んだフェリーの順番待ちの列では、突き刺さる冷気に言葉を失った。

あれから彼といくつもの盃を交わした。その数だけ、マンハッタン島の空は蒼く、洗礼だったステーキは厚くなった。遠のいても薄らがないように鮮やさを増した記憶。きっと数年後、この街で浴びた日差しは挑むように白くなり、試練だった階段は勾配を高めるのだろう。




案の定、亀山社中記念館ではただ涼をとっただけだった。展示された志士の写真を眺めては「こいつ知らねえな」と呟き、史料である書状の前で止まっては「どれも読めねえな」とぼやいていた。歴史の重みを理解せぬままぼくらは社中を後にし、山の頂上にある展望台へと向かった。

展望台は山の一帯に広がる風頭公園かざがしらこうえんの一角で、美しい夜景を臨める有名スポットとして知られているようだった。生憎、目の前に広がるのは圧巻の青空と緑に囲まれた街並みだったが、絶景であることに変わりはないだろうと、隣に立つ龍馬像がくそ真面目な顔で囁いていた。


日陰に寝そべる野良猫たちに挨拶をしながら、一歩踏み外せば転げ落ちそうな坂道を下る。再び路面電車に乗り、街の南へ向かうことにした。

明治の時代の洋館が建ち並ぶ「グラバー園」は、風情ある木造建築が夏の緑と花々に彩られており、さっきよりずっと近くに見える長崎の港がまた絶景で最高だった。でも、その行きの商店街で買った角煮まんじゅうは、秘伝のタレととろける角煮が絶品でもっと最高だった。でも、帰りの商店街で試飲した地酒(日本酒)の「長崎美人」はもっともっと最高で、それを薦めてくれた店員のお姉さんは絶世の長崎美人だった。

「お前、この酒の写真撮っとけよ」
「撮ろう撮ろう」
「お姉さんも一緒にどうですか」
「あっ、わたしは…大丈夫です(笑)」

そう言って笑顔で店の少し奥に下がっていったお姉さんを背景に、なぜか試飲コーナー全体の写真を撮った。試飲のほろ酔い吹き飛ばした誠に悲しいこのエピソードは、後に九州三大悲劇の一つである「長崎美人事件」として語り継がれることになる。


街の中心部に戻るようにしてしばらく徒歩で北上すると、中華街に行き着いた。昼時はとうに過ぎており、待ちに待ったちゃんぽんの店を探す。

るるぶに載っていた一番の人気店は満席だったので、辺りをぶらつき、店頭の装いが良さげな中華料理屋を突撃した。二人とも看板メニューのちゃんぽんを注文し、火傷を辞さず競って麺をすすった。2日目にして既に4杯目のラーメンだった。胃が狂っている。

「美味かった。やはり本場は違う」
「これは東京じゃなかなか食えないな」
「美味すぎてもう一杯食えるレベル」
「消化が早い」
「だがおれはもう汗が限界なので着替えてくる」
「消費が早い」

スープをすすっていた蓮華を置くと、田中はバッグを持ってトイレに向かい、さっき立ち寄ったコンビニで買ったTシャツに着替えて戻ってきた。涼やかな顔とは裏腹に、冷めやらぬちゃんぽんの熱でもう汗をかいている。暑苦しいことこの上ない。このペースでTシャツを消費するようでは先行きが不安でならない。


満たされたお腹で、すぐそばにあった出島を訪れた。日本史の授業で何度も習った由緒ある史跡。カステラも金平糖もここから始まったんだなあと近世への安っぽい追憶に浸った後、出島の正面にある駅から路面電車に乗り込み、街のずっと北にある平和公園へと足を延ばした。

平日の陽も傾く時間だったからか、公園は思ったよりひっそりとしていた。広場には数日後に控えた慰霊の祭典の準備がされており、泉のそばに建つ鐘のモニュメントには、数えきれないほどの折り鶴が掛けられていた。この街を訪れたからには外せない場所を、訪れることができて良かったと思った。


「夕飯どうする」
「さっきちゃんぽん食ったばっかだな」
「適当に買い込んでホテルで飲むのはどうだ」
「採用」
「長崎美人を探そう」

長崎駅に戻り、いよいよ疲れを覚えてきた足で、中心街から少し離れたところにある百貨店のデパ地下を散策した。景色が夜に染まり始めていた。

長崎美人は、地酒コーナーで難なく調達できた。さてアテは何にしようかと二人で言葉を交わすや否や、名産品の試食を勧めてくる店員のおばちゃんたちの波に飲まれ、何種類ものイカ明太を頬張る羽目になった。ところがこのイカ明太、たまらなく美味いのだ。群を抜いて押しの強かったおばちゃんと意気投合し、一番大きいパックを買い込んでホテルへと向かった。


日焼けした肩にシャワーは沁みたが、汗を流したら、さっきまでの疲れが嘘のように吹き飛んだ。部屋にお猪口が無ければテーブルも無いので、湯呑みと椅子で夜を凌ぐ。飲む前から酔ったようなテンションで瓶を開けた。大学生は、無敵なのだ。

「くうぅ!長崎美人、美味いな!」
「昼の長崎美人とは一緒に写真撮り損ねたけど」
「あと一押しだった」
「それにしてもイカ明太が美味い」
「おれら今日『美味い』しか言ってないな」


美味いを尽くした街、長崎。離れるのを惜しみつつ、次に向かう熊本への期待を高めるために飲み明かすのだが、語るのは、やっぱり昼の長崎美人についてばかりなのだった。




《続く》

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