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グラスの音は時を超えて

キンとグラスを合わせる音が、ぼくらをあの日に連れていく。

お酒を飲むようになって10年余り。仕事でプライベートで、それなりの回数の盃を交わしてきた。浴びるように安酒を飲んだことも、おそるおそる高級酒を口につけたこともある。

景色ゆらぐ居酒屋の座敷、後ろのテーブル席の会話が気になる行きつけのカウンター、思いつきで友人と夜な夜な集まる近所の公園。ときには、誰にも(妻を除く)咎められない家のリビングで。

そこに、いつも乾杯があった。喧噪を切り裂くようなそれも、心の内を確かめ合うそれも、言葉なく祈るようなそれも、居合わせた誰もを振り向かせ、繋ぎとめるひとときをつくった。

ともに盃を傾ける瞬間である以上に、それは何かの合図だった。

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粗削りなエネルギーのほとばしる20代は、日本酒を伴侶に駆け抜けてきた。幸い、数年前には人生の伴侶も得ることができた。乾杯がきっかけではなかったけど。ん、そうでもないか。まあそれはいいや。

初めて心を打たれたお酒は、二十歳のときに飲んだ浦霞 禅 純米吟醸だった。宮城県の佐浦酒造が醸す王道の吟醸酒だ。教えてくれたのは、今は亡き伯父だった。

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謙虚に漂うフルーティな香りと、透明感のある口当たり。ひんやりと涼し気な甘味は上品で、柑橘系の酸味と潔い後口が、自然と次の1杯を惹きつける。あの日、ぼくはこのお酒の虜になった。

大の酒好きだった伯父は、毎年正月に親族で集まるのを楽しみにしていた。大学生になったばかりの若造に、良い酒を飲ませてやろうと思ったのだと思う。その思惑が功を奏したのかどうかはわからないが、家中に瓶を置いては妻から激励なしの叱咤を受ける日々を過ごしている。

伯父は8年前に急逝した。当時ぼくはシアトルに留学中で、大学の図書館で課題をやっていたとき、日本にいた母から電話で伯父の訃報を受けた。異国で暮らす緊張の糸が切れた瞬間だった。

幼い頃から我が子のように可愛がってくれた伯父との思い出が堰を切ったように脳裏を駆け巡り、図書館の机に突っ伏して泣いた。数日後に大学の期末レポートの提出を控えていたため帰国は叶わず、伯父の最期に立ち会うことはできなかった。盃を交わした日のことを、祈るように指を折って数えた。

以来、伯父との約束があったわけでもないのに、今でも新年の初呑みは必ず浦霞 禅と決めている。年明けに伯母の家に四合瓶を引っ提げていき、なみなみ注いだグラスを仏壇に供えるのが恒例になっている。

仏壇の前でぼくは伯父と乾杯する。傾くはずのない置かれたグラスが、線香の煙に包まれてかすかに揺らめく。

おりんを鳴らす。恰幅の良い伯父が、あぐら姿でテレビの天皇杯決勝を眺める姿が脳裏に浮かんでくる。グラスを合わせる音が響く。赤ら顔で愉快に笑う伯父の声が、どこか遠くから聞こえてくる。

禅の澄み切った味わいが、前にも増して立体的になってきた。蔵元のたゆまぬ技術あってこそのなせる味だが、ぼく自身の変化もあるだろう。それは味覚がというよりも、重ねた年数だけ輪郭を確かにする記憶によるものだと思っている。

伯父と一緒に過ごした優しい時間を描いたスケッチブック。ページ数が増えることはもうないけれど、時の流れが一つひとつのシーンの色彩をゆたかなものにする。

乾杯が、色を重ねていく。

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こないだ久しぶりに高校時代の友人と飲んだ。画面越しではなく、盃を酌み交わせるテーブル越しで。梅雨明けを告げる鋭い日差しがまだありがたいと思える快晴の日だった。

デパ地下で目当ての日本酒を買い込む。水色の瓶が汗をかかないよう、自前の保冷バッグに詰め込んでもらった。わけあって2人して惚れ込んでいるイカ明太子は生憎売り切れだったけど、代わりに、威勢よくぶつ切りにされたたこわさを仕入れた。上々のスタートだ。

正午を回っていたのでラーメン屋に入った。火の国、熊本の濃厚な豚骨スープが身体を芯から真夏にする。この歳になるともうラーメンは〆じゃなくて前菜だなとか、わけのわからないことを言いながら2人揃ってスープを飲み干した。

足早に向かった先はぼくの家。そこでぼくらは静かに乾杯をした。彼と家で飲むのは7年ぶりで、大学卒業以来初めてのことだった。

縁あって、彼とは浪人時代を過ごした予備校も、はっちゃけた生活を浪費した大学も一緒だった。大学2年生の冬にニューヨークへ、大学4年生の夏には九州一周を掲げ男二人旅をした。イカ明太子に一目惚れしたのは、九州の旅路で訪れた長崎のお店がきっかけだった。

もし大学に旅程の組み方の授業があったら、2人して確実に再履修になっていたと思う。それぐらいにはどちらも密度の高い弾丸旅行だった。

ニューヨーク最初の晩に入ったHard Rock Cafe。出てきたステーキがタウンページ級の大きさで、これがアメリカの洗礼かと声を揃えた。翌朝、自由の女神のあるリバティ島に渡るため並んだフェリーの順番待ちの列では、突き刺さるような冷気に言葉を失った。

長崎にある海援隊のゆかりの地、亀山社中。傾斜のきつい細く長い坂道を、照り付ける日差しを浴びながら2人で歩いた。桜島でレンタカーを借りたとき、運転に自信がなく借りるのを諦めていた女の子2人組に声を掛けそびれたことは、末代までの語り草となる後悔になった。

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凍てつくマンハッタン島と、灼熱の亀山社中。人生またとない極限世界をともにした彼とは、今でも飲みに行く関係が続いている。

10年前に比べたらお互いお酒の味がわかるようになったし、美味しい肴をつまむようにもなった。だけど、何よりも深みを帯びてきたのは他ならぬ「懐かしさ」だった。

彼とグラスを合わせるたびに旅行の話をする。語り合った回数は数えきれない。でも次飲むときも、その次飲むときも、10年後に飲むときもこの話をするだろう。ぼくらはそのたびに声を出して笑い、あのときに想いを馳せる。

同じ乾杯が一つとしてないように、同じ懐かしさも存在しない。

盃を交わした数だけ、マンハッタン島の空は澄み切るように蒼く、長崎の太陽は挑むように白くなっていく。洗礼だったステーキは厚みを増し、試練だった坂道は勾配を高める。あのときを、あのときのままとするために。遠のいても、薄らがないように。

刻まれる年輪がその幹を揺らがないものとするように、重ねてきた盃が追憶の情景をありありと映し出す。克明ではなく、鮮明に。

鮮やかなのだ。記憶として。

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ぼくは、何のために乾杯がしたいのだろう。

#また乾杯しよう」の企画を知ってから、仕事の合間も頭の片隅で考えていた。お酒をこよなく愛する者として背は向けられないテーマだった。

企画告知では、募集作品のテーマの一例として次のように書かれている。

□ 過去の自分を振り返った話
□ 現在の状況下で感じていること
□ 未来の「乾杯」に関するアイデア

昨年のコンテスト「#あの夏に乾杯」の企画告知には、コンテスト企画の背景が次のように説明されている。

いつかの夏を思い返せば、そこにはカラフルな景色と淡い思い出があって、
そんなシーンにいつも「乾杯」が寄り添っている気がするんです。

昨年のキリン公式のコンテスト振返りには、次のような一節もある。

この気付きを受けて、次の企画も立ち止まり振り返るものにしたいと思いました。そこでテーマには「あの」をつけることにしました。

「過去の自分を振り返った」
「いつかの夏を思い返せば」
「立ち止まり振り返るもの」

これらに共通して浮かび上がる「追憶」というキーワードから、目を背けることができない。

昨年の「#あの夏に乾杯」は、上記の振返りでも言及されている「あの」という一言にそれが凝縮されている。一人ひとりが自分の「いつかの夏」に想いを馳せて、そこに彩を与える1カ月半だったのだと思う(昨年は応募どころかnoteを始めてすらいなかったので、残念ながらそれこそ想いを馳せるしかないのが悔しい)。

今年の「#また乾杯しよう」は、今年の世相もあってか「未来の「乾杯」に関するアイデア」も具体的なテーマの一例になっている。

しかし、第一に挙げられているテーマが「過去の自分を振り返った話」であるのが目を引く。そう意識すると、今回の投稿ピックアップ記事(第1回第2回)にある下記の太字部分がより際立って見えてくる。

これまで行った投稿コンテストと比べて多分に「今」を反映しているお題であるため、想いが強い分どんな反応が出るかとても不安でした。(第1回ピックアップ記事より引用)
「乾杯」には、膝を突き合わせてグラスを合わせるという行為を超えて、「誰かとつながりたい」という意思にも似た想いを感じ取ることができたことは、今回このテーマでコンテストを実施できたことの一番の収穫なのかもしれません。(第2回ピックアップ記事より引用)

キリン公式のプロフィールも覗いてみる。noteを始めた背景である「「これからの乾杯」を一緒に考える場」を創りたいという想いに続けて、成し遂げたいことが2つ記されていた。

ひとつは、乾杯の時間を彩るヒントをわたしたちからお届けしていくこと。もうひとつは、共通のお題(ハッシュタグ)や投稿コンテストなどを通じて、みなさんから集まった「乾杯の時間」をこの場で紹介することで、これからの乾杯を考える時間をつくること。

目線は、決して後ろだけを向いていない。

だがその理由も一瞬で氷解する。乾杯の起源には諸説あるが、今日的な意義として、誰かの健康や成功に対する祈りや祝いの念があることは間違いないからだ。そこにある時間軸は左右どちらにも振れている。

忘年会に新年会。歓送迎会、結婚式。理由を問わない祝賀会や、理由も要らない家族・友人との晩酌、ときに昼酌。

今は大手を振って催せないものもあるが、在りし日々の追想と等しく、いやそれ以上に、来たる未来への希望が込められてるように思える。過ぎ去る年月や人との別れを惜しむよりも、お互いの前に伸びる道へと目を向け、歩みを進めよと背中を押そうとするのだ。

だからこそ、「追憶」に強く惹かれてしまう。

今ぼくらが生きる世界は、前進を無条件に肯定しがちだ。不安の渦に巻き込まれることも、ためらいの壁と対峙することも、ゆるされるのは束の間でしかない。成長、変化と巧みに言葉を変えながら迫ってくる価値観は、立ち止まって振り返る勇気をいつだって試してくる。

そんなしがらみから解き放たれ、懐かしさを分かち合えるかけがえのないひととき。追憶は過去に彩を与え、重ねられた色が時の流れをゆたかにする。スケッチブックに残してきた大切な情景が色褪せないように、今日は一緒に筆を執ろう。

グラスを合わせて鳴る音は、その合図なのだ。

心地よい響きが時の流れをゆるやかにし、流れは次第に向きを変える。ぼくらはそこに舟を浮かべ、あの日に向かって漕ぎ出す。風そよぐ川面はやわらかく揺らめき、視界は曇りなく晴れ渡っている。

漕ぎ進めるほどに、景色がモノクロームになっていく。ぼくらは絵筆を取り出して、彩を与える。ときに淡く、ときにビビッドに。それは、またいつでもここに戻ってこれるようにするための目印をつくると同時に、ぼくらがそこにいた証を残す営みでもある。

グラスの音の鳴らない乾杯。鳴らしたくても鳴らせない乾杯。様々な想いが錯綜しながらも、静寂が繋ぎとめた一瞬を頼りに、今日も誰かがどこかで盃を交わしている。

ぼくは、追憶の船出に汽笛が欲しい。透き通った音色は遠くの空まで響きわたり、残響が霧を晴らしながら航路を指し示す。誰もが鳴らすことのできる、特別な鐘の音。

鐘は鳴る。まだ鳴っていない鐘も、幾度となく鳴った鐘も必ず。

何度でも絵筆を執り続けたい。できることならずっと一緒に、筆先が擦り切れるまで。

また乾杯しよう。あのときを、あのときのままとするために。遠のいても、薄らがないように。



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