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近くて遠い最寄り駅

先週、都内で引越しをした。実家のリフォームが終わるまでの仮住まいで、3カ月の期間限定。とはいっても、春という時期に新しい街で生活を始めることは色々と気持ちの整理にもなる。

実家は、二世帯住宅となるための工事に入った。2階に妻とぼく、1階にぼくの両親が住む。解体は順調に進んでおり、24年間住んだ家のリビングやぼくの部屋はもう跡形もないらしい。明日リフォーム会社との打合せで実家に立ち寄る予定なのだけど、そこで何を感じるんだろう。既に思うことはたくさんあるので、また時間を見つけてちゃんと書き留めておきたい。


今日は、妻が腰のブロック注射のために通院する日だった。病院は実家のそばにあり、仮住まいからは電車に乗って1時間かかる。

ぼくはというと平日なので仕事。在宅勤務。昨年末から妻の調子はだいぶ良いので、一人で行ってみるとのこと。でも注射後は足が痺れて歩けないかもしれないからそのときは迎えに来てほしいとの言葉を残し、彼女は出掛けて行った。

15分後、妻から「駅にエスカレーターもエレベーターもなかった」と不満そうなLINEが来た。ぼくが行ったらどっちもあった。何なら手前にスロープもあった。どこ見て歩いてんだ。

ともかく。そう、ぼくは彼女を迎えに行った。在宅勤務が当たり前になり、働く時間も割と柔軟になったからこそできることだった。

妻は、病院の麻酔室前の椅子で本を読んでいた。ブロック注射は打ちどころによっては足の痺れが強く出て、歩けるようになるまで数時間かかるときもある。今日はとりわけ痺れているみたいで、会計窓口に向かおうにも立つことすらできなかったらしい。

入口で借りた車椅子に乗って、会計、処方箋をようやく済ませた。バスはステップを上がるのも厳しそうだったからタクシーに乗った。車に乗る妻に肩を貸しているぼくの代わりに、運転手さんが車椅子を返却してきてくれた。こういう優しさに出会えるだけで心がふわっと軽くなる。

タクシーを降りてから改札までは遠かった。駅で車椅子を借りるほどの距離ではないから、ぼくが妻の肩を担ぐようにしてゆっくり歩いた。改札前でSuicaを取り出そうとぼくが少しかがんだ瞬間、妻はよろけた。転んだ。通りがかったおじさんに「おいおい大丈夫かい」と声を掛けられた。夕方から泥酔している夫婦に見えたのかもしれない。

電車の中で妻は眠っていた。一人でこんな遠出をするのは久しぶりだったから疲れたんだろう。最寄り駅に着く1分前に彼女を起こし、早めにドアの前に立った。電車とホームの間をまたぐとき、妻を担ぐ腕に力が入って「ほいっ」と声が出た。せめて「せいっ」の方が良かったなと意味のない後悔をした。

行きに妻の目には映らなかった幻のスロープを降りると、仮住まいのマンションは目と鼻の先だった。でもそれはぼくにとっての感覚。片足の動かない妻にとっては何百メートルもの距離に見えたかもしれない。タクシーを拾うには近すぎるし、流しも捕まりそうにない。

妻は歩いた。ぼくは担いだ。

横断歩道を渡るとき、左折車にずいぶん待ってもらった。泥酔してるわけじゃないんですよと心の中で言い訳をしながら、二人でせかせか歩いた。つもり。本当はよろよろ二人三脚。妻と自分の荷物を下げた左肩。妻を担いだ右肩。貧弱なぼくにとっては十分な運動になった。今もう筋肉痛がきてる。まだ若い。


駅近のマンションだと思っていたけど、そうでもなかったらしい。

今日は注射をしたから歩けなかっただけだけど、元気なときでもスーパーへ買い物に行けば妻は疲労困憊してしまう。何なら彼女のスピードに合わせて歩くぼくも疲れてしまう。ゆっくり歩くのって想像以上に負担がかかるみたいで。妻の身体への負担に比べたら多分ミジンコレベルだけど。

新しい生活は、距離を測り直すことの連続だなと思った。最寄り駅までの距離、病院までの距離。一緒に住む親との距離、妻とぼくとの生活空間におけるお互いの距離。そして、新しい生活を迎えたからこそ輪郭を帯びてきた将来との距離。

でもそこまでの距離は多分、妻とぼくの目には違って映っている。だから向かう方法をちゃんと考えないといけないと思った。最寄り駅が近いと思える日もそう遠くないはずだ。


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