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【近藤昭一衆議院議員インタビュー〔下〕】「あのときは痺れた」立憲民主党結党秘話 近藤議員の語る“リベラル”とは

 本誌では近藤昭一氏のインタビューを3回にわたり連載してきた。最終回となる今回は、近藤氏の考える「リベラル」という価値観の意味と、立憲民主党の結党秘話について語ってもらった。

▹前回のインタビュー記事はこちら


▹民主党政権を振り返って

民主党政権は政治主導を掲げていましたけれども、あるべき政治家と官僚の関係はどのようなものだと考えていますか。

近藤
 
難しい質問ですが、政治主導がすごく大事だという気持ちは変わっていません。自民党政権はお金を負担できる会社や団体の方を向いて政策を決定してるようなところがあります。そうではなく、我々が目指すのはみんなの声で動く政治だということです。その意味で、我々は選挙というみんなの声を聞かせていただく機会を持つわけですから、みんなの投票で選ばれた政治家が主導していくのはやはり大事だと思います。

 一方、官僚の人たちは基本的には自分が担当を持って、行政の専門家としていろんな知識や経験を持っているし、我々とは別に市民の人たちとも接しているわけだから、彼らの経験とか知識とかも大事にしていくことが必要です。政治主導という基本の下で、官僚は関係ない、とにかく行政として動けということではなくて、政治家と官僚の構造の中でどうやって信頼関係を作っていけるのかということだと思います。

▹民主党政権の功罪はそれぞれ何だったと思いますか?

近藤
 
民主党政権は政治主導というものを、間違ってはいなかったけれどもうまく運用できなかったところがあります。その結果行政をリードできなかったことで政治に対する失望みたいなのを生んでしまいました。民主党政権は公立高校教育の無償化など良いことは色々やりました。しかし政治主導と言いましたが、それがうまくいかなかったことによって、やはり政権交代はうまくいかないんだ、政権が変わっても経験が薄いとうまくできないんだというメッセージを発してしまったことが大きな罪だったと思います。

 だから、良いこともたくさんやりましたが、期待するほどうまく進められなかったことが、ものすごくマイナスだったと思います。民主党政権がやったことが60点、自民党政権が50点ぐらいだとすると、期待が大きかったが故に多くの人が望んだのは100点だったので、100点なのに60点しか取れなかったことに対して、政権交代してもそんなもんなんだというイメージを生んでしまったのではないかなというのが私の思うところです。

▹リベラルとは個人の尊厳を尊重すること

政治的な信念や価値観についてお伺いしたいんですけど、近藤さんは、かつてリベラルの会の代表世話人を務められて、リベラル系のグループであるサンクチュアリの会長や最近活動を再開した立憲フォーラムの会長も務めるなど、リベラリストであることを強く意識していらっしゃるのかなと思います。近藤さんにとってリベラルというのは一体どのような価値観でしょうか。

近藤
 ときにリベラルは寛容主義というか、相手の意見を尊重するという解説のされ方もするのですが、もちろんそういう寛容的なところもあります。そういう意味では、私は、理想は目指しつつ、でも現実も踏まえてるとか、そういうところも、もしかしたら寛容と近いのかもしれないけど。

 ただ、私の政治家として考えるリベラリズムというのは、個人の尊厳を大事にするということです。自民党政治というのは組織とか団体を大事にするので、企業やなんとか団体とかを大事にします。それはそれで全否定はしないけれども、でもその中で個人の尊厳とか利益が無視されてはいけないと思っています。あとは、人間の尊厳、命にも繋がりますが、環境や平和を大事にしていく。基本的に私のリベラリズムは、命を大事にして、個人を大事にするということですね。

▹立憲民主党結党秘話

2017年の総選挙では当初、民進党が両院議員総会で希望の党への合流を全員で決めたものの、小池百合子都知事の排除発言があって、9月30日の夜に、枝野さんや長妻さんといった議員で協議を行って、リベラルの新党を作るという話が出てきたとうかがっています。当時この協議はどのような経緯で集まってどのような話し合いをしていましたか。

近藤
 
当時、希望の党への合流に向かっていく経緯として、民進党は希望の党に全員が合流するということで党の決議をしました。私はちょっとそこに引っかかるものはあったのですが、民主党政権はうまくいかなかったという失望があり、政権交代が実現しにくい状況になっていました。

 でも相変わらず自民党がやっていることはひどいので、政権交代を実現しないといけないと考えていた時に、小池百合子さんの呼び掛けた希望の党が支持を集め始めていました。小選挙区という選挙制度は、自民党に対して、もう1つ大きな支持を集める政党を作ることで政権交代を実現するための制度ですが、民進党は残念ながらもう1つの大きな政党としての期待は薄れていました。

 そこで、これからは小池さんを先頭とする希望の党がもう一度政権交代をするベースとなりうる政党になるかもしれないと思いました。自分たちもいささか政策で気になるところがあるものの、大きな塊をつくらなければならない制度なので、民進党から希望の党に合流していくのは、1つの選択肢だと思いました。

 ところが小池さんは、7つぐらいハードルを設け、リベラルな考えの人たちは来てもらわなくてもいいという排除宣言を出しました。私たちは、小池さんが考えている政党に自分たちは相容れない以上、もう1つの政党を作るしかないとなったのです。でも、政党って簡単にできるわけではないので、あの時毎晩集まって、どうしようか話し合いました。

 そして、民進党時代からよく意見交換していた政策の近い人たちとは、大体考えは分かってるので、このままではおかしいということで自然と集まりました。もう1つは、当時排除の名簿が広まっていて、そこに私や枝野さんや長妻さんとかの名前があったのです。私たちは具体的に名前も出されて来るなと言われているし、私たちは元々近かったので、自然と話し合おうじゃないかと言って集まったのが当時でした。

▹自民の「派閥」と立憲の「政策グループ」の違いとは

先ほどお話にも出てきましたが、近藤さんはサンクチュアリの会長を勤めていらっしゃいます。このサンクチュアリには旧社会党系の議員さんや労働組合の議員さんが多く所属されていますが、そうした中で、新党さきがけ出身の近藤さんが会長を務めるようになるまでの経緯はどのようなものだったんでしょうか。

近藤
 
サンクチュアリの活動に軸足を移す前に、私は元々リベラルの会というグループを作っていました。これは私が政治の世界に入った時の基本に通じるところがあるんですが、今回立憲の代表選挙でも、吉田さんが1年生だけど手を挙げたように、新しい人たちで新しいものを作っていこうというところだったので、結成当時の3回生以下でやりましょうということで作ったのがリベラルの会。リベラルの会は社会党系の人たちがゼロではないですが、そんな明確に入っていたわけではないです。それとは別に、赤松広隆さんが会長としてつくられたサンクチュアリという会があり、私もメンバーとして入っていました。

 そして立憲民主党が作られる時には、枝野さんと個別に会っていたメンバーと、そのメンバーには入っていないけども、小池さんの言ってることとは相容れない考え方を持つグループだったサンクチュアリが協力して政党を作ることになったわけです。それで2017年に立憲民主党ができました。

 サンクチュアリは社会党を支援していた旧総評系の組合関係の議員さんが多いグループで、そこに私は1人のメンバーとして参加をしていました。ただそこで、赤松さんが勇退するというタイミングになって、会長をやったらどうだという声があって会長になるわけです。

 そういう過程の中で、リベラルの会も所属してた今野東さんは病気で亡くなられ、平岡秀夫さんは議席を失い、生方幸夫さんも議席を失ったりしてメンバーがだんだん少なくなり、実質的な活動は難しい状況になってしまいました。一方でいわゆる集団的安全保障を容認しない、平和主義だというところでサンクチュアリと一致してるので、だんだんと私はリベラルの会の活動からサンクチュアリの活動を中心にやった方が自分の考える理想を実現することになると思って、今のような活動をしています。

昨今、自民党の派閥が裏金問題で批判をされていますけれども、立憲民主党の派閥が政策グループというのはどうあるべきだとお考えですか。

近藤
 
派閥というのは私の感覚で言うとお金であり、人事であり、情報なんですね。昔でいう親分、派閥の長が所属する議員にお金を渡す、つまりお金で縛る。このグループに所属をしてれば人事で優遇するよと言って人事で縛る。一般的にはわからない情報も君だけに、あなただけには教えてあげるよという裏の情報。そういったものによって個人を縛るわけです。これは、私の政治そのものに対する考え方の根本に繋がっているのですが、個人は自由なので、それを縛るようなものは良くない、だから派閥はダメだという考えです。

 ただ、民主主義なので、政策を実現していくためには仲間と数が必要だし、あるいは自分1人だけ言ってることは独りよがりかもしれません。だからより多くの人たちが賛同してくれることが大事だ、しかも、その賛同してくれる内容を具体化しなくてはならないので、そういう意味で塊はあった方が良いと思っています。だから、我々は政策を実現するために政策の近い人たちが集まって、みんなの合意のもとで政策を実現するために集まってる「政策グループ」なんです。だから、自民党の親分のためにお金とか人事とか情報で縛り付けていくのではなく、政策で合意するということです。

▹枝野幸男氏は「純粋」な政治家

現在、立憲民主党の代表選挙で枝野幸男さんの選対本部長を務めてらっしゃいますけれども、近藤さんは枝野さんをどういった政治家であると評価されていますか。

近藤
 ちょっと余談になって申し訳ないですが、あの2017年の衆院選の時は本当、痺れるような動きでした。多くの人が小池さんのところに行きたくないけれど、新しい政党を作るのも大変だなと思ってたし、新しい政党を作ると対抗馬を立てられるんじゃないかと悩んでいました。希望の党は無所属なら対抗馬を立てないと言っていたので「希望の党には行きたくない。無所属でやれば対抗馬は立てられないなら、それでいくのがいいのかもしれない」という雰囲気も一部ありました。でも本当にそれでいいのか毎晩話し合いました。それに新党を作るとお金かかるし、直前だったのによくできましたよ。でもその時は参議院の何人かの仲間も力をかしてくれました。

 さて、枝野さんはどういう政治家って聞かれると何と答えればいいのか。皆さんにどうやって映ってるかわからないですが、非常にはっきりした人です。希望の党の時みんなが1番大事にしたのが、自民党に対抗する大きな集まりを作るためには、そこに勢いがなければいけないということです。だから小池百合子さんという当時勢いがある人が新たに政党を作ったので、自民党に対抗し得る勢力を作るチャンスだと。でも、そういう大きなものを作るっていうことは、安保法や集団的自衛権、原子力を中心に、考え方が曖昧になるということで、それが枝野さんは容認できなかったと思います。

 どういう政治家って聞かれると答えにくいけど、枝野さんは政策で妥協することは良くないと思ってる政治家だと思います。だから今回の代表選挙も、どうやって大きな塊を作るのかが1つのテーマだと言われ、私は政策があまり曖昧になってはいけないと思っていました。

 もちろん、自民党に対抗するために、野党が協力してないといけない。ちょっと考え方が違いすぎるので、維新の会とは難しいかもしれないと思いました。でも、自民党を倒すために、野党がどう協力するかってのは大事だと思っています。枝野さんの場合、協力は大事だけども、やっぱり妥協していくのはよくないと思っていて、純粋な政治家なんだと思います。ただ、その純粋さが立憲民主党ができた直後に出すぎたかなと思うところはあります。つまり、来たいやつだけ来いみたいな感じで。

当時枝野さんは「永田町の数合わせには与しない」とおっしゃってましたね。

近藤
 
そう、それはその通りなのですが、ちょっときつすぎたんじゃないかなと思っています。

これからの日本で政権交代を実現するには何が必要でしょうか。

近藤
 
野党の協力だと思います。私は時々言ってるんだけど、連立政権をもう少し多くの人が支持してくれるといいなと思ってるんですけどね。自社さとか8党連立とかあったけども、どちらかというと結果的にできたような感じで、選挙の前から連立政権を組む、組んでやるかもしれないみたいなのはあんまりやったことないので。連立政権でもやれるし、連立政権でやるということがいいことだと。つまり、小異を残して大同につくということを多くの人に賛同してもらう必要があると私は思ってますけどね。

 人によっちゃ、そんなことじゃなくて、まず我が党で単独で政権を取ることを目指すべきだっていう人はいるけど、それは目指すべきではあるけれど、いざという時は連立政権でもいいと思うし、そのために協力できるところは協力した方がいいと思うけど、あんまり我が党が我が党がっていうのはね。

▹政治家に必要なことは理想を忘れないこと

ありがとうございます。近藤さんの考える政治家に必要な資質とはどのようなものでしょうか。

近藤
 
それはいわゆる理想を求めつつも現実を踏まえるっていうか、やっぱ理想を忘れないってことだね。最近よく現実的にとか、たとえば原発の問題も現実的にはなくせないだろう、原発は減らすでいいじゃないかみたいな言い方をする人や政治家も多いけど、そうじゃなくて、やっぱり原発なくしていくんだというこの理想を忘れないこと。そしてそれを主張し続けるということが大事だと思います。

最後に、私たち若い世代に伝えたいことなどがあればお聞かせください。

近藤
 
やっぱり歴史に目を向けてほしいなと思ったりします。あるいは、私がよく言ってるのは、いろんな角度からものを見てほしい、1つの角度にとらわれないでということです。

 例えば、このボールペンは、こっちから見ると丸く見えるけども、こっちから見ると長方形に見えるわけで、今度は斜めから見ればまた違うわけです。1つの方面からだけ見ないで、いろんな角度から研究し、物を見てほしいです。そういう中で言うと、歴史にもしっかり目を向けてほしい。歴史って過去に起こったことだから、自分で意図して振り返っていかないとわかりません。つまり、長いスパンの中で、目の前にある現実と過去に起こった歴史にも目を向けてほしいということですかね。

近藤昭一
1958年愛知県名古屋市生まれ。上智大学法学部を卒業後、中日新聞社に入社。新党さきがけを経て、1996年衆院選では旧民主党から立候補し初当選。(以後9選)。2010年には菅直人政権で環境副大臣に就任。2017年には旧立憲民主党の結党に参加し、選対委員長も務めた。リベラル派の代表格として知られ、2021年以降は立憲民主党で最大の党内グループ「サンクチュアリ」を率いる。

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